第6話 目覚めた朝は

 救急車の音が聞こえてきた。

 透明な硝子の窓の向こう側が慌ただしく動き始めたようだ。


 俺は窓の外を見つめていた。今夜の月は時々雲に隠れながら、淡い光をはなっている。

(こんなに空を眺めていた事はないかもしれないな。)

 なんて事を考えながらぼんやりとしていた。



 うとうととし始めた、その時だった。

 突然胸の辺りに違和感を感じて、俺の呼吸は何だか苦しくなった。

 必死でナースコールのボタンを握りしめて、

助けを呼んだ。



 バタバタと走ってくる足音が聞こえる。

「一ケ瀬君、わかりますか? すぐに先生呼ぶからね!」


 聞き覚えのある声が、俺のそばで聞こえた。

(く、苦しいんだ。何なんだ、これは……)


「その次はエコーの準備な! あと――」

 俺は少しずつ意識が遠くなっていく。

 また、俺の心臓は止まってしまうのか?

 そんな不安が頭を過る。


「一ケ瀬君、聞こえてるかなぁー?」

 男性の声に、俺はぼんやりとした意識のまま、顔は苦痛に歪めながら小さく頷いた。


「頑張ってー、すぐに落ち着くようにお薬いれるからねー。エコーでも見てみるからね。頑張れー!」


 声をかけられながら、必死で呼吸をした。

「汗すごいな、拭いてあげてー!」

「はいっ!」


「ちょっと胸開けるねーー!」

「北村先生、そっちお願い!」



 俺の意識は朦朧としながらも、うっすらと声が聞こえている。

「はぁ、はぁ、はぁ、……」


「お薬入れるねー!」

 いろんな声が聞こえてくる。


 俺はもうどうしたらいいのかわからなくなっていた。声も出ないし、体も思うように動かせず、ただひたすらに息をしていた。


「不整脈かなぁ、本郷先生、これですかね?」

「不整脈か。あー、それかなぁ」


 そんな声が暫くは聞こえていたが。

 俺は薬のお陰か、呼吸は少しずつましになってきた。


 そして、俺はまたゆっくりと目を瞑った。

(あぁ、また死ぬとこだった。)

……なんて言葉が頭の中に浮かんでくるくるくらいまで、落ち着きを取り戻した。


 突然に襲ってくる苦しみは、俺を恐怖のどん底に引きずり込んでゆく。

 そして、そのまま暗闇の中に落ちるように眠った。




 ピッ……ピッ……ピッ……


 医療機器の音がリズム良く鳴っている。

 耳に馴染んできた音。

 まだ薄暗い部屋で俺は目を覚ました。



「一ケ瀬君、気分はどう?」

 中川さんがベッドのそばにいた。

「……はぁ」

 俺は答えに詰まった。

 苦しいとか、痛いとかそんなんじゃなくて。

(――怖い。)

 そんな事を口になんてできるはずないし。

 もちろん、家族には心配をかけたくないから口が裂けても言えない言葉だ。


「一ケ瀬君?」

「……」

「一ケ瀬君、まだどこか調子悪い?」

「……もう少し寝ます」

「…そうね」

 何だか中川さんには悪い事をしたような気がしているけれど、俺はどうすればいいのかわからなくなっていた。


 俺は窓の方に向いて布団を深く被った。


 コロコロコロ……。

 回診車を押す音が小さくなっていった。

 何だか少しだけ、寂しそうな音に聞こえた。


 俺が初めて倒れたのは一昨日の夜の事だった。

 そして、昨日の夜も苦しくなって助けを呼んだ。

 俺の心臓はどうなってしまったのだろうか。被った布団の中で、携帯で検索をした。


(先天性って何? 生まれつきって事か?)

(狭心症? 弁膜症? なんだそれ?)


 不安な言葉ばかりが並んでいる。

 塩分に注意とか、浮腫だとか。


 俺はポテトチップスが大好きなのに!

 コーラとポテトチップスは映画を観る時の必需品だろ?

 何だよ、塩分の目安六グラムって。どんだけなんだよ。

 海苔のつくだ煮はいいのかよ?


 色々考えているうちに、わけがわからなくなってきた俺は、検索するのをやめて目をギュッと瞑った。


 とりあえず、寝よう。

 明日は何も起こらないでほしい。

 いや、とりあえず無事に朝を迎えたい。

 …そう願いながら眠りについた。




「おはようございます! 一ケ瀬君、血圧計らせて下さいね!」


 俺はさっきの自分の態度に腹が立った。

 何であんな態度をとってしまったのだろうか。中川さんは、何事もなかったかのような笑顔で俺に挨拶をしてくれる。


「あのー」

「ん? どうかしましたか?」

にっこりと微笑む顔から目をそらして、小さな声で伝えた。

「さっきは、すみませんでした」


 俺は情けない奴だ。

 そう思った時、中川さんは笑顔のまま言った。


「ん? 何だろう? それより、今日もお天気が良くて気持ちが良さそうな景色が広がってますよ!」

「え? あ、ほんとですね。晴れてる」

 俺のその言葉を聞いて、中川さんは嬉しそうに微笑んでくれた。


 窓際から、窓の外の景色を眺める中川さんの横顔は、朝日に照らされて美しく見えた。


 俺の胸が少しトクンとした。

 でもこれは心臓のせいではないだろう。

 中川さんの後ろで束ねられた髪の毛が乱れて、ほんの少し耳の横に落ちてきている。


「綺麗だねぇー」

 と中川さんは呟いた。

 そして昨日と同じように、指で四角を作って覗いている。

「それ、好きですね」

 俺は思わず声をかけてしまった。

「うん、癖になっちゃって。屋上からはもーっと綺麗に見えるんだよ!」

「へぇー」


 中川さんはにっこりと微笑んでくれた。

 それにつられて、俺も微笑んだ。

 そして窓の外を見た。


 発作で苦しんだ夜から目覚めた朝は、綺麗な水色の空が広がっていた。

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