第6話

真澄が風呂からあがってくると、田上はキッチンで夕食の支度をしていた勇也にむかって、

「勇也、風呂入るぞ」

と言った。

「あー、あとこれだけ…」

そう言って渋った勇也に、

「酒呑みたいんだろ?だったら先に風呂入るの」

田上はそう言って勇也の腕を取った。

佑は自分が一人で入りたがったことで余計な時間を取らせ、一人ずつ入れなくなったかと思い、

「あと、俺やろうか?」

と田上に言った。

「たっくん、料理出来んの?」

驚いたような表情の田上に、

「簡単な物なら」

と佑は答えた。

その言葉に勇也はニッコリ笑って、佑にあとのことを伝えて、田上と共にキッチンを出て行った。

「父子で風呂入るんだ」

佑は二人が消えて行ったドアを見ながらつぶやいた。

「ああ、時々な。たまに俺が入ってるところに二人で乱入してくることもある」

「えッ⁉」

佑は田上の言葉に変に意識してしまったが、田上にも真澄にも “一緒に風呂” は普通のことなのかもしれなかった。

「料理出来るなんて、すごいな」

包丁を手に野菜を切る佑のそばに来て、真澄が感心したように言った。

佑はそんな真澄をチラリと見た。

「かあさ…、冴子さんがまだウチにいる頃、多恵子さんと三人で時々料理してた。今時男でも家事全般出来たほうが一人暮らしとかした時にいいからって。二人から色々教えてもらったよ」

「ふ〜ん、手慣れたもんだな」

佑の野菜の処理の手際に、真澄は感心しきりというように言った。

「真澄は出来ないの?」

「あー、インスタントラーメンは作ったことがある」

佑はふっと笑った。

「あ、そんなの料理のうちに入らないと思っただろ?」

「そんなことないよ」

佑の後ろに立った真澄が腰に手を回してきた。

「ちょっと真澄、包丁使ってるんだから。邪魔」

佑は即座にそう言った。

真澄がため息をつきながら佑の肩に額を押し当ててくる。

「なあ、佑、左手見せて」

「ん?」

真澄が顔を上げてそう言ったので、佑は左手を上げて見せた。

真澄は料理をするために佑が途中までまくり上げていた袖口を、ひじまでまくった。

「何?」

佑の問いには答えずに、真澄が佑の腕を取り、その手首に唇を当てる。

「真澄?」

佑は戸惑い、腕を引こうとした。

真澄の手はしっかりと佑の腕をつかんでいて、それは出来なかった。

真澄は唇を、佑の左腕の上を押し当てては離すを繰り返しながら移動させる。

「何して……」

まるで佑の左腕を自分のキスで埋め尽くそうとするかのような真澄の行為に、

「くすぐったいよ」

佑は再び腕を引こうとした。

真澄はその手を捉えたまま、佑の耳元でささやく。

「佑、もう自分で自分を傷つけるな」

「あ……、それ…って」

「リキから聞いた」

真澄はさらに佑の腕に唇を押し当てる。

「おまえが熱出して着替えさせた時に見た。よく見なければわからないようなのもあるけど、小さな傷痕がいくつもある」

真澄は佑の腕に唇を寄せたまま言った。

「頼むから、もう、するな」

佑は真澄に体をあずけるようにして、

「うん…」

とうなずいた。

キッチンのドアが開いた。

「う…ゎ…」

田上と勇也が風呂からあがって入って来たのだ。

佑は声を上げて真澄から離れようとしたが、真澄は両手を佑の体にしっかりと回してきた。

「勇さんも知ってる」

耳元でささやかれた言葉に、佑は首をねじ曲げて真澄を見た。次いで、田上と勇也を───。

勇也はニッコリ笑って、

「ライトキスならいつでもどうぞ。ただフレンチキスは力也には刺激が強すぎると思うから、それは二人きりの時にしてもらえるかな?」

と言った。

「え?え…⁉」

真澄は佑の首すじにキスしてきた。

佑は包丁をにぎったまま、硬直した。


その夜はおせちと鍋だった。

「たっくん、何飲む?」

田上家では“飲みたい物”を飲むのが暗黙の了解のようだった。

勇也はビールを手にしていた。真澄も田上も“飲みたい物”を冷蔵庫から出している。

佑もそれにならった。

佑は鍋をつつくのは本当に久しぶりだった。

「あのあと、お父さんにお電話したよ」

佑のむかいにすわる勇也がそう言った。

佑は散歩に出る前、祐一からあずかった封筒を勇也に渡した。

「すごく丁寧に君のことお願いされた」

勇也は破顔して、

「こんなゆるい家だってわかったら、顔青くなさるかな?」

と続けた。

「家主がいい加減だから」

田上が横から言った。すかさず勇也のデコペンが入る。

「佑くん、シメはご飯とうどん、どっちがいい?」

「ご飯がいいです」

勇也の問いに佑が答えると、田上が“オケ”と言って立ち上がる。

「え?俺の意見だけでいいんですか?」

「いいの、いいの。みんなどっちも好きだから」

勇也が手をヒラヒラと振ってそう言った。

「あ、あれ?」

勇也が身を乗り出すようにして佑を見た。

「佑くん、もしかしてピアスあいてる?」

「ああ、はい…」

佑は片手を耳元に持っていった。

「しないの?」

「前はずっとしてたんですけど、今は穴塞がらないように寝る時だけ、たまに…」

「どうして?すればいいのに」

「え、何、何?」

そこにお盆にご飯と卵と煎りごまと七味を乗せた田上があらわれた。

「佑くんにピアスあいてるって知ってた?」

「え⁉知らない!」

お盆を座卓の上に置いた田上がじっと佑の耳を見る。

「俺は知ってた」

佑の横にすわる真澄がそう言った。

「寝てる時にたまにピアスしてるのも」

佑が真澄を見ると、フッと笑みを浮かべる。

「うわ、何?その、俺だけ感」

田上がそう言うと、

「当たり前だ。佑の耳はいつも間近で見てる」

真澄は不敵な笑みを浮かべてそう言った。手が伸びて来て、佑の頭は真澄のほうに引き寄せられた。

「おまえ、耳弱いもんな」

真澄が小声で言う。

佑は真澄を押し返すとにらみつけた。

「ねえ、すれば?絶対 綺麗だよ」

勇也は笑顔でそう言った。


「こいつファザコン」

真澄が田上を指差して、佑にむかって言った。

「そんなことない!」

田上はそう言って、先ほど食べていたミカンの皮を真澄に投げてきた。

真澄はそれをキャッチして、自分が食べたミカンの皮を手に取りニ個分を田上に投げ返した。

佑はそんな二人のやり取りに笑みがこぼれた。

二人とも“飲みたい物”がかなり進んでいた。

「佑くんは強いんだな」

そう言った勇也は、今は日本酒を飲んでいた。

「え?いや、そんなことは…」

「二人より飲んでるのに全然変わらないじゃないか」

真澄と田上はまだミカンの皮の投げ合いをしている。

「あー、でもフワフワしてますよ」

「そうなんだ」

勇也はじっと佑を見てきた。

「良かったよ」

「え?」

真澄と田上はコタツから出て、まるでプロレスごっこのようなことを始めていた。

「真澄が君と出会えて」

「………………」

「真澄だけじゃない。力也も、だな」

「いや、それは…」

「力也と真澄は子供の頃から本当に仲が良くて、真澄が高校に入って変わってしまってからは、力也もずっと心配していた。自分が何もしてやれないってヘコんでた」

勇也はプロレスごっこをしている二人を見た。

「でもある日、力也が嬉しそうに連絡してきた。真澄の目が変わったって。去年の十一月のことだよ」

勇也が佑を見た。

「………………」

佑は何か言おうとしたが、勇也の優しく深い笑みに何も言えなくなった。

「こら〜、ボーイズ、そんなに暴れると回るぞ〜」

勇也は真澄と田上にそう声をかけた。

コタツの横では、真澄に羽交い締めにされた田上が“ギブ、ギブ”と言っていた。


その次の日から、真澄は佑にキスすることに遠慮がなくなった。

佑が“ハズい”と言って拒む態度を取ると、真澄は、

「慣れだ」

と言う。

「慣れたら学校に戻った時にマズイだろ」

佑はひたすら抵抗する。

その佑の右耳には二つのピアスが、左耳には一つのピアスが付けられていた。

二人のかけあいを田上も勇也も楽しそうに見ていた。

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