<10・ふるえる。>
「あの子が、インサイドの町に拾われて三日。……大人しいスライムだもの、連中も油断しているはずよ」
暗闇の中、液晶画面に指を滑らせる女。最新式のタブレットだ、あの古臭くてカビが生えたインサイドの町の連中は持っているどころか見たことさえないだろう。
長年調査にも苦慮してきた、インサイドの町。その実情が明らかにつれ、国も人々も、そして自分達盗賊さえも興味を惹かれたのがあの町のシステムだった。
元々、森そのものに貴重な資源が多いことはわかっていたが。その中でも最も不思議かつ、宝と呼べるのではと思われていたものが一つ。そう、あの町の中心、聖域で祀られている神――カズマの大樹である。
伝承通りであるのなら、あの木の成り立ちは“あり得ない”ことが多い。
同時にあの木を持ち帰って自分達の資源とできるのであれば――他の多くの資源全てと引き換えにしてもおつりがくるほど、莫大な富を得ることができるだろう。
最大の問題は、あのカズマの森は悪意ある人間を簡単に通しはしないということ。
自分達の盗賊団も何人か人を雇って行かせてみたが、軒並み人喰い森に食われて戻ってこなかったのである。今ある情報はすべて、森の木々に食われる前に情報の送信ができたドローンが、どにか送ってきたもの。それから、森の住人達から聞いた情報からどうにかわかったことのみなのだった。
――正攻法で森は突破できない。そして、外から簡単に焼き尽くせるほど脆い森ではないし、そんなことをしたら住人達の激しい抵抗に遭うのは目に見えている。
だから、特別な手段を講じたのだ。
つまり、森の内部にスパイを送り込むという方法を。
「国の奴らは、俺らがお宝を手に入れたら横取りするつもりなんだろうな。まあ、それができなくても森の外に運び出せれば交渉ができるって寸法か。まったく、調子のいい連中だ」
女の肩をポンポンと叩きながら男は言う。
「まあいいさ。俺らも、奴らの望みどおりに動いてやるつもりはない。俺らは俺らのやり方で、好きにやらせてもらうまでのこと。……なあ?」
彼が最後に、誰に呼びかけたのかは明白だった。
まあ、あの名前もつけてやらなかった出来損ないのスライムに、遠く離れた自分達の声を聴く能力などないわけだが。
***
ジムが飛んできた時、チェルクは本当に苦しそうに全身を痙攣させていた。すぐに診療所に連れていき、薬を打って貰うことになる。幸いにして診療所の年輩医師は、スライムのこの症状に覚えがあるようだった。
「多分、“未完変態症”ってやつだなあ。変身をするようなモンスターは時々こういうことになるんだ」
「そうなのか?」
「ああ。何かに変身しようとしたんだけども、それがうまくいかなくて細胞のバランスが取れなくなるってやつだな。スライムに多いが、ミアドールとかのモンスターにもなることはある。お前さん、ミアドールの仲間と一緒に暮らしてたんじゃないのか?こういう症状に覚えはないのかい?」
「いや、見たことないな。ていうか、あいつ美男美女にしか変身しねーし」
最初は焦ったが、どうやら変身するモンスターあるあるの症状であるらしい。薬を打って落ち着かせれば問題ないのだと聞いて、ジムは心の底から安心したのだった。
実際、注射をして数分でチェルクの呼吸は落ち着き、体も元のおまんじゅう型のスライムに戻った。暫くは不安定な状態が続くので、今日は大きな変身はさせないようにと言われたがそれだけだ。
「頻繁に変身するモンスターほど、この症状が出やすいんだってな」
おまんじゅう型になってしまったチェルクは、自力で歩くことができない。しばらく、少年の姿に戻ることも控えた方が良いだろう。今日はこのモードで、夜まで過ごすことになりそうだ。だっこをしながら、家路を急ぐことになる。
「お前、何かに変身しようとしたのか?リーアと決闘王のカードゲームやってたんだってな。リーアはドラゴンモンスターのカードをたくさん使ってたらしいし、ドラゴンっぽいものに化けてみようとしたとか?」
「きゅう……」
「あれ、違う?」
スケッチブックがないと、チェルクと細かな意思の疎通は難しい。しかし、それでも段々と“イエスとノー”くらいはわかるようになってきたジムである。
今の鳴き方はノーだろう、というのがなんとなく理解できた。では、彼は何に変身しようとしたのだろう。もしくは。
「何かに変身しようとしたわけじゃないのに、痙攣が出たとか?」
「きゅうきゅ!きゅうきゅう」
チェルクはジムの腕の中で、むにーんと頭部分を伸ばしてうんうんと頷いてみせた。おかしいな、とジムは首を傾げる。医者の話だと、何かに変身しようとしない限り未完変態症は出ないという話だったのだが。
「そういえば、お前いろいろ変わってるもんな。変身そのものがあんまり得意じゃないみたいだし……それが理由とか?」
「うきゅう……」
「あ、いやごめん!責めてるわけじゃないって!」
リーアとゴラルも相当心配して待っているはずだ。お詫びもかねて、何か美味しいものでも買って帰ろうと決める。最近ピザが多かったから、もう少しさっぱりしたもので何かないだろうか。
そういえば、トロネイのシチューなんて最近食べていないなと思う。シチューの素はまだ家に残っていたはずだ。メイン材料のカクラの実のあたりは、今の時期なら八百屋に美味しいのが並んでいるはず。それからコッテ牛の肉。ゴラルの大好物だ。勿論、そこにシアの実も加えて甘辛く仕上げてやろう。きっとチェルクも元気になるはずである。
「こっちの道が近道だな、よし……」
八百屋と肉屋に向かうには、ビルの隙間の細い路地を通って行くのが早道だ。チェルクを抱えたまま暗い路地に入った、まさにその時だった。
「うきゅ!?」
「え」
突然。腕の中で、チェルクがぶるんと震えたのである。
「きゅきゅきゅ、きゅうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!?」
「ど、どうしたんだよチェルク!」
ぶるぶるぶるぶる、とチェルクが全身を不随意に痙攣させ始める。おかしい、とすぐにジムは察した。だってたった今、医者に薬を打ってもらったばかりなのである。すぐに症状がぶり返すなんてあり得ない。あの医者には、ジムたちも今まで何度もお世話になっているのだ。藪医者ではないことは、ジム自身が一番よくわかっているのだった。
「うきゅきゅ、きゅうっ」
「おいっ!?」
チェルクはぼたりと地面に落ちると、そのまま全身を震わせながらどこかに逃げていこうとする。まるで、ジムから離れようとしているかのようだった。何かがおかしい。ジムは慌ててチェルクを追いかける。
今まで、ジムの姿が見えなくなっただけで不安になるくらい淋しがりだったチェルクが。こんな暗い路地で、ジムから逃げようとするなんてそんなことがあるのだろうか。
「待て!待てよチェルク!」
なんだか妙だ。その動きが、まるで見えないもの糸に絡められて、無理矢理操られてでもいるかのように見えたからである。
ひょっとして、チェルクを捨てた男女とやらが何かしたのだろうか。それが、チェルクをこんなに苦しめてるのか?
――あいつら、チェルクに何をしたってんだ!
怒りが沸き上がった次の瞬間、チェルクの体がぶるんと大きく震えた。そして、ぐにゃぐにゃと形を変え始める。何だ、と思った次の瞬間、チェルクの姿は水色の四角い塊に変わっていた。
見覚えのあるその形状にぎょっとする。何故、チェルクはダイナマイトなんかに変身したのだろう?
「お前、まさかっ……!」
次の瞬間。
ジムのすぐ目の前で、真っ白な光が弾けたのだった。
***
捨てられの森に、兵を送り込むのは現実的ではない。
そして、炎で外側から焼くのも困難を極める。圧倒的火力の武装は、自分達のような盗賊には手に入るものではない。というか、そのような兵器をセッティングするのがまず難しい。森の周辺は湿地と川になっていて、大型の戦車や重火器の類を安定して走らせることがかなり厳しいからだ。
またカズマの木は、かなり水分を多く含んでおりそもそも燃えにくい。ものすごいお金をかけて外から森を焼こうとしても、大して成果も上がらず徒労に終わる結果は目に見えているのだった。
ゆえに。国は、自分達盗賊団の行動を見て見ぬふりをすることにしたのだろう。――盗賊団が、カズマの御神木を盗んできた後で、横取りするなり買い取るなりした方が遥かに簡単だと踏んだがゆえに。
では盗賊団がどうやって、あのカズマの御神木を奪おうとするのかと言えば。
「内側から、町を燃やしてしまえばいいのよ。森よりも、町の方が簡単に焼き尽くせるでしょうから」
エンドラゴン盗賊団の副首領、“紅蓮のベティ”はほくそ笑む。その横には、首領であり自分の恋人でもある“漆黒のドク”の姿が。
「さあ、出来損ないのスライムちゃん。私達の命令は絶対よ。……あんだけ嫌というほど調教して、ダイナマイトの威力を再現できるように仕込んであげたんだから、頑張りなさいよね?」
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