いつからか彼にいる場所はなかった。もしかしたら最初から無かったのかもしれない。

 いや、きっとそうなんだろう。

 でなくてはこの言いようのない虚無感は理由が付かない。

 家族、というものはある。

 それも生まれたときからずっと。

 人から見るならば所謂、普通の家庭だろう。他から見れば恐らく足りないものがないのだから。

 だけどそれを身近に感じたことがない。

 彼らを家族、と呼ぶとき何処か違和感があった。

 血の縁とはいうけれど、それが何だというのだろう。そこに何かを感じたことがない。

 だが、それに寂しさを覚えたことは不思議と無く、同時にただ何かを求めていることは理解していた。

 それが何かが分からない。

 ただ彷徨っているとは感じていた。

 何処を? もしくはいつを?

 それすら分からないまま、ただ此処にいることしか出来ない。

 それがどうにも歯痒いのに。

 考えても徒労に終わるだけだが、止めることは出来ないまま、今に至る。

 少なくとも彼――辻里つじさと弓弦ゆづるにとって世界は幼い頃から酷く孤独で疎外感のあるものでしかなかった。

 故に幼い頃から弓弦は一人でいることが多く、それこそ友達と呼べるものも皆無に等しい。所属するクラスの中で彼を覚えている者がいるかどうかも分からないが。

 そのくらい人とは関わらないし、そうなれば向こうもそうなる。

 誰かと関わりを持つと言うことに興味がない、それが結論だった。

「弓弦? いるの?」

 ふと彼を呼ぶ声が聞こえた。母が階下から呼んでいるのだろう、少し声が遠い。いつもわざわざ昇ってなどは来ない。恐らく相手に聞こえていなくてもいいのだ。

「……いますよ、お母さん」

 そう端的に返事をし、それ以上は何も答えない。これが馬鹿馬鹿しい儀式のような日常の会話のひとつではあった。

「……御飯よ」

 ある意味残念そうな、どうでもいいような口ぶりもいつものことだ。恐らくそれはお互い様なのだから。

 階下に降りれば、既に家族は揃っていた。いや、揃ったと言っても仕事の父はまだのようだ。

 そして四人席の食卓には弓弦の食事の席は確かにいつものようにあった。

 並んでいる食器やおかずに家族との違いがあるわけではないし、端から見ればごく普通の食卓ではある。

 だが、居場所はない。

 母と妹は弓弦に話しかけることもなく、弓弦もまた話しかけることはない。

 常に母と妹が話す会話の中に自分はおらず、また弓弦の中にも彼女らがいないからだ。

 それが当たり前の世界。それに不思議と違和感を持ったこともない。

 もしも此処に父がいようとも同じこと。

 互いが互いに触れたくはない、触れたくもない。

 それが彼らと自分の答えだった。

 はっきりとしたのは恐らく弓弦が幼い頃に遭った事故のからかもしれない。

 原因は彼が飛び出したとされており、入院もした。それははっきり覚えている。

 元々夢みがちと言われていた少年だったからかなりきつく注意された。彼が時折話していた不思議な話をすることも禁じられたのもこの頃だ。

 その結果、家族との距離が出来た。何故かは知らないが、家族が鬱陶しいと感じるようになり、彼らに構われることを拒否するようになった。

 本当の家族は何処だろう、そんなことすら考えるくらい他人に思える。

 そんな相手と意思疎通が出来るわけもない。よって今彼は家の中で独りぼっちだと言えるが、自分からはじまったことであるし、それを修復しようとも思わない。

 弓弦は静かに食事のみを終え、いつものように一言も誰かと言葉を交わすこともないまま、自分の部屋へと向かう。

 そうして部屋へ戻ると、いつも大きなため息を一つ吐く。ほっとするのだ。誰もいないこの空間が何よりも心地いい。

 ふと小さい頃から聞こえてくる音と声がする。


 ちりん、ちりん。


 とおいあなたはいまいずこ。

 まちてまちまち、きょうもまつ。

 いずこにありや、いずこにありや。

 ああ、あいたい、あいたい。

 

 ちりん、ちりん。


 鈴の音に合わせるかのように可愛らしい声で歌うその声は何処か懐かしくてひどく安心する。

 ずっと誰かを探しているのか、待っているのか、歌詞からしたらそんな感じの歌だと弓弦は思う。

 誰を待っているのだろう。誰に逢いたいのだろう。

 分かるのはいつも同じ声の主であるということだけ。

 尤もこの歌を知っているのは弓弦のみ。そもそも彼しか聞いたことがないものだ。

 誰にも聞こえない歌、詩、唄。

 不思議ではあるが見も知らぬ相手の声は勿論、弓弦にしか聞こえない。何度か母や父、それに妹にも尋ねたが不気味がられるだけで終わった。

 それを聞く度に弓弦は幸せな気持ちになるのに誰もそれを分かるものはいなかった。


 逢ってみたい。


 それがいつの間にか弓弦にとって唯一の願いとなっていた。

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