多重世界の旅人

りゅう

黎明編

第1話 気付いたら、カプセルの中にいた

「第一回試行開始」


 窓のない地下実験室に、やや緊張した男の声が響いた。

 実験室の中央には人が入れる程の円筒形のカプセルが立てられていて、そのカプセルの周りには幾つかの制御卓が並べられていた。

 制御卓がカプセルから少し距離を置いて配置されているのは安全上の理由と思われる。


「環境オールグリーン。シーケンス、スタート」


 端の卓に座った女が宣言した。

 するとカプセルの丸い天井に白い光が灯り、実験室を明るく照らし出した。その透明なカプセルの中には何も入っていない。


「重力加速器制限解除」


 隣の制御卓の男が言うと、天井の光は白から赤へと変わった。


「重力加速器制限解除完了」


「重力加速器始動」


 さらに男が宣言すると低い音と共に部屋全体に小刻みの振動が発生した。


「重力加速器始動完了」


 コンソール画面に表示されたバーグラフを確認したあと男は言った。


「陽電子注入」


 さらに奥の卓の女が宣言して大きな赤いボタンを押した。すると天井の光は点滅を始め、同時にアラートが鳴動した。


「陽電子注入完了」


「加速開始」


 最後の卓の男が宣言し、握ったハンドルを前に倒した。

 すると部屋の振動に、さらに高い周波数の振動が追加された。

 コンソール画面のバーグラフは振り切れ「Ready」と表示される。


「加速開始完了」


 男はそう言って最初の男を見た。

 試行開始を宣言した男は大きく頷いた。


「トリガー!」


 最後の卓の男はハンドル脇のボタンを押し込んだ。

 ブンっとひと際大きい振動音が部屋中に響きカプセルに一瞬眩い光が満ちた。


 気が付くと、いつの間にかアラートと振動は消え部屋は静かになっていた。


 全員、カプセルの中を凝視している。


  *  *  *


 少し話を戻そう。

 その日、俺リュウ(32歳)は仕事の仲間に誘われて紅葉狩りをしていた。

 俺が務める会社の創立記念日に慰安旅行があり、その帰りに寄ったのだ。

 普通ならさっさと帰るところだが、ついうっかり浅間山にヒカリゴケがあることを話してしまい案内役を頼まれてしまった。


「リーダー、その貴重な苔は何処にあるんですか?」


 リーダーというのは俺だ。プライベートでリーダー呼びは止めてほしいのだが。


「ちょっと待て。確か、この辺に……」


 俺は遊歩道を歩きながら、ときどき溶岩の割れ目を覗き込んでヒカリゴケを探した。

 このコケはちょっと環境が変わるだけで生育できなくなる絶滅危惧種だ。そのため以前と同じ場所で見付けられるとは限らない。


 しばらく探していると岩の隙間に黄緑色に光るヒカリゴケらしきものを見つけた。綺麗に光を反射している。自分で発光しないのに綺麗に光るのが不思議だ。

 だが少し見とれていたら、苔は突然黄色く発光し始めた。そんな筈はない。この苔は発光などしない。しかし目の前の苔は明らかに発光していた。

 不思議に思った俺は、さらに岩の奥を覗き込んだ。


「ホタルでもいるのか?」


 その言葉を最後に、俺の意識は途切れてしまった。微かに仲間が俺を呼ぶ声が聞こえた気がする。


 これが少し前の俺の記憶だ。


  *  *  *


 だが気が付くと、俺は固い床に寝ていた。

 さっきまで浅間の遊歩道にいた筈だが、どうも意識を失っていたようだ。

 実験の様子は夢で見たのかも知れない。あるいは後付けの記憶だろう。


 ともかく、俺は起き上がって周りを見回した。周囲は、全面ガラスのようなもので覆われている。天井からの白い光が妙に眩しい。俺の横には溶岩が転がっていた。

 どうもここは救護施設ではないらしい。俺は円筒形のカプセルの中に閉じ込められているようだ。


「なんだ! ここは!」思わず俺は叫んでいた。


 照明が明るすぎるせいで判り難かったが、カプセルの周りには中を驚いた顔で覗き込んでいる人間がいた。


「こっ、これはどういうことだ!」年配の男が叫んだ。

「なんで人間がいるんだ? 地底人か?」別の男が怪しいことを言う。

「ちょっとどうなってるのよ。普通の人間じゃない!」さらに隣の女が、声を荒げる。

「そ、そんなこと言われても」若い男が、委縮して言う。

「また、設定値を間違えたのねトウヤ! いい加減にしてよ!」そしてもう一人の若い女が叱責していた。


 覗き込んだ人間が口々に勝手なことを言っているが、俺は、そんなことはどうでも良かった。俺には差し迫ったもっと大きな問題があるのだ。


「おい! つべこべ言ってないで、こっから出せ!」


 俺は閉所恐怖症なのだ。


  *  *  *


「いや、すまなかった。人間を転移させるつもりは無かったんだ。本当に申し訳ない」


 俺の体について怪我などの異常がないことを確認した後で、彼等のリーダーだと言う男が言った。


「転移? ここは転移の研究所なのか?」


 転移の研究所なんて聞いたことないぞ。怪しい奴だ。それにしては真新しいちゃんとした施設のようだが。


「そうだ。ここでは空間転移の研究をやっている。まだ始まったばかりだが既に空間転移の実験に成功している」


 ホワンと名乗ったこの男は、自慢げに言った。


「今回も、地殻深くから岩石を取り出す予定だった」


 いつもの転移実験では地下から岩石を取り出しているようだ。地殻の調査でもしているのか? 今回も、地表のものだが確かに岩石の転移には成功している。ただ、俺というおまけ付きだが。おまけのほうが高額だから違法だぞ。


「俺は、遊歩道にいたんだが?」

「いや、全く面目ない。どうして座標計算が狂ったのか分からないが、完全にこちらの落ち度だ」


 ホワンは済まなそうな顔で言った。


「体に異常は見られないようだが、最高レベルの補償をさせてもらうので勘弁してほしい。空間保安局から正式な謝罪と補償金が出るだろう」


 俺は聞きなれない言葉に戸惑った。


「空間保安局って何だ?」

「なに?」


 俺は空間保安局なるものを聞いたことがない。しかし、この施設は誰もが知る国の機関、空間保安局の転移研究所であり自分たちはその第一研究室の研究員だと名乗った。少なくとも、この男はそう主張した。怪しい奴は常に自信満々なものだ。

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