2話:美人と弁当と腹を壊した俺

どうやら朝を迎えたらしい。

強い日差しが薄いカーテン越しにの目を刺激してくる。身体を起こして大きく背伸びをして盛大な溜め息をつく。腹が減って仕方がない。寝ぼけた頭のまま顔を洗い歯を磨いて昨日のモヤシ料理の残りを食べてみた。

正直、食べ飽きているので美味しくはない。


まだ時間に余裕があるので、昨日起こったことを頭の中で思い浮かべてみる。入学式の日から好きだった春宮はるみや瑠織るおさんという女の子に告白をしたら、なんと男だった上に普通に振られてとてもショックを受けた。

だが私も似たようなものだ。私も女でありながら男の制服を着て、男として学校生活を送っているのだから。


朝からモヤシだけでは元気が出ないが、高校生が実家を離れて一人で暮らしているのだから金銭的な余裕は勿論ない。食費に金をかければ水道や電気が止まりかねない。諦めて学校に行く準備をしよう。


あまり意味がない気はするが地毛をくしで綺麗にとかしてネットの中に収める。その上に黒髪短髪の爽やかな印象を与えるウィッグを被り、細かいところを調整する。


後は上手く言えないが、なんか男っぽいようなメイクを施して完成だ。これでの完成。今日は登校中に瑠織るおさんに会えるだろうか。ただでさえ最近は俺が寝坊してしまい会えないことが多いから、告白して振られた次の日と考えると避けられているかもしれない。


まぁ避けられてても文句は言えない立場だ。終わったことを考えていても仕方がないので、気にするべきは今日の昼飯か。俺の栄養源のほとんどは我が友である小牧こまき幹彦みきひこの弁当の半分だ。入学して一ヶ月、喧嘩した時を除いて毎日弁当を分けてくれるアイツはもしかすると良い奴なのかもしれない。

他の人間の大半から嫌われているけれど……理由は主に性に対する欲求が強すぎるからだ。


といっても幹彦みきひこの料理はあまり上手ではない。具材の切り方も雑だし肉は火を通しすぎて硬い。アイツは確か実家暮らしだが弁当は自分で作っているそうだ。大変だろうな。

そんな悪友のことを考えながら欠伸をしつつ歩いていると、後ろから非常に可愛い声が聞こえてきた。


「あ、おっ……えと、おはようございます!」


振り返ると黒髪短髪でアホ毛が目立つ美少女、瑠織るおさんが立っている。いや美少女ではないのだったか、美少年が適切なのだろうか。だが女の子に近い容姿なのだから……待てよ、容姿で性別を判断するのは良くないから美人と表現しよう。そう、凄まじい美人が俺に声をかけてきた。


「おはようございます瑠織るおさん。なんだか朝に会うのは久しぶりですね」


「そっ……そ、そうですね。最近あまり時間が合いませんでしたものね……」


なんだ? どういう訳か瑠織るおさんの態度がよそよそしいな。と思ったが当たり前か、昨日振った奴と話をしているのだからな。普通に話しかけてくれた方が驚くべきことだ。


そういえば俺を振るにしたって、自分が男であることを言う必要はなかった。俺だって自分の性別を隠して告白した訳だし……勿論、もし付き合えたらいつか伝えようと思ってはいたけど。


その辺なんというか不器用というか、そんなところも含めて非常に可愛い。少なくとも縁を切られたわけではないらしいので心の中でガッツポーズをする。


「……あの、うたさん……今日はその、お弁当を……その、お兄様が、じゃなくて、お、お兄ちゃんが忘れて行っちゃって。取りに帰れないからその、良かったら……」


「えっ―――」


唐突な展開を前にして続く言葉が頭に浮かんでこない。瑠織るおさんが俺に弁当を……? 昨日振ったのに? 破局から始まる恋愛もあるというのか……??


いや落ち着け俺。振られたんだ、恋愛感情でこの人を見るのは辞めよう。瑠織るおさんはただ純粋にお兄さんが忘れた弁当を捨てるのが勿体ないからと俺に渡してるだけだ。そういうことだ。


そもそも冷静に考えたら前提がおかしい。俺は瑠織るおさんが女性の格好をした男性であることを知っているが、瑠織さんは俺が男装をしていることを知らない。だから男と思っているはずだ。


つまり瑠織るおさんから見れば男同士の恋愛になるから……待てよ、恋愛に性別は関係ないよな。実際に俺も瑠織るおさんが女性と認識した状態で告白したわけだし。


そして俺は女であることが嫌だから男の格好をしているだけで肉体的にも精神的にも女だ。だが瑠織るおさんは肉体的には男性だが精神的には女性かもしれない。そうなると気持ち的には男女の恋愛になる。ええい、頭が混乱してきた。


でもすごく嬉しい!!!!


「ありがとう瑠織るおさん! 美味しくいただくね、今日の放課後までに弁当箱を返しに行くよ!!」


「ひゃっ……は、はい!」


大喜びするのを我慢して冷静にクールにお礼を伝えようとしたけど、抑えきれず馬鹿みたいな大声になってしまった。瑠織るおさんが驚いて飛び跳ねている。小動物みたいだな。

実際は虎とかライオン級の戦闘力なんだけど。


声量の調節が出来なくなった俺と瑠織るおさんはそのまま一緒に学校に向かい、それぞれの教室に入っていった。なんとも幸せな登校だった。もう帰って幸せを噛み締めて寝ようかな、なんて一瞬考えたが俺は弁当を食べるまで絶対に帰れない。


木津きづ……早起き。珍しい……明日は雨?」


教室に入りカバンを下ろすと、何やら小さい生命体が話しかけてきた。ただでさえ身長が低い身体を折り曲げ、頭の上から小さめの毛布を被っている。なんとなく座敷童子ざしきわらしのように見える。クラスメイトの白尾しらお音夢梨ねむりだ。


「俺だってそんな時はあるんだよ。幹彦みきひこはまだ来てないのか?」


小牧こまきは……昨日、本屋さんに寄ってから来ると言ってた……多分、二限目から来る」


幹彦みきひこが本屋に……どうせ衣類の布面積が少ない女のキャラクターが登場する本を買うのが目的なのだろうな。思わず溜め息をついて、幹彦みきひこが居ない席を見つめる。友達想いの良い奴なんだが主に悪い意味で欲求に正直すぎる。


階段下でスカートを覗くために一日中待機していた実績を持つ男だ、非常にアホだ。瑠織るおさんが階段を通る時に奴にドロップキックを食らわせて瑠織るおさんの聖域を守ったこともあったな。


学校に何をしに来ているのか分からない。まったく仕方がない奴だ。そんなことを考えながら、俺は一限目を夢の中で過ごした。休み時間になると、ようやく登校してきたらしい変態の幹彦みきひこが俺の頭を叩く。


「おはよう我が友。見ろよ今日は朝から本屋に行ってだな」


「エロい漫画を買って読みながら来たんだろ、鼻息が荒いって」


こんな奴でも、昨日は足元が覚束ない俺を家まで送ってくれたのだから憎めない。憎めないのだが、曲がりなりにも一応は女としてコイツのことは殴っておくべきかもしれない。


幹彦みきひこのエロ談義を聞き流しながら残りの授業も寝て過ごす。これは決してサボりではなく、食事量が少ない自分の身を守る行為なんだ。寝ていればカロリー消費を抑えられる気がする。


寝て起きてを繰り返し、四度寝から目覚めると昼食の時間になった。誰にも邪魔されないような場所で一人で食べようかとも考えたが、我慢しきれず教室の机で瑠織るおさんの弁当を開けた。


標準サイズの弁当箱で右半分は白米、左側には焼き鮭と野菜、あとは見た目では味付けがよく分からないが鶏肉のおかずもある。流石は瑠織るおさん、栄養バランスが考えられている。


「いただきます!!」


急に大声を出したことでクラスメイトに不思議そうな視線を向けられるが、無視して米を口の中に入れる。一粒一粒が丁寧に炊き上げられており、噛めば噛むほど米特有の甘みが出てくる。咀嚼そしゃくを繰り返すと段々と口の中が痺れてくるような、何故かどれだけ噛んでも飲み込めるビジョンが浮かばないというか。不思議な感じだ。幹彦みきひこの茶を滝飲みして無理やり飲み込む。


俺は今、何を食べたんだろう……?


純粋な疑問が脳裏に浮かぶが、モヤシばかり食べて味覚がおかしくなっているのかもしれない。次は焼き鮭を食べてみよう。


見た目は何も問題はない。少しだけ焦げてはいるものの、きちんと火は通っているようだし美味しそうだ。まずは箸で一口大に切って口に入れ……切れないなぁこれ。あまりにも硬すぎる、箸では太刀打ちできない。仕方がないから箸で鮭を持って歯で噛み切るしかない。


―――ガリッ


口の中に広がる魚の風味と血の味。傷一つない焼き鮭は箸の間でご健在、まるで鉄を噛んだような衝撃だ。おかしいなぁ、鉄を鮭にする技術が日本にあるとは思わなかったよ。


そっと焼き鮭を弁当箱に戻し、サラダを食べてみようと気合を入れる。レタスとトマトのサラダだ。トマトから食べようか、小さい方がダメージも少ないだろう。


と思ったが全然少なくなかった。めちゃくちゃに辛かった。水で溶かした唐辛子でも塗っているのかと感じる程に辛く、これが瑠織るおさんの手作りでなければ迷いなく吐き出すところなのだが。


「お、おいうたちん……オメェの冷や汗で机の上に水溜まりが出来てるの気がついてるか?」


「黙ってろ……俺は今、瑠織るおさんの弁当を食べているんだ……食事中は静かにするものだろ」


普段は適当に喋りながら幹彦みきひこの弁当を食べているが、瑠織るおさんの弁当ならば話は別だ。どうしても責任をもって食べる必要がある。弁当箱を返した時に中身が残っていたとあれば瑠織るおさんに申し訳ない。


ここが俺の関ヶ原、食うか捨てるかの大決戦だ!!


木津きづ……まるで、おとこの顔をしている……」


「間違いねぇ……アイツが自分の弁当食べるなんておかしいと思ったんだ。ごみ箱から拾ってきたのか……?」


数少ない友人の視線を浴びながら俺はこの弁当と対峙している。野菜は噛める、数回噛めば呑み込める。米は茶で流し込む。鮭は……鮭はどうしよう。歯が通らないんだよな。いや迷うな、気合いで噛むしかない。


もしかすると瑠織るおさんが自分から弁当箱を回収に来てくれるかもしれない。ことは一刻を争う。俺は心の中で念仏を叫んで強敵を胃の中に放り込む。都合のいい時の神頼みだ。


そこから先はよく覚えていない。謎の鶏肉のおかずを食べるのが一番厳しかった。顔を洗っている時に洗剤が口の中に入ってしまったような味がした。味覚が麻痺していて今なら泥でも濃厚スープとして飲める気がする。


午後からの授業も寝て過ごした。いや、もしかすると気絶の方が適切な表現だったかもしれない。気がつくと放課後になっていた。幹彦みきひこの姿が見えないので、きっと運動部の覗きに出かけたのだろう。神様もう一つお願いです、あの男に天罰が下りますように。


食事のダメージが抜けきれず未だ震える身体に鞭を打ち立ち上がる。早く弁当箱を返しに行かないといけない。

昼間のうちに教室まで行って渡しても良かったかもしれないが、他の生徒に見られれば変な誤解をされかねない。幸いにも俺達の通学路は俺と瑠織るおさんくらいしか通らないから、道中で返せば見つかる可能性は低いだろう。


靴箱に向かっていると瑠織るおさんが小走りでやってきた。走る度にアホ毛がぴょんぴょんと跳ねて非常に可愛らしい。


「ご、ごめんなさい。こちらに居たのですね……お待たせしました」


よく見ると瑠織るおさんは少し汗をかいていた。もしかして入れ違いになって俺を探していたのかもしれない。せめて教室を覗くべきだったか。申し訳ないことをした。それにしても、慌てて走ってきたように見えても息切れは一切していない。この学校って割と広いんだけどな、体力が桁違いだ。


「す、すみません他の人に見つかったら嫌かと思って……お弁当、マジで美味しかったです!」


「本当ですか! 良かった、今日のは特に自信作だったんです!」


嬉しそうな表情の瑠織るおさんを見ると味覚も元に戻ってしまいそうなぐらい癒された。本当に天使のようだ、彼女の弁当を毎日食べられるお兄さんには両手を合わせて合掌するしかない。身体には本当に気を付けてください。


次の日の朝、俺は体調不良という理由で学校に休むことを伝えたが、担任の先生には「またサボりかいな、出席日数足りんくなっても知らへんで〜」と信じて貰えなかった。


普段の行いは大事だなと思いながら、腹を下した俺はその日の大半をトイレで過ごした。 END


―――――


・おまけ

登場人物紹介


木津きづうた

性別:女性?

学年:一年生

誕生日:七月一日

好きなもの:瑠織るお 祖母

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