第17話 階段下の男
扉が開くと古びた紙とインクのにおいが鼻の周りをぐるりと取り囲んだ。
「ここは見ての通りの場所ね」
「すっご…」
扉の向こうに広がっていたのは、これまた木造でかなりの年月が経っていそうな巨大図書館だった。
図書館は二階建てで、左右対称的に配置されている本棚が奥のほうまで整然と並んでいる姿は、圧巻の一言に尽きる光景だった。
床にはところどころ黒ずんだ赤いカーペットが敷かれ、天井からは豪勢な作りをしたシャンデリアが吊るされていた。
「なんだか、現実じゃないみたいですね…」
魔法使いが住んでいそうと思えるくらい、時が止まったかのような内装が施された図書館に、宏樹は思わず見惚れていた。
「宏樹君、こっちよ」
そんなことをしていると先に進んでいた安奈が、右側の階段近くで手招きをしていた。
宏樹が安奈がいる方へと進んでいくと、彼女の後ろに何か隠れているのが見えた。
「ここよ」
「ここですか…?」
安奈の背後にあったのは、階段下へと繋がっていると思われる幅の小さな扉だった。
「失礼します」
3回ノックをして中へと入っていた安奈に続いて宏樹も扉の向こう側へと足を踏み入れた。
中に入るとそこには黄色い光に照らされたこじんまりとした部屋があった。
右手にはパーテーションで仕切られたキッチンがあり、正面には数人が座れるような丸机と椅子が置かれていた。
「支配人。例の者が、あなたに会いたいと申しています」
「…きたか」
安奈がそう声をかけると、ゆっくりとした口調の返事が戻ってきた。
支配人と呼ばれる人物は部屋の奥に置かれた机に向かっており、遠目でよく見えないが何か図面のようなものを書いているようだった。
…あの人が……
支配人は握っていた筆を机の上に置き、椅子を回してこちらへと向き直った。
長袖の白シャツときちっとアイロンがけされている黒のベストを着た初老くらいの男性で、キリッとした白眉毛と品のある話し方が特徴的な人物だった。
「まずは座れ」
「はい、ここで…いいですか?」
「うむ」
宏樹は言われるがままに部屋の中へと入り、支配人の言葉に従って椅子へと腰をかけた。すると…。
「安奈君、彼にお茶を」
「承知いたしました」
支配人の一声で安奈はキッチンの方へと向かった。
「あ、あの…。すいません、お茶なんか…入れてもらって…」
一人取り残された宏樹は少し物怖じしながら声をかけた。
「まあ、そう緊張せんでもよい。ここに来ればもう恐ることはないのだ」
支配人は使っていた筆の毛先の手入れをしながらそう返してくれた。
「名はなんというのかな?」
「銀走です。銀走宏樹と言います」
「宏樹か…いい響きだ」
支配人はそう言って、筆をひっくり返して反対側の毛先も整え始めた。
「だいぶ汗をかいていたようだが、外は暑かったのだな?」
「はい、今日は夏日だったので…」
…ん…?……なんか…
支配人の発言に僅かだけ違和感を覚えた。
「そうか…今は確か、夏だったな…。安奈君、お茶はよく冷ましてやっておくれ」
「はい、承知しました」
ぱっと見は口数が少なく堅苦しい人かと思っていた支配人だが、話してみると近所の人当たりのいいお爺さんと接しているような感じがした。
そんな話をしていると支配人が手入れを終えた筆を筆立てへと刺して、こちらへと向いた。
「それでは、始めるとしようか」
向き直った支配人が改めて口を開く。
「私の名はバウアー・アルフ、歳は今年で61。知っての通りこのハルマの都の支配人をしている者だ」
支配人が明かした名を聞いた宏樹は少しばかりその名前に興味を示した。
どうやらアルフはムンストのとある田舎町出身だそうで、10代の頃に戦争終結を機としてここルゾンテへと飛んで来たという。
「50年ほど昔のことだ…もう母国語も忘れてしまったな」
「そんなに長くここにいるんですね〜」
戦争時代を生きた人ということで、アルフはきっとさまざまな経験をして来たのだろう。
「私のことはほどほどに。次は、君の話を聞こう…」
「は、はい。実は…」
アルフにじっと見つめられ返事を求められていると理解した宏樹は、吃りながらもここにくるまでの説明を始めた。
「きっかけは…自宅の中で見つけたある写真なんです」
「写真、か…。見せてもらえるかな」
宏樹はアルフに例の写真箱とその中身を見せながら、説明を続ける。
「その写真を見た瞬間、妙な現象に襲われたんです。なんというか…知らない誰かの記憶のようなものでした…」
「ふむふむ…それで?」
「それから、いつもの街中で戦車のような“モノ”に遭遇するようになったんです。どういう関係があるかはわからないんですが…」
「なるほど…。しかし、どうやってここを?」
「それは、この写真の裏に…」
宏樹は先ほど見せた写真の裏に書かれてある“あの地名”を見せた。
「『北御谷』か。我々にとっては少々語りづらい名だな…」
語りづらい…とはどういう意味だろうか…?と疑問に思ったが宏樹が尋ねるより先にアルフが口を開いた。
「それで、その地名を頼りにここまでやって来たわけか…」
「そうなんです…他に手がかりもなくて…やっとのことでここを見つけたんです」
「なるほど…」
今までの体験を信じてもらおうと必死に訴えているからか、無意識に声に神妙さが乗っかる。
そんな時…。
「お茶が入りました」
安奈がお茶の入った急須を持って来た。
「あ、ありがとうございます…」
宏樹は丁寧にお茶を入れてくれる安奈に、少しだけ改まる。
妙にかしこまった態度で接してくる彼女は、さっきまでと全然違う人のようだった。
「いただきます…。ん!美味しい!」
入れられたお茶は高級感のある玉露で、かつちょうどいいくらいの温度に冷やされていて、乾いた喉と全身に潤いをもたらした。
「ありがとうございます、安奈さん」
「どういたしまして」
彼女は僅かに微笑んで、またキッチンの方へと戻っていった。
アルフも、入れられたお茶を口に含んで喉を潤わし、再び話し始める。
「結論から言おう。お前さんが見てきた“モノ”は全て、紛れもない現実だ」
アルフはさらに続ける。
「誰かの記憶を見ることも戦車に襲われるのも、ここの住人のほとんどが経験している、疑いようのない事実だ」
「やっぱりそうですよね!?あれは間違いなんかじゃないんですよね!?」
「そうだが…」
宏樹は嬉しさのあまり椅子から立ち上がって一歩アルフへと近づく。その喜びようにアルフは少し困惑していた。
安奈の時もそうだったが、敵がいて絶望するよりも自分を信じてよかったという気持ちの方が勝っていたのだ。
喜んでいる宏樹にアルフが質問を投げかける。
「見間違いではないとわかった今、お前さんはどうするつもりだ?」
その問いに対して宏樹は一瞬の迷いもなく答えた。
「当然、俺は戦います!」
「…戦う…か」
「はい!あいつらに襲われた時、俺は何もできなかったんです…。もし次襲われたら、今度こそ…!」
宏樹はなんの対抗手段もないまま襲われるのはもうごめんだ!と必死に訴えた。
「是非、戦い方を教えてください!奴らを倒す方法を!」
宏樹がそういうとアルフはしばらく黙っていた。
「…方法は、ある…しかし………」
「…?しかし…?」
俯きながらアルフは話し始める。
「奴らと戦うための訓練は長く過酷になるだけではない…。わかるな…?”死と隣り合わせ“になるのだ」
アルフは一呼吸一呼吸置きながらゆっくりとそう告げた。もしや脅かしているのだろうか?
宏樹はそんな脅しに今更怖気付いたりはしなかった…。
「やらないで腐れるより、やって爆ぜた方が百倍マシです!」
宏樹もアルフに対抗するかのように、声に力を乗せてそう返した。
…こんなところで負けているようでは日常には戻れない…!
宏樹はそう自分に言い聞かせて恐怖心を吹き飛ばしていたのだ。
「…そうだな………」
アルフは長い沈黙の後ようやく頷いた。
「後戻りはできないぞ?」
「初めからそのつもりです!」
「わかった…」
宏樹の熱意がアルフに届いたようで、宏樹は戦うための訓練を早速受けられることになった。
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