天使のこころのかたち

篠岡遼佳

天使のこころのかたち


 暖炉の炎があたたかい。


 ロウソクが幾本か立っている薄暗い部屋に、控えめなノックの音が響き、ゆっくりとドアノブが回る。


「――あのう、ご主人様? いま、よろしいですか?」

 そっと顔を覗かせたのは、一瞬少女と見まごうような、線の細い金髪の少年だった。

 年の頃は13くらい。セーラー襟の上着に半ズボンを身につけている。どこかの制服のようにも見える。


 部屋の主は机上の書類から顔を上げて、少し微笑んだ。

「おや、こんな時間にめずらしいね。眠れないのかい?」

「いえ、あの……」

 少年は何かを言おうとし、しかしうまく言葉を選べない様子だ。

「まあ、廊下は寒いだろう? こっちへおいで」

「はい、失礼します」

 

 部屋へ入ると、少年の身が橙の灯りに照らされた。

 金髪はやわらかい飴色を返し、瞳の湖水は夕暮れの色だ。

 そして、背には彼の身長より大きな、光に透き通る"翼"があった。

 ――天使だ。



 天使が最初に現れたのは、400年ほど昔だという。

 みな総じて曰く、「高き御方」に作られ、そして地に降り立ったことが最初の記憶なのだという。

 水と日光のみで生きる彼らは、ある程度の社会通念を身につけており、そして「だれか」に仕えることを求めていた。

 ひとびとは「高き御方」を、信じる「神」と同一視し、「天からの使い」、天使と名付けた。いまでは、どこのちいさな村にもひとりは天使がいる。


 この石畳の街には、天使が正しく奉仕の活動ができるよう、「学校」というところがあった。

 部屋の主人と、天使の少年が出会ったのは、そんな学校近くの花屋だった。


 

 少年は胸にノートを抱き、困ったように話しだした。


「学校で、宿題が出たのです。それが、よくわからなくなってしまって」

「ふむ、まずは座りたまえよ。そして、ゆっくり話してごらん」

「はい……」

 ふわりと羽を揺らしながら、赤いベルベットのソファに座る。

「宿題は、『愛を伝える』というものです」

「ほう、最近の学校は愛も教えるのか」

「先生がおっしゃるには、奉仕には愛がともなうことが必要だと」

「なるほど、それで?」

「それでその、今までのことを考えていました。その――」

 ノートをぎゅっと抱きしめ、

「――以前の『ご主人様』たちのことを」



 天使が加齢で死ぬことは、現在観測されていない。

 そもそも、成長しても成人になるかならないかであるし、寿命があるかどうか、それもわかっていない。


「みなさん、とてもいい人でした。

 だから大切な思い出や、優しい記憶はたくさんあるのです。

 でもそれが「愛」なのか、わかりません。

 僕はちゃんと、毎日を、過ごした時間を、奉仕させていただいたことを、みなさまを、看取る時も」

 一瞬言葉を止め、

「愛せていたでしょうか」


 少年は俯き、眉を寄せて続ける。


「ご主人様。記憶が、記憶は、残るのです。いろんなことをした記憶が。

 まだ僕は三回しか見送っていませんが、それでも、記憶がたくさんあるのです。

 それをずっと、持っていてもいいのでしょうか。

 僕は……たくさんの人を想っていてもいいのでしょうか」


 気付くと、少年は髪を撫でられていた。

 部屋の主人は、寄り添うようにソファに座り、


「いいかい、"それ"が君自身なんだ。

 君自身のこころは、想うことで作られている。

 私たちは、そこが同じだから一緒に生きていけるんだ。

 毎日の記憶を、愛おしむこと」


 そして、大事なことだよ、と、


「愛しい記憶は、決して消えない」


 そう言って、泣きそうな少年を抱きしめた。


「……あたたかいです」

「そうだね、いま、そう感じているのは、君と私だけだ。

 この瞬間、君との距離を縮められるのは、"いま"は私だけだよ」


 ふっと笑い、「独占欲かな、これは」とつぶやいてから、 


「おいで、たくさん愛をあげよう。君の知ってるものも、もしかしたら知らないものも」


 柔らかな少年の頬に、自分の頬を寄せた。

 愛しさが伝わるように。



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天使のこころのかたち 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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