笑顔の魔法のアリス
神凪
きっといつか
「これ、あげるよ」
近所に住んでいた栞さんは、そう言って僕にひとつのぬいぐるみをくれた。金髪の、メルヘンな格好をした小さなぬいぐるみ。
こんな田舎では近所の仲は家族にも等しいものになる。僕と栞さんはずっと一緒に育っていた。ずっと、なんて言っても僕はまだ中学生だから、それほど長い時間ではなかったけれど。
「わたしは来月からここにはいない。遠くに行くからね。だから、そのアリスを大切にしてくれると嬉しい……と思ったんだけど、中学生の男の子あなたにぬいぐるみは幼すぎるかな」
「ううん、大切にする」
「そか。じゃあ、うん。大切にしてね」
小さなぬいぐるみだ。丁寧に作られていて、でも少し縫い目が荒いところがあって、手作りなんだというのがわかる。
栞さんはそれから一ヶ月後、遠くの大学へ行った。東京の、大きな大学らしい。
そして、それから二年後に俺は高校生になった。
「……おはよう、アリス」
たまに。栞さんのことを思い出して話しかけてみる。もちろん返事は返ってこないけれど、それでもよかった。その少し笑んだアリスの顔を見るだけで、少しだけ元気が出た。
二年も経つと少しほつれてきたところもある。その度に修復して、今もアリスは栞さんからもらったときと違わぬ形で笑っている。
それからまた二年。高校三年生になった。
「はぁ? 東京の大学に行く?」
「前から言ってただろ」
「栞に会いに行きたいからって……」
「違うよ。俺は、やりたいことがあるんだ」
アリスのように、誰かの支えになるものを作りたい。それが俺のやりたいこと。俺の夢のようなものだ。もちろん、栞さんの作ってくれたものだから、という理由もあるので全く同じことはできないだろうが。
その先で、また栞さんと出会えたらいいなと思う。でも、東京に行きたい理由はそれじゃない。
結局両親は根負けする形で俺が東京に行くのを了承してくれた。金銭面で両親に負担をかけてしまうことになるのはわかっているから、その辺りは俺も努力していきたい。
大学に通い始めて、すぐにアルバイトは見つけられた。ようやく働くことにも慣れてきて、初めは億劫だったバイト先への道も今では少し足取りが軽い。ただ、やっぱりこの満員電車というものには慣れられそうにない。だから今日はアリスを持ってきてみた。少しだけ気分が良い。
「……えっ?」
すれ違った、聞き覚えのある声。
「……栞、さん?」
「まさか……そっか。まだ、持っててくれたんだ」
たまたまアリスを持ってきていた。そして、栞さんはまだ覚えていた。俺に渡した人形のことを。そして、俺のことを。
あのときはまだ持っていなかったスマホで連絡先を交換した。住所も聞いた。意外と近くなことを聞いて、二人で笑った。
アルバイトの後に栞さんの家に向かうと、夕飯を準備して待っていてくれていた。
「驚いたよ。まさか、大学生になっても大切にしてくれてるなんて。ていうか、大学こっちなんだ? わたしのため?」
「違うんだ。やりたいことがあって」
俺が東京に来た理由を話すと、栞さんはどこか嬉しそうに話を聞いてくれた。後で聞くと、自分が俺の夢のようなものになっていたことが嬉しかったらしい。
それから、数年が経って。俺はデザイナーになった。とても裕福な暮らしとは言えないけれど、隣にいる妻は俺の夢がこの形で叶ったことが嬉しいようで、いつも笑顔だ。
そして。俺たちの隣にはもう一人。
「こらっ! 栞凪!」
「ママこわーい」
「その辺にしといてあげて、栞」
娘ができた。少しやんちゃな子ではあるけど、いい子だ。
栞凪はかわいらしいものが好きだった。仕事ではなくても栞凪のために人形を作ったり、栞がぬいぐるみを作ったりしていた。その度に栞凪は嬉しそうにするものだから、俺たちもつい甘やかしてしまう。
「……なあ、栞凪」
「なにー?」
「パパの部屋のさ、金髪のぬいぐるみ。昔欲しがってたよな」
「えっ、えっ! うん!」
「あげるよ」
「えっ!」
今まで栞凪が見てきたものの中で一番気に入ったものがアリスだった。もう少し小さい頃はずっと昔のものだから渡すのを少しためらってしまったけど、今なら。一つ一つを宝物のように扱ってくれるこの子に、自分の宝物を渡そうと思った。
「やったー! ありがと!」
「大切にね」
いつか、このただのぬいぐるみがこの子の笑顔の魔法になりますように。
笑顔の魔法のアリス 神凪 @Hohoemi
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