第9話 確率論的多重世界
俺はまず、俺の世界とこの世界の歴史を比較する作業に参加した。
あまり歴史の勉強は得意ではなかったが、語呂合わせで覚えていることなどもある。もちろん、この世界の歴史年表を見ながらなので思った以上に比較できる。
「鳴くよウグイス平安京」
「えっ? 鳴くなウグイスじゃないの?」
「なんで、鳴いちゃいけないんだ? 鳴かせてやれよ」
「そういう問題じゃないでしょ!」
大雑把に言えばこんな作業だ。意外と面白い。
ウグイスが鳴いたかどうかはともかく、歴史を比較しているとこういう微妙に違うものが結構あった。大きな出来事の違いはあまりなく、年号などの細かい数字の違いが多々あった。数字の違いは次第にズレていったと思うと急に戻ったりしていた。
歴史年表は記憶さえあれば作れるので意外とすいすい捗る。たった二日で完成してしまったのだ。まぁ、覚えている数が多くなかったということもあるが。
「意外と沢山覚えてるものね!」メリス的には満足らしい。
ただ、ここからが本当の俺たちの仕事なんだが。歴史の違いを評価する必要がある。
* * *
転移座標がずれると言う話は、トウカが調べている。ただ、これはどうも進展がないらしい。元々座標が指定しにくいもののようだ。しかも、精度もないようだ。あくまでもこの世界からの空間転移が前提で計算されていただけらしい。取り出した岩石の成分で場所を推定していただけなのだ。つまり掘削して調べた岩石の成分と比較していたようだ。
そもそも転移対象の座標は、この研究所の地下の筈だが、俺の居た遊歩道とは距離がある。しかも別世界だ。とうぶん無理そうだ。
「とりあえず、座標位置を補正する機能は追加した。対象世界に合わせて調整できる」昼食で会ったとき、トウカはそんなことを言っていた。
「対象世界はどうやって区別するんだ?」
「わからない」
「だよな」
「とりあえず、現状は世界Rと名付けた」
「なんだそのRって」
「もちろん、リュウのRだよ」
「リターンズかと思った」
「リターン出来ればいいね」
「そうだな。その願いを込めてるのか?」
「そういうことにしよう」
変えるつもりはないらしい。
* * *
空気を転移をしていた可能性については新たな発見があった。
俺が転移した時以外で五回、空気清浄フィルターに小さな昆虫が補足されていたのだ。俺と一緒に転移した溶岩にも多数付着していたので、そのDNAと比較したが俺と同じ世界つまり世界Rと確認が出来たのは一つしか無かった。
この一つは、オオルリが転移したときのものだ。改めて、オオルリは俺と同じ世界から来たことが確認されたわけだ。
ということは、他の四回は別の世界から来たことになる。これらは重複している可能性もあるが、とりあえず世界001~世界004と名付けられた。昆虫の名前にしなかったのは、単純にダブったかららしい。
ただ、この順番で再度別世界と接続出来るのかどうかは、繰り返してみないと分からない。俺と同じ世界Rと思われるものが少なくとも二度あったことは確かだ。その間の試行が二十回ほどなので、最大で十の世界との接続が繰り返されているのかも知れない。
「流石に凄いことになって来たと思うよ」食堂で会ったマナブが言った。空気清浄フィルターの調査はマナブが担当していた。
「確認された別世界が五つか」
「まだまだ、ありそうだしね」メリスも、事の重大さが分かっているだけに研究対象の拡大は歓迎できないようだ。
「そうなんだよ。せめて一つにして欲しい」
「ほんとだな」俺も同意する。俺の世界だけにしてほしい。だが、相手が並行世界だからな。下手すると無限に広がりそうだ。
「ただ、十回の繰り返しってことは、十回に制限している条件があるんだろうな?」
「そうよね」
「問題はそこだね」
「うん。なにが制限してるのか分かれば、もっと絞れるのかも知れない」
十回というのは不運ではなく、とんでもなく幸運なのかも知れない。俺はそう思った。とにかく少しづつ条件を変えて対象を絞っていくしかない。
「たぶん気の遠くなるような実験が続くんだろうな」
マナブはそう言ったが、それほど嫌な顔をしていない。こういうことに文句を言うようでは研究者は務まらないってことかも知れない。研究者の仕事は常に地道な実験の繰り返しなのだと思う。俺はその辺が向いて無かった気がする。
* * *
再調査を始めてから一週間が過ぎて、今日は第二回検討会だ。定例のミーティングでもある。
「それじゃ進展のあったところから発表してくれ」リーダーのホワンの一声で検討会が始まった。
「それではまず第一のテーマ『二つの世界の関係』について報告します」メリスは立ち上がって俺と作った歴史比較表をみんなに配った。
「各項目について詳細は解説しませんが、百年ごとの相違数に注目してください」
比較表は百年ごとに区分され二つの世界で相違のあった項目が集計されていた。
「ざっとですが、それほど大きな変動はありません。平均してこの世界と世界Rは、常にほぼ同数の相違点を持って推移しています」
「どういうことだ?」ホワンが意味不明だという顔をした。
「はい。どの百年も相違数はあまり変わりません。付かず離れずといった感じです。つまり急激に違いが広がることは無く、かといって全く同じに収束するでもないと言うことです」
「付かず離れずか。並行世界は分岐点から次第に離れていくのではないのか? 違いは増大する一方だと」
「はい。そう聞いています。ですから、並行世界とは考えにくいと言うことです」
「ふうむ。ではなんだ?」
「私の印象では、別れようとしても元に戻っているような印象です」
「元に戻る?」
「はい、特異なことが起こっても、結局は普通の世界に戻るというか」
「普通の世界ってなんだ?」
「そこなんですけど、確率的な問題かと」
「確率?」
「はい、二つの世界のズレを見ていると、もっとも高い確率を中心に変動しているような印象があります。歴史の流れを見ていても危機感は無く、いつか必ず中心に戻るというような安心感がありました。並行世界なら、どこまでも差が広がって発散してしまうと思います」
「ああ、なるほど。俺が感じたのもそれだな」ホワンが納得がいったという顔をした。
「それで、並行世界について少し調べてみたんですけど、並行世界は『あり得るかもしれない世界』と言われています。しかし、私たちが調べている世界は違います。『有意な確率が存在する世界』と言いましょうか。希望や想像の世界ではありません。しっかり確率として存在する世界です。詳細に調べれば確率が数値化出来るような世界です」
「確率が数値化出来る世界か」
「はい。不可能なことが起こる世界ではありません。どんなに低い確率でも可能性があるもののみ存在する世界です。確率論的な多重世界とでも言いましょうか」
「確率論的多重世界か」ま、その呼び名は俺が考えたんだけどな。
「ふむ。つまり夢物語ではないということだな」
「はい。存在確率として計算できるような世界です」
「計算出来るのか?」
「いえ、概念の話です。私に計算は出来ません」メリスはちらりと俺を見てから応えた。
「ほう。お前の意見だろ? リュウ」
「まぁ、ネーミングはそうですね」
「やっぱりか」
「でも、級数的に発散する世界じゃなくて良かったんじゃ?」
「ああ、そうだな。そんな宇宙論出されても否定するしかない」
「時間の流れに沿って細い線がゆるく束になったような宇宙でしょうか」俺は手掛かりになりそうなイメージで言ってみた。
「それは、それぞれの線が世界なのか?」
「はい。少ない確率でも薄く存在出来る世界です。まぁ、限りなくゼロに近くなれば消滅するんでしょうけど。どの時刻をとっても、世界の存在確率の合計は1になるわけです」
「ああ、そうか。それにしても途方もない数の世界が存在しそうだが?」
「残念ながら、そうでしょうね」つまり、俺の世界Rもそのうちの一つというわけだ。
「わかった。これなら現状整合が取れるということだな?」ホワンは組んでいた腕を解いて言った。
「はい。このモデルなら物質が他の世界に移動しても存在確率の変動だけで吸収できるのではないかと思います」
「なるほど。矛盾はないようだな。よしわかった、とりあえず我々の研究対象は『確率論的多重世界』としよう」
まず、もっとも難題と思われた第一のテーマについて、おおよそだが方向性が出たことになる。みんな、少しほっとした表情になった。
* * *
昼になり、俺たちは食堂へ移動した。
「もう、だからリュウが発表すればよかったのに!」メリスはそう言うが、二人で考えたのは確かだ。ネーミングは確かに俺だが。
「そう言うなよ。仲間が発表したほうが好意的に聞いてくれるってもんだろ?」
「それはそうだけど、やっぱりいつもの私からは飛躍があったんだと思う」
「そうかな? いや、バレたのは多分俺を見すぎたからだと思うぞ」
「え? そ、そんなに見てた?」
発表しながら、何度も俺を見ていたからな。素直な奴。
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