第3話

その夜の食事は蕎麦と大量の天ぷらの他に、煮物や生姜焼、ポテトサラダと凄い品数が並んだ。

多恵子はずっとニコニコと嬉しそうに給仕していた。

佑が風呂に入っている間、堀井は佑のベッドの横の床に敷かれた布団の上で胡座をかき、漫画を読んでいた。佑の部屋の本棚にあった物だ。

堀井は先に風呂を使い、祐一の浴衣を寝間着がわりに、その上に半纏を着ていた。

丈は合っていなかったが、佑の物は全て着られなかったので仕方がなかった。

「堀井でも漫画読むんだ?」

風呂からあがって部屋に戻って来た佑が、ベッドに腰をおろしながらそう言った。

「ああ、悪い、勝手に…」

堀井はそう言って読んでいた漫画を棚に戻した。

「いいよ」

「俺が漫画読まないと思ってたのか?」

「だって寮ではいつも、参考書とか難しそうな本しか読んでなかったじゃん」

堀井は佑に向かい合うようにすわった。

「それしかなかったからだ」

「あ、そ…」

会話が途切れ、堀井が佑の両ひざに手をおいた。

佑がその手に手を重ねた。堀井がその手をにぎる。

「今日、おまえと会えると思ったら嬉しくて、昨日から落ち着かなかった」

堀井はベッドにすわる佑を見上げて、そう言った。

「ズルい」

「え?」

「俺は……」

佑の言葉が途切れ、目が逸らされた。

「明日から田上んち行くから、そしたら、またタロとしばらく遊んでやれなくなると思って、あの野田と顔合わせるのはヤダったけど、河川敷に行ったんだ」

佑が堀井の手を放す。

「おまえがいてくれたらって、ちょっと思った。だけど、前の俺はこれくらいのこと平気だった。なのに…」

佑の手が固く握りしめられていた。

「俺は、こんなに弱くなかったはずなのに……」

「佑…」

堀井が佑の手に触れると、振り払われた。

「おまえが来るってわかってたら、俺はあんな思いせずに…。いや違う。おまえが来ても来なくても俺は…」

「佑」

急いで言葉をつごうとする佑を、堀井はその腕をつかんで止めた。

「ごめん。おまえを少し驚かせたかった」

堀井は目を逸らせたままの佑に言った。

「おまえのまわりにあんなヤツがまとわりついてるとは思わなくて…。あいつ、やっぱりボコっとくんだった」

佑は顔を伏せてしまった。

「でも、おまえも何も言ってくれなかった」

佑の体がほんの少し固くなったのがわかった。

「……あれくらい、自分でなんとか出来なきゃ、って」

佑の声は小さかった。

「佑、まだ言ってなかったけど…」

堀井は佑をつかんでいる手に少し力を入れた。

「俺、おまえとのこと、簡単に終わらせるつもりなんてないから」

佑が息をつめたのがわかった。

「たとえ弱くなる部分があっても、二人でいることで強くなれることもあるんじゃないか?」

佑は顔を伏せたままだった。

「なあ、佑、どうしたら機嫌直してくれる?このまま、年越したくない」

堀井は佑の顔をのぞき込むようにした。

「……キスして」

佑がささやくように言う。

堀井はひざ立ちして、佑のほおを両手で包んだ。

重ねる唇。何度も───

次第に深く。

堀井は佑の体に腕をまわし、布団の上に横たえた。

佑の腕が堀井の背にまわされた。その手が熱い。

「佑、……いいのか?」

堀井が唇をはなし佑の耳元にささやくと、

「ダメ」

と冷静な声が返ってきた。

「え?」

「なんにも準備してないもん」

「は?」

ついさっきまでの甘い吐息はそこにはなかった。

「堀井がメッセでもくれてれば、こっちだってそれなりに準備出来たのに…」

堀井は佑の肩口に額を押し当て、盛大にため息をついた。

「なんだよ、それ!?」

「だって、そうじゃん」

佑を見ると、ただじっと堀井を見上げてくる。

「じゃあ、なんで、キスしてなんて誘ってくるんだよ?」

「おまえがどうしたら機嫌直すかって聞いたんだろ?」

堀井は脱力して佑の横に体を投げ出した。

「その切りかえの早さについていけない」

佑は半身を起こして、

「……怒った?」

と聞いてきた。

堀井は片腕を自分の目の上に乗せた。

「怒ってない」

佑の手が胸に乗せられた。

「手、貸す?」

堀井は腕を外し佑を見ると、

「…おまえさ、そういうセリフをしれっとした顔で言うなよ、バカ」

と言った。

「い…ッ」

佑がすかさず堀井のほおをつねる。

「またバカって言った」

そして自分のベッドに入って横になった。

「堀井、電気消して!おやすみって言って!」

堀井はまたため息をついた。

「佑、俺おまえに振り回されてる感ハンパないんだけど」

「………………」

堀井は何度目かのため息をついて、灯りを落とす。

しばらくして、

「堀井……」

佑の小さな声が聞こえた。

「ん?」

「…父さんは、堀井の出自のこと知ってるのかな?」

窓のカーテン越し、外灯だろうか、そのほんのわずかな明るさの中、小さなひそめた声。

「うん、たぶん。初めて会った時、親父の関係の知り合いに頼んで連絡取ってもらったから」

「……………」

堀井は、ベッドの上でこちらに背を向けて横たわっている佑を見た。

「父さんは、僕に政治家の子息みたいな友だちが出来て、きっと、やっとまともになったと思ってるだろうね」

暗がりの中、かすれて消え入りそうな声。

「それは違う」

堀井ははっきりと言った。

「佑の親父さんは、佑が問題起こしてたのは自分にも非があるってわかってる。親父さん、不器用なんだって、前に言ったろ?忘れたのか?」

「忘れてないよ」

佑がわずかに身じろぎした。

「国会議員なんてクソだ」

「え…?」

「だってそうだろ?日本の技術を継承してきた企業が海外からの買収や合併の脅威にさらされてる時に、何してる?」

堀井の言葉に佑が寝返りをうって、こちらを向いた。

「自分の権力や利益のことしか考えてない」

「………………」

佑の鼻をすすり上げる音が聞こえた。

「バカ」

堀井が言うと、

「バカ言うな」

鼻声の佑の声が聞こえた。

堀井は起き上がって佑の布団をはぐと、キスをした。服の中に手を入れ、肌に触れる。

佑の手がそれを押しとどめようとする。

「や…だ…」

顔をそむけてキスから逃れようとする佑を追って、あごをとらえ舌をからませた。

佑の吐息がもれる。

佑が堀井の体を強く押し返してきて、唇が離れた時、

「父さんがいるッ」

小さな悲鳴のような声が聞こえた。

「父さんが、同じ家の中にいる…」

堀井は動きを止め、手探りで照明のリモコンを取り、灯りをつけた。

まぶしさからか少し目を細めた佑の瞳には、怯えが見て取れた。

「やりたくないホントの理由、そっちなんだな?」

堀井が問うと、佑は目を逸らした。

「なら、ちゃんとそう言え。俺相手に適当なこと言ってごまかすな、バカ」

「……ご、ごめんなさい」

佑の小さな声は震えていた。

「わかった」

堀井はそう言って、佑の肌に触れていた手を離した。

「佑。俺と…、男と付き合ってること、後悔してるんじゃないか?」

佑は堀井を見て、首を横に振る。

「俺は……」

堀井は佑を見つめた。佑はただじっと堀井の次の言葉を待っている。

「俺のおまえに対する思いで、強引におまえを引き込んで…」

言葉が途切れる。

佑の手が堀井のほおに触れる。

「俺は、おまえみたいに感情をストレートにぶつけて来るヤツは初めてだった。なんの飾りも、鎧も盾もない、素のままの思い。最初は怖かった。どう答えていいかわからなかったし、おまえがどんどん俺の心の中を占めるのも怖かった」

佑が切なげにほほ笑む。

「でも、惹かれた」

佑はまっすぐに堀井を見つめてくる。

「いつの間にか、おまえがそばにいてくれると安心した。もう、一人で強がらなくていいんだ、って…。ただ……」

「ただ、何?」

「自分が弱くなってるような気がして…」

佑がまた目を逸らす。

堀井は自分のほおに触れている佑の手を取り、その手のひらにキスをした。

「それは、さっき言った。覚えてるか?」

「覚えてるよ」

佑は少し怒ったような顔をした。

「佑、キスだけ、もう一度」

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