第4話 お見舞い
気づけば俺は寝ていたようだ。
目を開けると、ベッドの脇に置かれた椅子に凪が座って俺の腕の側でうつ伏せになっていた。
母ちゃんと目が合った。
(しーっ。)
人差し指を口に当てて、少し笑っている。
(――ったく。しょうがない奴だ。)
俺の事が心配で、夜は殆ど眠れなかったのだろう。
少し低くなった太陽の光が、窓から差し込んできている。その光を浴びている凪の髪の毛は少しオレンジ色に見えた。
「母ちゃん、携帯の充電器持ってきてくれた?」
「あー、これよね?」
「差してくれる?」
俺の左手は点滴に繋がれたまんまだし、凪が寝ているので動きにくい。
携帯電話が鞄の中で良かった。あのどしゃ降りの雨の中で、運良く水没を間逃れていた。
ピコン。
電源を入れるとラインが届いていた。
(母ちゃんから聞いたんだけど。颯真、お前は大丈夫なのか?)
親友の広輝からだった。
(一回死んだwww
けど、生き返った。)
とりあえず、返事をしておいた。
「ん?」
ベッドにうつ伏せになって眠っていた凪が頭をあげる。髪の毛がボサボサだ。
「やっと起きたか、試合後のボクサー!」
「酷いなぁ。心配だったんだから!」
よぼど長い時間泣いていたのだろう。
凪の目は夕方になった今も、まだ少し腫れている。
「お兄ちゃん、いつ退院できるの?」
「さぁな。検査の結果が出ないとわからないんじゃないか?」
「えー」
っと言ったまま、凪は不満そうな顔をして床を眺めている。
「凪、お兄ちゃんだって好きで入院してる訳じゃないのよ?」
「……わかってるけどさ」
「わかった! 凪、お前は、ブラコンだな」
「ちーがーいーまーすぅー!」
「ちょっとふたりとも、やめなさい! 迷惑でしょ!」
少しだけ、いつもの母ちゃんに戻っていた。結局俺達は、入院していても母ちゃんに叱られるのだ。
凪はいつもこんな感じで困っている。
嫌われてしまうよりかはいいかもしれないのだが。
本当に小さい頃のまんまだ。
何かあるとすぐ『お兄ちゃん!』と言ってくる。
この前なんか、友達と遊びに行くのに俺のお気に入りのパーカーを当たり前のように着て『いってきまーす!』と俺には何の断りもなく出かけて行った。
「ねー、お兄ちゃん。広くんは?」
「ラインはしたよ。何で?」
「広くん来るのかなぁって、思っただけ」
呆れた俺の代わりに母ちゃんが口を開いた。
「凪、お兄ちゃんはね、病院で入院してるの! 遊んでるんじゃないんだから」
「はぁーい」
と凪は舌を出して不貞腐れた顔をした。
「一ケ瀬君、何か変わりはないですか?」
看護師の中川さんがやって来た。
「はい、大丈夫です」
中川さんは、母ちゃんと凪にペコリとお辞儀をした。
「今日は晴れて良かったですね」
と笑顔で声をかける。
「一ケ瀬君、はい体温計。熱計ってくれる?」
と俺に体温計を手渡した。そして、点滴を交換して、俺の体温を記録した。
「湿布は貼って貰った?」
「はい、貼って貰いました」
「まだ痛むよね?」
「動かさなければ大丈夫です」
「よしっ! じゃあ、ごゆっくり」
と、看護師の中川さんは回診車を押して他のベッドに向かった。
「お兄ちゃん、肩痛いの?」
凪はニヤリとしている。俺は嫌な予感しかしない。
「触るなよ! 倒れた時に打ったのかもな」
また凪はつまらなそうな表情になった。
(まったく、俺は病人だっつーの。)
「一ケ瀬君、お食事持ってきましたよ!」
「あ、ありがとうございます」
コロコロコロと、ベッドの上にテーブルが運ばれて来た。大きな四角いトレイに、お椀がひとつだけポツンと乗せられている。
小さな袋に入った海苔の佃煮が添えてあった。
「しっかり食べて、体力つけなくちゃね!」
なんて母ちゃんは言うけれど。
蓋を開けた俺は絶望的な気分になった。
「あらー、ご飯粒はいってる?」
凪はお椀の中を覗き込んでいる。
母ちゃんが持ってきてくれたスプーンで掬ってみた。ふにゃふにゃの米粒が時々姿を見せていた。
「まぁ、重湯みたいなもんだね」
母ちゃんは苦笑いをした。
「重湯? これ?」
「そう、お粥のもっと柔らかいやつ」
まぁ、俺は病人だし。
一回心臓止まってるしな。
ここから始めないといけないんだろうな。
スプーンで掬って、口に運んだ。
「母ちゃん、味がしねぇー」
「そりゃーそうよ。海苔入れたら?」
俺は袋に入った海苔の佃煮を重湯に入れて、また一口食べてみた。
「あぁ、うまーい!……なんてなるかーい!!」
重湯とやらは、強敵だ。
今日から俺の嫌いな物リストの上位に載せることにした。
そんな俺を見て、凪はケラケラと笑い、母ちゃんは凪にゲンコツをした。
それでも凪は笑っていた。
(元気になったら覚えてろよ……)
さすがに病院で兄妹喧嘩はできないし。
とにかく入院生活の始めの1日はそんな風に過ごした。
「また来るねー!」
と、母ちゃんと凪は帰って行った。
ピッ……ピッ……
静かになった部屋に、小さく聞こえる医療用機器の音。俺の腕には繋がれたまんまの点滴。
すっかりと日が暮れて、窓の外の景色は変わった。
海は黒くなって見えなくなった。
街灯がポツン、ポツンと見えて。
時々走りすぎる車のライトが光る。
「一ケ瀬君、調子はどう?」
回診車をコロコロと連れて、中川さんがやって来た。
「はぁー。まぁ」
「まだわかんないよね。食事は食べれた?」
「少しだけ」
「……美味しくないよね、あれ」
中川さんは小さな声で言った。
コクりと俺は頷いた。
そして、同時に少し笑った。
「明日は検査があるからね。心電図とCTの検査が入ってます。詳しくは明日、本郷先生から説明があると思います。大丈夫かな?」
「……はい、お任せします」
「そうよね、よくわからないよね。何かあったら何でもいいのでこれ、押してね!」
中川さんはナースコールを俺の手が届く所に置いてにっこりと微笑んだ。
俺のベッドがある部屋には、救急で運ばれて来た患者が入ってきたり、移動していったりとバタバタとするスペースもある。
透明なガラス越しに看護師や医師が見えて、少しだけホッとした。
今夜も俺のような緊急の助けが必要な人たちが来るのだろうか。
俺は窓の外を眺めて過ごすことにした。
少しだけ欠けている月にうっすらと雲がかかっている。
ぼんやりと流れる黒い雲を俺は暫く眺めていた。
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