幽霊美容室 ショートストーリー 麗しき幽霊は今日も憂いを秘めている

高峠美那

幸か不幸か?夜中の散歩は夢の浮橋

 満開の夜桜の下から空を見上げる。目の前に溢れた薄紅色の桜の隙間から、月が桜を照らしていた。

 

 夜の闇に、花びら一枚一枚発光しているように見えるのは満月のせいかもしれない。


「いつの間にか、満開だなぁ」


 洸希こうきは勉強に一息入れて、夜の桜並木を歩いていた。


 九時まではライトアップされていたため、賑やかだったはずなのに、今は人影はない。


 春だというのに夜はまだまだ肌寒く、夜中の十二時近くとなれば、首筋に感じる冷たい風は、冬の置き土産とでも言うべきか…。


 つい、ポケットに両手を突っ込み、背中を丸めて歩いてしまう。


 ふと…、洸希の前方から、草履ぞうりを鳴らして歩く足音が聞こえた。

 

 カッカッカッ…。カッカッカッ…。


「…こんな夜中に?」


 思わず怪談の類いを疑うが、男と女と分かれば、まあ時間など関係ないと納得してしまう。


 草履って、カラン、コロン…て鳴るんじゃないんだな。


 静まり返った桜並木。真夜中…。

 そんなシチュエーションのせいで、場違いな事を考えてしまった洸希は、あまりジロジロ見るのも悪いと、下を向いた。


 …が、二人とすれ違う前に、洸希の足が止まる。


 白い足袋たびに金のつづれのぞうり。

 麹色こうじいろの布地に、淡黄と薄紅色の小さな蝶が舞っている美しい着物。


 前裾を抑えた女は、洸希に向かってニッコリ笑い頭を下げたのだ。


 いや…。挨拶くらいしてもおかしい事ではない。

 だが、背筋を伸ばし、鮮やかな髪飾りをつけた女と、着流し和服に羽織を引っ掛けただけの若い男。

 現実味がなく、満開に咲く桜と相まって、映画の撮影か何かなのかと思ってしまった。


「今夜は、この辺かしらね」


 女は洸希の横を通り過ぎたかと思うと、枝先まで満開に咲く桜の手前で立ち止まった。


「…この辺? お客さんがいらっしゃるけど、始めちゃって良いのかしら?」


 いつの間にか、二人を凝視してしまっていた洸希は、男のおネエな口調に驚く。


 …そっちの人? 違和感ないけど。

 …でも、何を、始めるつもりだろう?


 ふだんなら、立ち去っていたと思う。だが興味の方が先にたった洸希は、二人から少し離れた木のベンチに腰を下ろした。


 どうせ急いで帰ったところで、勉強とゲーム以外、やることはない。


 見学を決めた洸希に、女がニッコリと笑う。男の方は少し心配気に小首を傾げた。


 男のくせに、嫌に色っぽい。


「…少しうるさくなるけど、坊やはいい?」


 坊やという言葉に、引っ掛かりは感じるが、洸希は黙って頷くと、男もクスクス笑いながら頷いた。


「セキ。音をちょうだい!」


 すっ…と、女が扇子を広げた。女の柔らかな表情が少しだけ緊張する。

 セキと呼ばれた男も胸を反らした。


 そして……。


「え―――?!」


 真夜中の桜並木に、男の声が響いた…。


 歌なのだろうか? 独特の節回しと、先程のおネエ言葉を発していた人物とは思えない、低く、伸びのある艷やかなハスキーボイス。


 歌に合わせて、何処から出したのか…女が右手に持った剣をまっすぐにさす。対象的に左手に持った扇は柔らかに…。


 ―――剣舞けんぶだ!!


 舞いの基本動作は、剣術や間合い、礼法などが含まれているのがわかる。それを女の表現力で舞踊としての美しさと芸術さを見せつけられた。


 麹色の着物によく似合う緑色の帯。

 斜めにひだをとって作った帯結びは、左右アンバランスに締められた若葉文庫。

 萌え出る若葉に、品の良い桜を花飾りにあしらい、飾りだとわかっていながら匂い立つほど美しい。


 幻想的だ。男と…それに合わせた女の舞い。


 あれ? 洸希の手先と膝が、小刻みに震える。


 ゆっくりと舞う旋回動作は、スローモーションのようで。


 目が離せない。喉にも飴玉を飲み込んでつまらせたような苦しさ。


 銀に光る剣は、月光に反射して触れたら切れてしまいそうだ。


 洸希は自分が興奮しているのだと気づく。


 何に?


 ――女の踊りに。男の歌声に…。


 一瞬、ほんの一瞬…、剣舞を舞う女の地面が蠢いたように感じた。


 だが、女が鋭く剣を振ると、ふわりと舞った桜の花びらが、なだめるように土に被さる。


 どこで息継ぎしているのかと思う節回しが、一層深くなって真夜中の桜並木に吸い込まれていった。


 セキと呼ばれていた男が、羽織の肩を上下に揺らして音を収めると、女も満足そうに足を揃えて扇を閉じる。


「…まあまあかしらね」


 たった今まで踊っていたにも関わらず、息が乱れた様子はなく、着物も着崩れは感じない。


 男の方は、少しだけ上気しているが、それ以上に真っ赤になっている洸希を見てクスクスと笑う。


「坊や、大丈夫?」 


「あ、あの、今のは…?」


「あの人の剣舞には、供養の力があるの」


 あの人? 


 彼女は凛とした佇まいで立っていた。男が彼女を見る。二人がどんな関係なのかはわからない。


 でも、洸希は二人に感動したのだ。


「あ…んたの歌は?」


 興奮で、カラカラに乾いた唇を舌で湿らせて何とか尋ねる。男は特別気にした様子も見せずに相変わらずクスクス笑って答えてくれた。


「あたしの歌? 吟詠ぎんえいね。詩吟しぎんとも呼ばれるけど、詩に節調をつけて歌う芸道ね。 “声”のみで詩の内容や背景を表現するのよ」


「はあ…」


 歌舞伎や、能みたいなものだろうか?


 洸希は今迄、これ程の興奮を味わったことがない。


 血が逆流するかのような熱さ。

 焼け付くような喉からの感情。

 全身の毛が、逆立つ感覚を知ったのも始めてだ。


 今迄、なんとなく高校生活をすごし、特別やりたい事もないからと、なんとなく都会の大学受験を目指して勉強をしている。


 だけど…、今は無性に何かをやりたい!

 何か、目標を持って取り組みたい!

 今ならどんな努力もできるって思えるくらいに!


「あら、さっきよりイイ顔してるわねぇ」


 うふっと、男のくせに手弱女なおネエの声が、先程のハスキーボイスをのぞかせた。


 夜中の散歩で、ひょんなことから男前のおネエと、着物美人に出会ってしまった。


 また…ここで会えるの?


 そう言おうとしたのに…。


 ザザザン…!


 強い風が花びらを舞い上げた。

 ぶわっと舞い上がった花びらが、誰かを求めて夜の闇に消えて行く。


 散った花びらを目で追いかけていた洸希が、目線を戻した時には二人の姿は消えていた。


 ……興奮で未だ震える指先を握り込む。


「幻だったの?」


 真夜中の散歩。桜並木…。美しい剣舞の舞。


「帰ろう…」


 あの余韻と興奮が残っているうちに――。


 

 * * * *



 今年も、満開に咲き誇る桜並木の下を、たくさんの人が行き交っていた。


 犬の散歩をする人。ジョギング。通学、通勤。


 セーラー服を着た女子高生二人が賑やかにお喋りしながら歩いて行く。


「ねえ。見て! 今月号のメンズファッション誌。KOKIが表紙モデルなんだよ!」


「あー!! あたし昨日買いに行ったのに、完売で変えなかったヤツー。見せて、見せて!」


「今月特集組まれてるの。質問コーナーに、KOKIがモデルを目指したきっかけってあって……、うわっ」


 ザザザザ…。


 朝露をしめらせた桜吹雪が、何かを祝うように高く舞い上がった。




       

  『幸か不幸か?夜中の散歩は夢の浮橋』

         おわり

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