――After the rain――

綴。

第1話 雨上がりの空

 バチバチと大きな雨粒が窓に当たる音が続いている。今夜は大雨だ。こんな夜はバタバタとするのだろう。


 私は中川 しおり。21歳。看護師になったばかりの新人だ。なのに、いきなり救急の担当になってしまった。しかも、こんなどしゃ降りの雨の日に夜勤だなんて。


――ピーッピーッピーッ!

 耳障りな音が鳴り響く。

 救急搬送の連絡だ。

「はい! 風花救急センターです」

 本郷先生が受話器を取った。


「おぃ、中川行くぞ!」

 本郷先生に呼ばれて走って追いかける。

「はいっ!」


 どしゃ降りの雨の中、赤いライトを回し、サイレンを鳴らしながら救急車が病院へ到着した。


 救急隊員から引き継ぎを受ける。

「一ケ瀬颯真君、17歳。帰宅途中に倒れていたそうです。住宅街ですが、この雨で気付かれなかったようで、倒れた時間はハッキリとわかりません。バイタル……」


「移します! いち、にっ、さんっ!」


 私は必死で準備をした。

(頑張って!)

 雨に濡れていたせいなのか、ぐったりとした彼の体は冷たく唇は紫色に変化していた。


「まずいなぁ、急ぐぞー!」

「はいっ!」


――――



 騒がしい音がぼんやりと遠くから聞こえてくる。


(1・2・3・4……)

「離れてーー!」

 バチン!

(1・2・3・4……)

「もう一回行くよ!」

 バチン!



……ピッ……ピッ……ピッ

「きたっ!」

「よし!」


ガチャガチャ……ガチャガチャ……


「ラインとって!」

「はいっ!」

「血液検査、エコーの準備!」

「はいっ!」




 それは少しずつ少しずつ近くなる。騒がしさは増して、すぐそばで聞こえ始めた。


「あ、聞こえてるー? 聞こえてたら手を握ってみてー!」


(誰に言ってんだろ?)


「わかりますか? この手、握れる?」

 女の人の声が聞こえる。


 俺は、少し指を動かしてみた。

 少しだけ、誰かの手に指が触れる感覚がした。


「先生! 戻りました!」


(戻ったって何だ?)

 少しずつ、声がはっきりと聞こえてくる。


「僕の声が聞こえますか? 聞こえてたらこの手を握ってみて下さい」


 そう耳元ではっきりと聞こえてきた。

 俺は温かい手を少し握り返した。


「良かったねー。ここはね、病院です!」


(病院……?)


「色々今から検査とかさせて下さいね。

寒い?寒いならこの手をもう一回握れますか?」

 俺はもう一度、手に力を入れてその手を握った。


「毛布持ってきてあげて! とりあえずレントゲン撮って、血液検査の結果を待つか」


 聞こえていた声は少しずつはっきりと俺の耳に届いている。



 毛布をかけられたのだろう。

 少し寒さが和らいだように感じた。


 でも、何もできずにまた俺は、意識が遠のいて眠った。


 どれくらいの時間が経ったのだろうか。


 少しずつ意識がはっきりとしてきた。


 何だか暖かい光を感じて、俺はゆっくりと目を開けた。



「おはようございます。わかりますか?

ここは病院ですよ」


(病院?)


「初めまして、私は看護師の中川です!

一ケ瀬君。昨日の夜に救急車でここに運ばれて来たんだよ?覚えてる?」


 『中川』と名乗った看護師は少し長めの髪の毛を後ろに一つに束ねている。くりっとした目が微笑んでくれた。


「いゃ、えっ?」


 夢の中で聞こえていた、騒がしい音は消えていた。


ピッ……ピッ……


 一定のリズムで小さく聞こえる音。

 俺の体は医療用機器と繋がっているようだ。

 腕にも点滴の針が刺さっている。


「カーテン開けましょうね。昨日は凄いどしゃ降りの雨でしたけど。今日は雨もあがって、晴れてますよ」


 俺はゆっくりと窓の方に視線を向ける。

 確かに雨上がりの綺麗な空が広がっている。



「あのー。俺、生きてます?」


 看護師の中川さんは、少しきょとんとした顔をして笑った。


「フフッ。大丈夫です、ちゃーんと生きてますよ?」


 昨日の記憶が微かに甦ってくる。

 駅から歩いていて、急に息が苦しくなって。


「はっ! 俺、倒れたんだ!!」


「そう。それで、ここに運ばれて来たんですよ。今どこか痛い所とかありますか?」


「えーっと」

 起き上がろうとすると、肩に痛みが走った。

「…いっ!」


 中川さんが駆け寄ってきた。

「あ、ダメダメ! まだ寝てて下さい。肩が痛い?ちょっと見せて」


 そーっと、俺の体の向きを変えられて肩を確認された。少し上着をずらして覗いた中川さんの声が肩越しに聞こえる。


「あー、ここね。倒れた時に打ったのかなぁ。先生に伝えておきます。後で診察してもらうようにしましょ」


「はい、ありがとうございます」


 俺は一ケ瀬颯 そうま。17歳。高校3年生になったばかりだ。

 最近、時々胸が苦しくて何だか体調がおかしかった。そういえば、去年の健康診断で引っかかって、心電図を撮ってもらったけど。その時は特に何もなかったんだけどな。


 何だか嫌な予感がする。


「そうそう、ご両親が今荷物を取りに帰ってくれてるから。もう少ししたら戻ってきますよ。安心して下さいね」

 と、中川さんは声をかけてくれた。



 俺はもう一度窓の方を向いた。

(俺の住んでいる町はもう少し山の方だから、あっちかぁ。)

 見覚えのない景色だ。多分、少し家から離れた病院に運ばれたんだな。


 遠くの方に小さく海が見える。

 羽根を精一杯伸ばしているであろう鳥も、のんびりと風に乗って飛んでいるようだ。


「景色がすごく綺麗でしょ?」

「はい」


 中川さんは窓際に移動して、両方の親指と人差し指指で四角を作って覗いている。


「どこを切り取っても美しいんだよねぇ」

 その後ろ姿に、俺は胸がトクンとなった。


「あ、ごめんなさい。私ね、写真撮るのが趣味なの!」

「へぇー」


 突然、中川さんは振り向いた。

「ヤバっ! 行かなくちゃ! 肩の事、ちゃんと伝えておきますね」

 と、バタバタと走って出ていった。



(本当に、どこを切り取っても綺麗だな。)

 俺は中川さんの言葉を思い出していた。


 俺の体は大丈夫なんだろうか。

 窓の外の景色を眺めながら、俺はまた目を閉じた。











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