第一章 さらば日常

第1話 何気ない日常



ーーーキーンコーンカーンコーンーーー


蒸し暑い熱気のこもる体育館に時限終了のチャイムが響き渡る。

「起立!礼」

指導主任の号令が終わり、後ろのドアが解放された。

それを皮切りに、体育館にぎゅうぎゅうに詰まっていた生徒達が一斉に動き始める。

さながら一箇所の穴に向かって落ちて行く砂時計の砂の様だった。


今日は高校二年の春の始業式で、たった今体育館での式典が終わったところだ。

「二学年起立!移動」

一学年が移動し終えたのを見計らって指導主任が再び号令をかける。

その号令に従って立ち上がった生徒がまたしても少しずつ少しずつ移動を始める。

僕もその流れに乗って歩き始めた。


僕の名前は銀走ぎんばしり宏樹ひろき

御谷山みたにざん市内の公立高校「御谷山高校」の普通科に通っているごくごく普通の高校生だ。

どこにでもいる平凡な男子…というとあまりにもアバウトで自我がなさすぎるが、変わり者だと言われる事もその自覚も無い。

だから自分の紹介をするたびに話す内容が思い浮かばなくて困ってしまう。


これから新しい教室に向かって、新しい教科書をもらってすぐに下校する...

と、砂時計の砂になりきりながら、そんなことを考えていたのだが...。


移動中、前方を埋め尽くす人の渋滞が妙にざわついた。

「おーい宏樹今日午後空いてるだろ〜??」

人混みのざわめきの中から誰かの声が聞こえてきた。

「放課後、カフェにいこうぜ!」

そして、声の主は自分と前の生徒の間に強引に割り込んできた。


こいつは彼発ひだち幸人ゆきひと

小学生からの付き合いで、同じ高校に入ってからもいまだに一緒に行動することが多い友人の一人だ。

性格は好奇心旺盛な自由人で、人一倍の活気に満ちあふれている。

楽天的で怖いものなしといえば聞こえはいいが、たまに何も考えずに行動を起こしたり問題に首を突っ込んだりすることがある。

一番記憶に残っているのは屋上よじ登り事件だろう。


あれはたしか小学5年の時だろうか?僕と同じクラスだった幸人はある日の放課後、教室のベランダに取り付けられていた排水管から屋上によじ登ろうとしたことがあるのだ。

本人は大したことはしてないと思っていたそうだが、その事件は当時校内で大騒ぎになった。


幸人の両親が学校へ呼ばれたり、それ以降は校内ベランダへの出入りが固く禁止されたりと。

とにかく好奇心の塊だった当時の彼は学校からも親からもかなり監視されていた、危なっかしい人物だった。

周りの目を気にするようになってからは突発的な行動は目立たなくなり、今では陽気で人当たりのいい普通の男子という枠に収まっている。


「カフェ?いいよー」

特に予定のなかった僕は、OKの返事を返す。

「おっしゃあ!じゃあ決まりだな、あいつにも知らせてくる!」

そう言って幸人はまた人混みの中に吸い込まれていった。

今日は一日予定が出来たな…。

そう思いながら僕は体育館の扉をくぐった。


*  *  *


「そんじゃあ、14時に御谷広場に集合な」

「わかった」

「オッケー」

日差しが強い昼下がり、二人と校門で分かれた僕は自宅へ向かって歩き始めた。

歩き初めて5分ほど経っただろうか?僕の額には汗が滲んでいた。

まだ4月が始まったばかりだというのに、予報では気温が30℃手前を記録したと言っていて、少し動いただけでもかなり暑い。

今年は猛烈な熱波が来ているようで行き交う通行人の中にはすでに半袖を着ている人も少なくなかった。


予報外れの熱に蒸されながら歩く僕は、この高校に入学したちょうど一年前の日のことを思い出した。

その時はまだ日中でも肌寒く外出時はセーターは必須だったのに、今はカッターシャツだけでも汗をかくほどには暑い。

校門の桜の木も去年のこの時期には満開だったのに、今年はもうほぼ散ってしまい青々とした新緑に覆われようとしていた。

そんなことを考えながら歩みを進めること15分。僕はようやく自宅へと辿り着いた。


「ただいまー」

と言ってみたが今は平日の昼間。

両親は共働きのため誰もいない。

僕はとりあえず扉を閉めて荷物を置くのと同時に玄関に座り込んだ。


「はぁ〜疲れたぁ」

そして大きな背伸びして大きな深呼吸をした。

今日は新学年に上がって最初の登校日だから、新しくもらった教科書の類いが両肩の大きな重しになっていたのだ。

その上今日は異常とも言えるくらいの猛暑日。そのせいで重さの体感が増していたように思う。


一回休憩して呼吸を整えた僕は、背負っていた荷物を一気に抱えて1段飛ばしで二階へと続く階段を駆け上がった。

「それぇーい!」

階段登って左、手前から2番目の自分の部屋の扉を開けるや否や、荷物を部屋の隅に放り投げてベッドへと飛び込んだ。

ベッドの上には倉庫から取り出していた、夏用の冷感タオルケットが敷かれていた。


「あぁ〜気持ちぃー」

きっと背中には汗が滲んでいるだろうから、ベッドが汚れてしまうな…という背徳感こそ湧いたが、背中にこもった熱がどんどん冷まされていく最上級の快感がそれを圧倒する。

やっぱり夏は涼しい部屋にいるに限る。暑いのはもうこりごりだ。

と、天井を眺めながら僕は思う。


それからというもの、僕はベッドの上で横にダラダラとしていた。

感覚的には10分くらいだろうか?

スマホを見ていると時間はあっという間に過ぎてしまう。

気づくとすっかり体の籠り熱は消えていて、ふと時計に目をやると時刻も午後一時を回ろうとしていた。


まだまだいけるな……

昼飯は先ほどの友人らと学食で食べ終わっている。

集合時間まではあと40分くらい寝てても全く問題無い。

そう考えてまた視線をスマホへと向けた。


今日は午前上がりの日。

だらけてしまうのはもはや定められた運命と言っても過言ではない。

…たぶん、いや絶対そう!

そうやってなんとか己を正当化しようとしていたが、ふと僕の脳裏に昨日の親との会話がよぎった……。



「やっべ忘れてた!」

僕はそう叫んで、勢いよくベッドから起き上がった。

昨日の夜、今日の放課後に衣替えをしておくように言われていた事を今更思い出したのである。

「なんで忘れてんだヨォ」

そう自分を卑下しながら、冷静に今の現状を頭の中で整理する。


…冬服を直すのに20分…逆に出すのに30分…。

改めて考えてみても、衣替えはだいたい1時間はかかる計算だ。

始めるなら今すぐじゃないと確実に間に合わない。


「始めよう!急げばなんとかなる」

友人たちと遊ぶとなったら帰宅するのは間違いなく夕方か夜になる。

帰ってから始めるとなったら親が帰ってくるまでには確実に終わらない。

やると決めた僕は持ち帰った荷物をバタバタと整えて、2階の廊下奥にある倉庫へと向かい木製の古びた扉を開けた。


「うっ…」

扉を開けるや否や、僕は鼻をつまんだ。


ここの匂いはいつになっても慣れない。とめどなく漏れ出してくる独特な匂いに思わず顔を顰める。

人の出入りが少ない場所はどうしても独特な匂いになりがちだ。

ばあちゃんの家や旧校舎の教室なんかもそうだ。

少し嫌だが鼻をつまんで口から息を吸うようにして倉庫の中へと入った。


…うわぁ、、、

この場所には大体半年に一回しか人が入らない上、窓もなくて風を通すこともできないから、庫内にあるものはもれなく埃をかぶってしまう。

案の定壁にかけられた昔の母の帽子や使わなくなった父の古楽器類は埃をかぶっており見るも無惨な姿だった。

埃まみれの思い出を横目に奥へと入っていき目的の衣装ケースを発見した僕は、呼吸を止めて一気に衣装ケースを庫外へと引っ張り出した。


幸いにも衣装ケースはほとんど埃をかぶっておらず、拭き掃除は必要なさそうだった。

「よし、パパッと終わらせよう」

そこから僕はテキパキと衣替えをした。

それから40分ほど経過した頃ようやく衣替えをやり遂げ、冬用の服が詰まった衣装ケースを倉庫に戻し終えた。


「終わったぁ!!」

僕は手をはたいて思わずそう漏らした。

予想していたよりもやや早めに終わって、ある種の達成感がを感じていた。

目先の課題をやり終えて満足した僕は、倉庫から出て庫内の電気スイッチへと手を伸ばそうとした…。


しかしその時、僕は倉庫の奥に置かれている妙なものを見かけてしまった…。

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