第七章 女王の美貌は急性心不全級



 




 俺は弾き飛ばされたかのようにして、廊下を転がり落ちた。急いで立ち上がって、周囲を確認する。


 体中を包み込んでいた鏡の破片は、気が付けばどこにも存在しない。代わりに、大量の死体が廊下中を、まるで打ち捨てられたマネキンのように転がっていた。手足があらぬ方向に折れ曲がったものや、壁に頭がめり込んでいる者。例外なく血を吹き出しており、死んでいるか、そうでなくとも無事では済まないだろうことが一発で見当のつく者ばかりであった。


 これが仲間の死体なら俺の顔は今頃絶望に打ちひしがれたような表情を描いていただろうが、これらの遺体は、どの遺体も全身黒タイツであることからして、どうやら敵勢力のゴブリンどもであるらしかった。だからと言って、全く取り乱さなかったかと言えば嘘になってしまうな。俺は死体には見慣れていないし、当然だが戦場を駆けまわっているわけでもないので「相手がゴブリンなら人間じゃないんだ!」などとは到底思えない。彼らにはなけなしの合掌を送っておく。安らかに天国へ旅立っておくれ。


 まあそれはともかくとして。


 実のところ、この惨状を作り出した人物に心当たりがある。このような光景を、前にも似たようなスプラッタシーンにて既に鑑賞済みだからだ。


 初めて俺がこの世界に来た時にさっそく見せられた、モルグの虐殺だ。つまり、おそらくではあるが、これらの凄惨な殺しを行ったのは、おそらくモルグだろう。というか、アイツ意外にこれができるとは思えん。


 そんな凄惨な二階を慎重に見て回っていると、ゴブリンの他にも犬の死体がいくつも散見された。こいつらがあの魔犬の正体か。どいつもこいつも首の骨を折られて絶命している。魔犬ですらモルグには全く歯が立たないらしい。ちょっと強すぎないか?彼女。


 というより、俺たちがこいつらに襲われてから、果たしてどれほど時間がたったのだろう。俺は何故こんな場所に放置されている?まさか置いて行かれたとかじゃないだろうな。


 ……いや、寧ろ置いて行かれないほうが不自然か。俺ってば正規雇用の仲間じゃないもんな……。早く正社員になりたい。


 となると、合流を急いだほうがいいよな。俺一人でこのような人外魔境を生き延びることができるとは到底思えないし。


 俺は改めて軽く二階を見廻した後、急いで階段を駆け上がって、三階へと向かった。











 ところで、不思議の国のアリス症候群、というものを皆さんはご存じだろうか?


 目に異常がないにもかかわらず、目の前のものが大きく見えたり、逆に小さく見えたり、歪んだり、現実とは見え方が異なったり、そんな症状が特徴だ。


 原因は何らかのウイルスで、子供なら大抵が感染するらしい。俺も子供の時はよく似たような症状が出た。高熱を出した日なんか、手が半分くらいのスケールに縮んで見えたりしたことがあるし、逆に部屋全体が風船みたいに膨れ上がってみえたりもしたな。


 で、だ。


 現在、俺が目にしている光景は、それと同じ原理によるものと説明をつけてよいものなのだろうか?


 いや、どうだろう。


 俺はあちこちをぺたぺたと触ってみた。当然のように、触れる。これらが実体としてここにあるものだということは確かだ。魔術によってそう見せかけられている?もちろん、その可能性は否定できない。


 俺は再び三階フロア全体を見渡した。


 それは、デザインだけを取ってみれば、なんて事のない一軒家のリビングそのものである。


 しかし、デカい。圧倒的に、スケールがデカいのだ。目算にして二倍といったところだろうか。天井も、机もソファーもテレビも、だいたい二倍である。大きい。


 俺は頭を捻って考える。敵の目的はなんだ?とな。


 一応、これが魔術による幻覚だというのなら、「解錠」が可能ということだろう。ポケットからスマホを取り出して、振ったり握り締めたり踏ん張ったりしてみる。どうにかして俺も自在に魔術を発動できないものだろうか。が、ダメ。手ごたえがなさすぎる。これ以上踏ん張っていると、魔術ではなく別のものが下から出てきそうになったので、諦めて周囲を散策することにした。


 この家は、スケールを普通のものと考えるならば、だいたい三十から四十坪の広さだろうか。家の大きさは某有名SF少年漫画に出てきそうな核家族が、ひょっこり顔を出していそうな程度の規模感だった。冷蔵庫の中身はほとんどカラに近い。二リットルの牛乳パックだけは入っているのが見えたのだが、これもスケールがデカい。市販のものではないだろう。冷蔵庫の中身が少ないこと以外は、それほど気になる点はなかったな。デカいことを覗けば、だが。


 それから、リビングの窓から外の庭に出てみようかとも思ったが、鍵でもかかっているのか硬く閉ざされていて出られない。それに、外の景色も、あるにはあるものの、どこか嘘くさい。張りぼてのような街並みに、ペンキで塗られたかのような空。特撮のセットで用意されたみたいな景色が広がるのみだ。


 窓からは無理でも、玄関からなら?


 そういう訳で、俺はリビングを抜けて、玄関に続いているであろう廊下に出る。


 その際ドアを開閉する必要があったのだが、ドアもデカい。頭よりもちょっとしたくらいにドアの取っ手があるのは、なんというかやけに懐かしい感覚だ。子供の頃はこれくらいのスケールで世界を見ていたはずなんだからな。


 廊下の横にはトイレが敷設されているようだった。一応中を覗いてみたが、やはりこれも内装は普通。しかし、便座も便器も、掃除用具やら、トイレットペーパーに至るまでもが、何もかもデカい。


 子どもの頃の感覚を取り戻しているのか知らないが、ちょっとだけウキウキしている自分がいる。そういえば確かに、この頃は家の中を歩き回るだけでもちょっとした冒険だったものな。


 なんか、ちょっと思考が幼児退行しているかもしれない。


 そんな余裕の或る状況ではないはずなのだが……。


 なんて考えていたら、玄関にたどり着いた。しかし、ドアにはチェーンが掛かっており、しかも玄関までスケールがデカいので、チェーンまで手が届かない。



 うーん。どうしようか。



 おれは顎にてを当てて考えた。何か、うえにのれる台みたいなものがあればなぁ。と思うのだ。


 ふと、なにやら妙ないわ感がおれのあたまをスッと掠めた。なんだか、からだ全体が妙にふわふわしているきがするのだ。それだけではない。おれのりょうても、なんだかふわっとしているというか、膨らんでいるような気がするぞ。頭も妙におもい。


 これは……?


 と、


 そのときだった。


 とつぜん、「ぴんぽーん」という、おおきな音が玄関いっぱいになり響いた。ぼくはびくっと体全体をふるえあがらせた。びっくりするくらい大きな音だ。


「すみませーん。宅配便ですー」


 どうやら、たくはいの人がきてしまったようだ。


 でも、うちにはぼくひとりしかいない。


 しかたがない。ぼくがでるほかなさそうだ。


「はーい」


 ぼくはいっしょうけんめいにてを伸ばして、カギに手をかけてまわした。


 ガチャリとおとをたててカギが回った瞬間、いきおいよくとびらがあきました。


 だからぼくはびっくりしてそのばでひっくりかえりました。あわてておきあがるとどあのすきまからおおきなてがにょきにょきしていましたのでぼくはまたびっくりしました。そのあと、なんといいますか、あれ、そう、ぺんちです。


ぺんちのようなものでちぇーんをがちがちしたあとへんなおとがしてあれがおちましたそしたらおおきなひとがすごくかおがしろいはいってきてふたりくらいいますふたりがぼくのうえにのしかかってきましたのでぼくはこわくなってないてしまいました


しろいかおはぼくのくびおおさえてぼくはとてもくるしくなってしまいましたけどかあさんはどうかかなしまないでくださいとおさんも


ついしんいもうにつたえてくださいぼくがおまえのぶんのおやつをかんちがいでたべたとしてもひとがおまえおばかにしてもわらわれてもけしてそんなにおこりんぼにならないよおにそしたらたくさんおともだちができますすなおさがかんじんです


ついしんちゃいむがないりました

ぼくのうえのひとがうしろおむいてふしぎそうにしています

もひとりがうしろのどあをあけると


 中からおおきなおててが出てきて二人を捕まえました。


 「ゴブリン・ブラザーズ」を掴んだ巨大な手は、そのままおれの上をぐんぐんと通り抜ける。


 俺はハッとした。


 巨大な手はリビングまで突き抜けると、俺の首を圧し折ろうとしていたゴブリン二人を、リビング中央のテーブルに叩きつける。俺は巨大な腕を避けるようにして、玄関の外へと飛び出した。


 それから、ゴブリンが叩きつけられたリビングを、巨大な碧眼が窓越しにギョロリとのぞき込む。


 大きく家全体が揺れて、傾いた。リビングの家具がぐしゃぐしゃに滑落してゆく。


 家を持ち上げた巨大な手の主—―アリスは、そのまま家を地面に叩き落とし、屋根を踏みつけて、粉々に砕いたのだった。


「……」


 アリスが念入りに一軒家の模型だかを踏み抜いているのを、俺は傍らにて口を呆けさせながら、ただ見つめることしかできない。


 何が起こった。


 なんてのはここ最近の俺の常套句である。少しは自分で考察する努力をしてみようか。


 おそらく俺は、三階のあの部屋にて敵の魔術の影響を受けた。それを、アリスが「解錠」更に自身の魔術によって敵を「施錠」中、といったところか。「対魔術の基本は解錠と施錠の応酬」という迦十先生の言葉を信ずるなら、大方の流れは間違っていないはず。


 それにしても、やはりというべきか、三階のあのスケールマシマシリビングも敵の魔術による幻覚だったというワケか。


「ちがう。あれはほんもの」


 ところが、アリスによってあっさりと否定されてしまう。


 本物?じゃあ、この階の設計士はあんなもんをわざわざデザインして作ったってことか?何のために?


 魔術結社は巨人でも飼ってるってのか。


「この部屋は対魔術師用のトラップルーム」


 いつの間にかアリスの足元からは、粉々に砕け散った家の破片が消失しており、かわりに二人のゴブリンが床に倒れ伏してのびていた。


「この部屋を見たら、おとなはみんな子どもの頃をおもいだすんでしょ。その記憶のそうきをトリガーにして「少年の日の思い出の魔術」がはつどうする。しかけはたんじゅんだけど、その分すごく強力」


 俺は玄関を抜けた先を見やった。そこには四階へと続く階段が設置されている。つまり、四階に上がるには必ずあのリビングを通って、それから玄関までたどり着かなければならないのだ。その間に幼少の頃の思い出に一切浸らずにいるには、もう目隠しでもしない限りは不可能だろう。


 「少年の日の思い出の魔術」とやらが具体的にどのような作用なのかは知らないが、朧げな記憶をたどるに、被術者を幼児退行させるとか、そんな感じかな。


「でも、アリスは子どもだから、この魔術はきかない。だからアリスはパメラからここの監視をまかされてる」


 監視?


「下から登ってくる人を、足止めしろって。わたしの魔術で。敵だから」


「へぇ」


「ナイトウもやっつけろって言われた」


「えっ?」


 俺は思わず目をひん剥いて、アリスを凝視した。真顔である。


「もるぐと分断されてる内がちゃんすだって」


 どういうことだよ。迦十先生は俺を擁護してくれていたのではなかったのか?確かにちょっと、いやかなり変な先生ではあったけれど、ここまで行動に一貫性がないとさすがに正気を疑うぜ。


「でもそんなことしないよ?ナイトウはなかまだから。だから本名もおしえた」


 まるで「ほめてほめて」とでも言わんばかりにアリスは上下にゆさゆさと揺れた。彼女に抱きしめられていたウサギとカエルのぬいぐるみも、動きに合わせて手足をぶらぶらさせていた。 うーん。あざとい。


「アリスの魔術はなまえに対する先入観がトリガーになってるから、本名をしらないと「対象」じゃなくてもキケンだから。えまーじぇんしー」


「そうなのか?」


 トリガー。三階の例の部屋と似たようなものか。


「じゃあ、ありがとうだな」


 アリスはこくりと頷いた。


 どうやら、彼女からは他の仲間と違いう無類の信頼を得ているようだった。なんで?子どもの考えていることは訳が分からん。


「いそごう?みんなまってるよ」


 アリスはそう言って、四階へと続く階段を登ってゆく。


 いや、アリスの言うことが全て本当なら、多分みんな俺を待ってなどいないと思うのだが。おそらく俺を途中まで連れて、そして分断して排除しようとしたのには、何か先生なりのがあるのだろうからな。


 とはいえ、ここは大人しくアリスに着いていくほかない。迦十先生に真偽を確かめる必要もあるだろう。


 そうした考えの元、俺とアリスは、アリスを前にして四階へと続く階段を登っていった。この機会極まりない建物の中を、様々な思惑が縦横無尽に錯綜している、そんな予感がした。












 四階を上がってすぐ、俺たちの目の前を巨大な馬の死骸が横たわってゆく手を遮っていた。


 馬の死骸なんてそうそう見かけない物なので、思わず見入ってしまったがこれは……。どこか引っかかるところを感じて、俺はしばらく死骸をじっくり観察していたのだが、ふと気が付いた。こいつは二階で宮之城が下した黒騎士の所有していた馬だ。丁度こんな見事な栗毛だったよ。


 なんて思っていたら、黒騎士の死体もすぐに見つけた。馬の死骸をまたいだそのすぐ先の廊下の端で、ぐったりと壁に凭れて項垂れているのが見えた。どうしてすぐに死体だと分かったのかというと、明らかに死亡しているであろう要素が黒騎士の死体にはあったからだ。死体は黒の甲冑に覆われていて、中の人物の表情などは伺えない。しかし、黒騎士の胸には大きな槍がぶっさり突き立てられており、もうこんな状態からの生還は考えられなかった。「ありゃワシの誤診じゃ」なんて取ってつけた無茶苦茶な理由で実は生きてました、なんてご都合主義的展開も、この分じゃなさそうだった。


 そして、その死体の傍らには無表情のメイドが幽霊のように突っ立っていた。モルグである。こんなところにいたのか。


「お前の仕業かよ……」


「……」


 相変わらずの無口である。噛み過ぎて味のしなくなったガムみたいなやつだ。言葉を投げかければ投げかけるほど、虚無へと真っ逆さまにダイブしてゆく感じ。


 それにしても、だ。


 俺はもう一度黒騎士の死体を見た。こいつは二階ですでに宮之城の手によって「完全掌握」されていたはずだ。先生の説明を鵜呑みにするなら、完全掌握すれば丸一日は無力化できるはずだろう。まあ、俺の知らない復帰方法のようなものがあっても別におかしくはないのだろうけど。


 なんて悠長な考えに耽っていた俺は、ようやくモルグが手に掴んで引きずっている謎の物体の存在に気が付いた。そいつのうめき声で、その正体もわかった。


 モルグは、あきらかに尋常じゃない様子の宮之城の襟を引っ掴んで、引きずっていたのだった。


 何やってんだ今すぐ話しやがれ、と怒鳴ってやったところ、モルグはあっさり承諾、その場で手を離し、宮之城は意志を持たない土嚢のように、無抵抗のまま鈍い音を立ててその場に崩れ落ちた。


 慌てて駆け寄り、状態を確認する。モルグの怪力なら、頸椎が圧し折れていても別に不思議ではなかったからな。しかし、宮之城は見たところ大きな怪我を負っているわけではない様子だった。ほっと胸をなでおろす。一先ず安心、といったところか。


 モルグは宮之城に危害を加えた、というワケではなさそうだったがしかし、それにしたって宮之城の扱いにはさすがに苦言を呈させてもらおう。全く本当に何を考えているのやら。


「おい、大丈夫か」


 意識があるんだかないんだかの宮之城の身体を揺する。とにかく事情を聞かねばなるまい。何が起きたのか、先生や舞城の奴はどこに行ったのか、と。


 宮之城はうっすらと目を開けたとに、しばらく焦点の合わない瞳孔でぼんやりと俺を見つめていたが、突然、俺の肩を抑えて体を起こしたのだった。あまりに急な動きだったので、俺は仰け反り、勢い余って、結果宮之城によって地面に押し倒される構図となった。


「宮之城……?」


 宮之城は、ぼんやりとした目をこちらに向けたまま、徐々に顔が近づいてきて……


 えっ、なにこれ。


「おおー、だいたん」


 アリスののんきな声が、宮之城の向こう側から聞こえてくる。


 やはりそう言うことなのか?いやいや、そんなフラグは立っていないし、そもそもこんなことしている状況では……。


 なんて考えている間にも、宮之城の顔が接近。まさかこんなところでファーストキスを終えることになんて……。


 まあ、そんなわけないよね。


 宮之城の眩いくらいに白い喉が、ググっと大きく動いた。


 その次の瞬間、ボコっと頬が膨らんで、口の中の物を残らず俺の顔に向かって吐き出したのだった。うぇぇ。これは目も当てられない。


 俺の顔面が宮之城の大量の吐瀉物に塗れた?そう思うだろう。俺もそれを覚悟した。


 ところがそうはならなかった。


 宮之城が吐き出したのは一匹の大蛇だったのだ。


 ぬめり気を帯びた長い胴体が、鈍い光沢を放っているのが見えたのを最後に、蛇の頭が目にもとまらぬスピードで動いて、俺の喉にかみついた。


 視界がぐるりと回って、暗転。















  


「ちょっと、あなた、ちゃんと聞いているの」


 ハッとして正面を見ると、宮之城が怒ったような顔でこちらを睨んでいた。


 ふむ。意外と元気そうだ。先ほど俺の顔に蛇を吐き出した人間とはまるで思えないな。


「は?蛇?……というか、吐いたのはあの人の方でしょ」


 ……。


 ああ、そうだ。その先日の一件について色々話し合おうと、今日は放課後に宮之城を茶店に誘ったのだ。内容が内容だけに教室で大っぴらに話すわけにもいかん。


「だから、カバンの弁償なんか、しなくていい」


 俺は、宮之城の隣に置かれたカバンを見やった。新しく買い替えられたものが鎮座している。


「あの人が弁償するっていうならともかく、あなたは何の関係もないじゃない」


「いや、でも、なんか俺が原因で争っていたっぽくない?」


「争ってない」


「ほんとぉ?」


「ほんと」


 宮之城はそれきり、プイと臍を曲げてしまった。俺は注文した抹茶ラテをちゅごごと吸った。うっ、不味い。俺はすぐにラテをテーブルの上に置き直す。この抹茶ラテは出来損ないだ、飲めないよ。


 ……もういい加減好奇心にかまけて新作を買いまくるのはよそう。


「内藤くんは、もう気にしなくていいから。いつも通りにしてれば?」


 いつも通りって。いや、それは無理だろ。あんなの見ちまったら。


 なんだか異様に疲れた。どっかりと背中を背もたれにあずける。


 並行世界のこともあるけど、なにより芭芭のあの行動。ショッキング過ぎるぜ。


 あの光景はまさに悪夢だった。今でも、正直あれが本当に起こった出来事だなんて信じられない。なにせ芭芭のやつ、どんな鋼の心臓か知らんが普通に素面で学校に来てたしな。むしろこっちがおかしいじゃないかとすら思わされたわ。


 しかし、こうして改めて宮之城と情報共有してみると、やはりあの時の芭芭の奇行は事実として実際に起きた出来事なのだと実感させられる。


「なんであんなことしたんだろなー」


 芭芭の全く知らない一面を見てしまった。なんていえるほどアイツのことをよく知っていたわけでもないが、それでも仲のいいクラスメイト兼幼馴染として、少しくらいにはアイツの人となりを知っていたつもりだったのだが。


「別に、私はそれほど意外でもなかったけど」


「そうなのか」 


「あの人、裏では結構嫌われてるし」


 そんな風には見えないけどな。女子はみんな仲がよさそうだ。


「鈍っ。そんなわけないじゃない。見てればそれくらいわかるでしょ?」


 野郎には観察眼がないんだよ。おぼえとけ。


「まあ、ちょっと鈍いくらいが、人と付き合うには丁度いいのかも知れないけど。人間、理解してほしいことよりも、理解されたくないことの方がよっぽど多いもの」


 俺はヒトに知ってほしいことの方が多いけどな。俺が今何を考えているか、パッと気が付いてパッと教えてくれたり気を聞かせてくれたり、なんて方が随分便利だと思うけどな。


「困ることのほうが多いでしょ。それ。というか、あなたが考えてることなんでも口にするのって、そういう意図があってのことだったの?」


 いや、それは意図せずのことだな。


「ああ、そう」


 それから宮之城はようやく、注文していたカプチーノに口を付けた。一口、二口、喉が控えめに動いたあと、


「あなたも、知りたいって思うの?」


「なにが?」


「他人の秘密」


 教えてあげるっていうなら知りたいけど。本人の意思次第ではあるかな。


「私に近づいたのも、ただ私の秘密を知りたかったから?火傷のこととか、家族のこととか」


 ……。


 宮之城から漏れ出す雰囲気が、俺に不意の無言を強いさせた。


 いや、俺は別に、そんな邪な理由で宮之城に近づいたわけでは……。どうなのだろう。その瞬間俺の思考は出来の悪い機械式時計の針の如く、はたと急静止した。あのとき、どういうわけだか手にしてしまった宮之城のプライベート写真を握り締めて、どうして宮之城を追いかけたのだと、自問する。本当に善意100%の所業だったろうか。


 違うね。薄々気が付いていた。


 俺は知りたかったのだ。宮之城の隠している必死の秘密を。俺は、そういう……


「内藤くんは誰にでも同じ感じなの、それとも、……相手が私だからかしら」


 びりびりと空気が震えるのが分かった。


 怒っている……?少し違うような気もするが、どちらにせよ俺は今死の瀬戸際に追い詰められている、ような気がする。


 少しでも返答を間違えれば……などと思っていた、その時だった。


「あれぇ?内藤と宮之城さんじゃないか。こんなところで何をしてるの?」


 シリアスな雰囲気ぶち壊しの、のんきな声が聞こえてきた。顔を向けると、手にキャラメルフラペチーノを持った都筑がこちらを興味深そうに見ていた。


「お前ら……なんでこんなところに?」


 俺は震える手でそいつらを指さす。


 お前ら。


 都筑のほかに、舞城の奴もいた。


 おかしい。ここはス〇バだぞ?お前たちが気軽に足を運ぶような場所ではないはずだが。


「高校生になったんだから、一度は入ってみたいって、舞城が」


 都筑はあっけなくそう言ってのけた。俺は舞城を真顔で見やった。


「別に構わないだろうがっ!俺がどんな店に入ろうと」


 いいや、俺は構うね。


 都筑一人ならごまかせなくも無かったろうが、コイツもいるとなると、もうこの状況で面倒な勘違いをするなというほうが無茶であろう。


「というか、内藤こそ、なにやってんだ?二人で……えっ、もしかしてお前ら」


 ほぅら。舞城の馬鹿がさっそく下種の勘繰りをし始めたぞ。ところがお前の推理は真実ではない。


「全然違うぞ」弁明開始。「ちょっとした偶然というか、な、宮之城」


 俺は宮之城に同意を求める。宮之城はというと、無言でカプチーノに手を付け始めていた。俺とは目を合わせようともしない。極力面倒には関わり合いたくない、といった面持ちだろうか?


 気持ちはわからんでもないが、なんとか言ってくれよ。勘違いが加速する。


「なるほどねー」


「意外な組み合わせだな」


 二人は口々に勝手なことを言いやがる。……確かに、こんな下種の勘繰りをされるくらいなら、知らぬ存ぜぬのスタンスの方が好かれるのかもな。


 なんて馬鹿なことをやっていると、宮之城が不意に携帯を懐から取り出した。どうやら電話がかかってきたらしい。


「――もしもし、お父さん?」


 お父さん!?


 ギョッとした。舞城らと俺は顔を即座に見合わせると、一時停戦とばかりに口を噤んだ。


「うん……うん―――えっ」


 少しばかり、……いやかなり形容しがたい表情を、浮かべていた。目が丸く開いている様子から、何か突拍子のないことでも聞いたというのはわかるのだが、それ以上に、何やら彼女の顔の裏で大小さまざまの感情が大蛇のとぐろのようにおどろおどろしい渦を巻いているようなのだ。


 向こうの会話は聞こえない。一体何の話をしているのだろうか。


「うん……わかった」


 宮之城は電話を切ってすぐに、


「帰る」


 とだけ言って、席を立った。


 おいおい、マジで帰るのかよ。俺はテーブルの抹茶ラテを抱えて、足早に店を出ていく宮之城を追いかける。


 飲みかけの抹茶ラテを、茫然とした顔の舞城に押し付けてやった。新作だ。くれてやる。でも、間違っても宮之城のカプチーノには手を付けるなよ。


「お、おう。……俺たち、もしかしてやっちまったか?」


「いや。でも理由は聞くな」


 俺は「じゃあな」とだけ言い捨ててから、それきり二人には目もくれずに店を飛び出した。


 宮之城は店を出た後も早歩きを続けていた。俺は走って追いかける。


「ちょっ、待てよ!」


 このシーンだけ切り取ると安っぽい恋愛ドラマのように見えなくもないが、宮之城はともかく、監督の見る目がアレなのか知らんが野郎役は明らかにミスキャストだろう。


「宮之城っ」


 俺は立ち去る宮之城の肩をつか……まずに、背中越しに声をかける。


「何?」


 どうせ無視されて立ち去るのだろうなという予想に反して、宮之城はあっさり立ち止まってこちらに振り向いた。そこで、はたと足が止まる。


 なにせ別によく考えなくても、俺たちはここで強引な引き留めが成立する関係性ではないし、そもそもよく考えたらそんなシチュエーションでもないしな。


 というか、俺はなんで追いかけたんだろう。本人が帰るっていうならそれで構わないはずなのに。でも、急に帰る気になった理由くらいは聞かせてほしいかもしれない。あの電話の内容が原因なのか。


「そう」


「……」


「どんな内容か聞かないよ」


 聞いていいのかよ。さっきあんな話したばかりだってのに。


「……」一拍置いてから、宮之城は、「お母さんが見つかったって」


 ……。


 マジかよ。


「よくわからないけど。どっかの駐車場に留めてあった車の下に倒れていたのを、車の持ち主に発見されたんだって」


 車の下かぁ。


 かくれんぼなわけもないからな。果たしてまともな生活を送っていたのかどうか。


「さあ、今郊外の病院に運び込まれたって、お父さんが。あと、もう長くないかもとも言ってた」


 長くないって……それって、死ぬ、ってことか?


 じゃあ、早く会いに行ってやらないと。


「あなた、今までの私の話、聞いてたの?」


 案の定というか、知り合いとして云うべきかどうか迷って結果云った言葉が宮之城を怒らせてしまった。怒った、というよりはいらだっているというべきか。やはり、宮之城は会いに行くつもりがないらしい。


「お母さんは、私を虐待した挙句、お父さんを置いて出ていったのよ。もう一生会わないと思って今まで過ごしてきたのに、今さらポッと出てくるなんて。正直、困る……」


 少しだけ沈黙の間が開いた。俺が何も言わないからだろう。


「……」


 しょうがないので、俺は言ってやった。


「まあ、話を聞く限り、確かに会いに行っても碌なことにはならなさそうではあるな」


 だから母には会わないですたこら帰ろうぜ、ってか?


 いいや、俺にはわかる。


 本当に会いに行く気がないなら、宮之城は今も平然な顔を装って茶店でくつろいでいただろう。少なくともわざわざ購入したカプチーノくらいは飲んでいったはずだ。


 要するにこれらは、全て宮之城の本心の裏返しなのだ。本当は母親に会いに行ってみたい、でも色々事情があって素直に会いに行けない、そんな複雑な想いの発現なのである。今宮之城が俺に真に求めていることは、ほんの少しの共感と、ほんの少しの後押しなのである。ここまで全部俺の妄想だけどな。本当は宮之城の気持ちなんてなんもわからん。


「でも、顔くらいは別に見に行ってもいいんじゃないか?子供の頃に人が変わったようになって、虐待されて捨てられて、それが腹立たしいっていうなら会いに行って顔に唾でも吐き捨ててくればいい。もうすぐくたばるって話なんだから、それくらいしてやっても報復なんかできっこないだろうしな」


「……」


 宮之城は怒ってるんだか納得してるんだかよくわからない表情を浮かべている。


「顔見に行って文句の一つでも言ってやれば、心すっきりかもしれないだろ?」


「……そうね」


 大きなため息を吐いた後、


「じゃあ、お節介のついでに、一つあなたにおねがいしてもいいかしら」


「お願い?」


「……一緒に来てくれないかしら。独りで会う勇気、ないから」


 ……。


「どこの病院だっけ」


「郊外の。ここから電車で二時間くらい……」


「ええっ!遠っ!?」


 俺は現在時刻を確認した。往復だけでも確実に陽が暮れるぞ。


「ダメ?これまで色々余計なことに首を突っ込んでおいて?」


 宮之城がここにきて、面倒くさい彼女みたいな事を言い始めた。


「誰が彼女よ。ハッ倒すわよ」


 すいません。


 とまあ、そんなこんなで俺も同行する流れとなってしまったのである。いやいや、冷静に考えなくともこれはおかしいだろ。


 しかし、一人では心細いという宮之城も気持ちもわからんでもない。


 仕方がない。乗り掛かった舟なので最後までついてゆくとしようじゃないか。こうなったら母を訪ねて三千里まで、どこまでもついて行ってやる。


 でも親に心配かけないよう、事前に帰りが遅くなる旨を連絡しておこう。


「殊勝な心がけね。


……ねぇ、ところでちょっと気になったんだけど。私虐待云々の話、いつあなたに話したかしら?」


 宮之城の何気ない言葉に、俺もはてと首を傾げた。


 あれ?


 そう言えばそうだ。


 あの話って、何時宮之城から聞いたんだったか。もしかしたらこちらの世界ではなく向こうの世界で聞いたのかもしれない。


 記憶が朧気であんまり思えてないや。












 電車を乗り継いで三時間。


 都会だと豪語しても差し支えなかったであろう地方都市を離れ、俺と宮之城は郊外の病院へとたどり着いた。


 今やほとんど見かけることのなくなった水田が、一面に広がっているのを見るに、かなりの田舎までやってきてしまったのだと実感させられる。

 

 宮之城の母親はこんなところで何をしていたのだろうか。


 考えても無駄だろうか。


 道中、宮之城とはほとんど話さなかった。彼女も色々と思うところがあるのだろう。病院に近づくたびに彼女から発せられる緊張が増している気がした。


 一応、何も話さなかったわけではない。というか、聞いておくべきことを聞いたというだけではあるが。


「俺を誘うくらいなら、父親と行けばよかったんじゃないのか」


「お父さんは仕事が忙しくて抜けられないって」


 こんな時に仕事かよ。母が母なら父も父だな、おい。


「というより、お父さんはもうあの人と会うつもり、無いみたい。今回の報告だって、一応伝えておく、みたいな雰囲気だったし」


 ……なんもいえねぇ。他人の家庭事情に首突っ込むと胃が痛むぜ。


 そんなこんなでバッドなテンションを維持したまま、俺たちは宮之城の母親の搬送された病院内へと足を踏み入れた。


 病院は、田舎にしてはそこそこの規模の大きさであった。どうやら個人で経営しているようで、病院名には院長の苗字らしきものがあてがわれていた。芸がないネーミングだなと一瞬思ったが、そもそも病院なんてどれも似通った名前だし、本人も独立の際に色々考えた挙句、結局のところ病院なんてのは奇をてらった名前よりも、無難な名の方が良いということに気が付いてしまうのだろう。頭の良い人は。


 病院に入った後は、特にいうことはない。死ぬほど暇そうにしている受付の看護師に話しかけて、宮之城の隣にいるどう見てもただの同級生である俺の素性を特に確認することなく病室へと案内され、個室へとたどり着いて部屋の中へと心の準備もなくあっけなく通された俺の心境はいかなるものかというと、はっきり言って、安易について来たのを後悔しそうになった。


 宮之城は一言も発さない。


 俺は彼女の横顔を見た。ケロイドに覆われた左目が見える。


 宮之城の母親も同様に顔をケロイドで覆われていた。しかし、顔全面が、である。そこには宮之城のような一種の神秘的美貌、ミロのヴィーナスのように、欠けていることでむしろその神秘性を際立たせるかのような、そんな印象は全くと言っていいほど感じられなく、ただ火傷によって崩壊した顔面とちりじりの髪があるのみだった。


 身体に掛けてある布が上下しているのが分かって、思わず息を呑んだ。非常に弱っているものの、生きている。生きた人間であるという事実が、なお一層悲惨だと思う。


 見るに堪えない。


 正直にそう思った。


 毎朝、鏡を見るたびに、これと顔を突き合わせることになるのだと考えると、確かに正気ではいられないかもしれないな。


 俺はそわそわしながら、隣を見やった。


 宮之城は一言も発さない。


 俺も、あらゆるコメントを封殺されていた。仮に何を言っても、口にした側から水蒸気のように宙に離散して、消えてなくなってしまう様に思わせられるかのような、そんな空気が蔓延していたのだ。


 暫く、寒天のように重苦しい停滞が病室を押し固めてピクリとも動けやしなかったのだが、それを最初にぶち破ったのは、やはりというか宮之城だった。


 宮之城は勢いよく病室を飛び出した。傍にいたナースが事情も分からず後を追う。


 まあ、感動の対面とはいかないだろうことは想像できたけれど。


 俺も大きくため息を吐いて、帰りますかと踵を返したところで、ふと俺を呼び留める声が聞こえることに気が付いた。


 振り返った。


 病室の窓から差し込む斜陽を浴びている、宮之城の母が、こちらを見ていることに気がついた。


 俺はしぶしぶ、ベッドの近くの丸椅子に腰を下ろした。さすがに病人を無視するわけにもいかん。


 同級生の母親と病室で対面って、字面だけ見たらドラマのワンシーンみたいだけれどな。実態は全くと言っていいほどロマンティックでない。


 それからしばらく、俺は宮之城の母親の話を聞いた。話を聞いたとは言っても別に身の上話でもされたわけではない。宮之城に渡してほしいものがある、というだけらしかった。


 宮之城の母親は、懐からネックレスを取り出した。


 いつか、どこかで見たことがあるような、そんな意匠が凝らされたネックレスを。


 俺はネックレスを受け取ると、それから宮之城を追って 、病室を飛び出した。






 その数分後。








 俺は絶叫しながら、ネックレスを手に病院内を全力で走っていた。


 廊下の曲がり角を抜けて、息も絶え絶えに駆けだすと、今しがた曲がり終えた曲がり角から大型トラックが、病院の窓ガラスやら壁やらを粉砕しながら姿を現したのだった。運転が荒い、なんてレベルじゃない蛮行だ。まさか病院内でトラックをミサイルみたいに走らせる阿呆がいるとはな。ってそんなわけないか。


 まあその内現れるだろうとは思っていた。


 それに、あれに轢かれても死なないということも、もう薄々気が付いている。あれは俺のあっちの世界に送り込むための装置のようなものなのだと。


 じゃあ、なんで俺は全力で逃げているのかというと、まずいくら大丈夫だからってトラックに轢かれるのは御免こうむりたいということと、宮之城の母に渡されたネックレスを今すぐにでも、なんとしてでも宮之城に渡したかったからだ。


 宮之城も彼女の父親も、あの態度からしてどうせあの人の遺品など引き取ろうとはしないだろう。俺がこれを渡さない限り、これは誰の手に渡ることもなく打ち捨てられる。


 ネックレスは俺の手から宮之城に渡さなければならない。正確には、俺を通して、宮之城の母親が宮之城にこれを渡したかったのだという、その事実を伝えなければならない。


 俺にはこれが彼女らにとって何を意味しているのか、分からない、がしかし、それでも俺にはこれを届けねばという確固たる意志があった。


 どうして俺は今全力疾走しているのか。ただ命が助かりたいだけなのか、宮之城母娘のためなのか、或いは自分勝手な衝動からか、いや、最早理由などないのかもしれない。もういい、とにかく、走れ!


 後ろから突き立てるようなトラックの破壊音が、俺の背中を更に押した。


 が、すぐにかかとで急ブレーキをかけて、止まった。止まり切れずに、無様に尻もちをついてしまったが、そんなことは問題ですらなかった。


 向かい側からも、トラックが出現したのだ。曲がり角を後ろのトラックと同じように粉砕しながら、まるで巨大な怪獣の目のようなヘッドライトがギョロリとこちらを向いた。


 前門も後門もトラックである。


 挟まれた。奴らはこのまま俺を挟み込んで圧殺するつもりだろう。


 唯一の逃げ場はただ一つ。


 俺は窓の外を見た。立派な広葉樹が見事に聳え立っている。窓から飛び出して、あの木に飛び移れば、一先ずはこの場を凌げるはずだ。


 即座に鍵を開けて、窓を開けようとした、が窓枠は少しだけ開いたものの、すぐに止まって以降はびくともしなかった。どうやらこれ以上は開けられないらしい。飛び降り防止か?


 こうなるともう、やるしかない。


 窓ガラスをぶち破るのだ。


 トラックは、両サイドから猛然と突撃してくる。凄まじい轟音が左右の耳をつんざいた。


 一度、窓から離れて助走をつける。


 それから、乾坤一擲とばかりに、勢いよくガラスに体当たりした。



 バコッ。



 ……という音がして、俺の身体は思いっきり跳ね返されて、俺はすってんころりんとばかりに地面にへたり込んだのだった。予想外の、いや、或る意味想像通りの結果だったのかもしれないが、ガラスの強度が期待よりもずっと高かった。マンガじゃバリバリ割れてるイメージだけど、リアルだとこんなもんか。やれやれこんなところだけリアルなんだもんな。


 そんな間抜けな考えを最後に。


 辞世の句を詠む暇もなく、


 地面に転がった俺は、両側からトラックにあっさりと押しつぶされた。







 


 前進の骨が粉砕されるとともに自分の肉がプレスされる音という、イヤなものを耳にしてしまったという記憶を最後に、意識はぷっつりと途絶えた。


 かと思いきや、気が付くと俺も目の前に、大きなおじさんの顔があった。


 生暖かい空気が胸に送り込まれてゆく。非常に気持ちの悪い感触である。 


 意識が徐々に戻ってくると、途端にキツイ加齢臭が鼻孔を突き抜け、その衝撃で意識が爆発的に回復した。


「うぉぉっ!!!?」


 俺は加齢臭漂うおじさんにディープなキスをかまされていたのだ。当然、飛び起きたね。


 口を袖で拭うが、イヤな感触が唇から離れない。お前ふざけんなお前。俺のファーストキスだぞコラ。


 思わずキスの相手を睨んだ俺は、――吃驚して目玉が飛び出すかと思ったね――そうやって、死んだはずのJ一郎とばっちり目を合わせることとなったのだ。


 顎がすとんと落ちる。怒りと悲しみも同時にどこかに落っことしてしまったみたいだ。死人が蘇る衝撃ってのは、体感してみるとすさまじいものなのだな。


「いや、どちらかっつーと、蘇ったのはお前の方なんだがな?とりあえず、蘇生おめでとう、とでも言っておこうか」


 蘇生?

 いや、それよりもだ。


 アンタはロビーで銃に撃たれて死んだだろうが。


「ああ、ありゃ嘘だ」


 ウソォ!?


「敵を欺く作戦ってこったな。もうこうなった以上、お前らを騙す意味もなくなっちまったが」


 急いで周囲を確認すると、J一郎のほかに倒れて気絶している舞城とアリス、それから壁に凭れて項垂れている宮之城がいた。なんだこれ。


 全く状況が読めない俺に、J一郎は顎でとある方向を示しながら、


「説明の前に、まずはお互いに戦況を見守ろうぜ。どうせあいつが負けたら、それで終わりなわけだしな」


 J一郎の示す先を見やると、迦十先生が何者かと対峙していた。


 その何者かと、ものすごい勢いで拳と拳の応酬を繰り広げているのだ。


 何者か。


 ちょっと、形容しがたい。というか、なんだ、アレ?


 どうなっているんだ?


「れいなっ!この人、思ったよりも強いよねっ!!ねっ!!」


 右の三つ編み少女が叫ぶ。


 叫びながら右の拳を迦十先生へとがむしゃらに叩きこんでいるが、あっさりとガードされているようだった。しかし、打ち込む拳が速すぎて残像を描いている。


「でも、勝てるよねっ!?ねっ!?」


「う、うん。も、もちろんだよ、らんこちゃん」


 左の少女は控えめに同意を示しながらも、長い髪をブンブン振り回して迦十先生に的確にボディブローを打ち込んだ。迦十先生の身体が斜めに一メートルくらい吹っ飛んだ。


 二人の容姿は、髪の毛の色と形を覗けば、まるで鏡写しのようにそっくりである。双子だろう。しかし、右は勝気で、左は弱気といった具合の表情を浮かべているので、見分ける分には非常にわかりやすい。


「あ、当り前だよ。わ、わたしたちには、お、おねえちゃんがいるんだからっ」


 左の少女は、真ん中にいる姉らしき女性へと、顔を向けて同意を求める。


「だよねっ」


「ねえちゃんが入れば、私たちは無敵の「マンモス・シスターズ」だよなっ!!なっ、ねえちゃん!」


 右と左、両サイドから同意を求められた姉は、しかしながら、無言。当たり前だ。のだから、見るからにしゃべりようがない。


 最初は、首の無い姉が、両肩にしがみつく双子を、両手で抱えているのかと思った。


 もうこの時点で色々おかしいが、しかし、すぐにそうではないことに気が付く。


 双子の脚が見当たらない。ゆるめの修道服を着ているせいかわかりづらいのだが、二人の腰のあたりが姉の腰とつながっているのだろうか。


 信じられないことだが、あの三人はしているのだ。


 とでもいうべきか。双子の腰が、姉の腰のあたりにつながっていて、三人それぞれが、それぞれの身体を支え合っている。双子が、片方の手を姉の肩にかけ、姉が双子の身体を両手で抱えている、というワケだった。


 しかし、姉にはやはり首がない。包帯で切り口をぐるぐるに巻かれている。


 ということは、あの姉の身体を動かしているのは、おそらくあの双子なのだろう。双子は足を持たないため、姉の二本の脚を動かさないと、移動ができないのだ。


「ねえちゃんっ!もっと足動かして!こいつ強い、ここで確実に殺そうよ。そうしよっ」


「だ、だめだよ、らんこちゃん。お、おねえちゃんに、無理言っちゃ。や、病み上がりなんだから」


 病み上がりっていうか、どちらかというと「病み終わり」って感じだけどな。その姉。


 「その姉、多分もう死んでるよね?」という突っ込みが一切通用しなさそうな狂気を、あの双子は孕んでいる。目がラリっているのだ。絶対に関わり合いになりたくない人種だ。


 格闘中ものんきにしゃべりまくっている双子と対照的に、迦十先生はひたすら無言で双子の攻撃をさばいていた。稀に見る迦十先生のガチモードである。馬鹿やった生徒に対しマジで説教してるときはだいたいあんな感じだった。


 よほど相手が強いと見た。


 実際、三人?の戦いは傍目に見て全く目がついていかないほど高速でことが進んでいるのだ。互いの拳の一つ一つが宙に残像を残している。プロボクサーも真っ青の空前絶後のラッシュである。人間業かどうか怪しい域に達しているとすら感じる。


「ありゃお互いでドーピングしてんだ。一時的に身体能力のリミッターを外してる」


 魔薬。そんなのがあんのか。


「トーシローが使ったら一発でお陀仏だけどな。肉体の負担も大きいし、筋肉馬鹿以外まず使わねーよ」


「誰が筋肉馬鹿だコラっ!!」


 迦十先生の怒りの声が轟いた。あれで全部聞こえてんのかよ。末恐ろしい人だな。しかし、先生に余裕があるのかどうかは怪しいところだと言わざるを得ない。


 双子プラスアルファ、確か「マンモス・シスターズ」とか言っていたか、彼女らは姉の足を使って派手に動いて、迦十先生に飽和攻撃を加えている。胴体(姉)も、まるで∞を描くかのような軌道で無い頭を左右に激しく動かし、迦十先生のカウンターを上手く躱していた。まさに双子と阿吽の呼吸……かと思ったがおそらくアレは双子が動かしているのだろう。


 激しさをますシスターズとは逆に、迦十先生はひたすら防御に徹していた。左手をお腹まで下げて、右腕は顎のあたりを守る。L字ガードによって、双子の猛攻を堅実にさばいていた。凄まじい速度で身体を左右に回転させ、敵のパンチを確実にいなす。メイウェザーばりの卓越したディフェンス。流れる水のような双子の鋭いラッシュを、両腕と肩ですいすいとかき分けきる様は、まさに海に浮かぶ要塞である。


 とはいえ、双子のラッシュは左右が独立して放たれているためにリズムが掴みづらいのか、ところどころ左の少女に鉄壁の防御を貫かれて、肝臓を確実に打たれていた。そのたびに、迦十先生の顔が苦痛に歪む。


 技術的には迦十先生に軍配が上がるように、素人目には思える。しかし、結合性三胎による双子の独立的攻撃という、あまりにも型破りなスタイルが迦十先生を追い詰めている、といったところか。


 というか、彼らは魔術師なのに、何故バトル漫画並みの殴り合いをしているのだろう。


「パメラはああいうスタイルの魔術の使い手なんだよ」


 俺の疑問に、J一郎が答えた。


 魔術?


 魔術を使っているのか?アレ。そうは見えないが。


「パメラの魔術は解錠に特化させて構築されているからな、作用自体は派手なものじゃない。ちょっと自身の動きを実際よりも早く見せるってくらいだ」


 それで勝てるのか甚だ疑問だぜ。宮之城は派手に燃やしてたけどな。


「魔術ってのは作用の強力さだけがウリじゃない。むしろ、熟練の魔術師程魔術の作用は地味なものが多い傾向にある」


 何故?


「魔術の負担を減らしたいからだ。強力な主作用は副作用も強いからな。若い内は無理も利くが、年を取れば取るほどこたえるぜ、あれは。だから、熟練の魔術師程少ない負担で敵を倒そうとする。パメラは寧ろ格闘がメインで、その補助として魔術を使ってる。魔術の解錠作用を高め敵からの攻撃を防ぎ、副作用を抑える。完全掌握を狙わず、敵を殴り倒すことに特化した魔術だな」


 なるほど、よくわからん。


 魔術とは奥が深いんだな。てことだけは理解した。


「魔術には基本特性ってのがある。主に吸収性、排出性、分布性、代謝性の四種だな。パメラの魔術はこの四種の配分が極端で、魔術の解錠作用を高めるために吸収性を―――――」


「いや、あの、魔術談義は後にしてもらっていいですかね。それよりも、結局、先生は勝てるんですか?あのなんちゃらシスターズとやらに」


「わからん」


 あっさりと言いやがる。


「ふざけた相手だと思ったが、ふたを開けて見りゃ想像以上に手練れだ。同じ「武闘派」でパメラとも相性が悪い。贔屓目無しに見て、実力は拮抗してると言っていいだろうな」


 そう言って俺から目を離し、再び迦十先生へと向き直ったJ一郎は、更にこう言い直した。


「いや?これは……おい、喜べ。パメラが勝ったかもしれんぞ。敵は経験が浅い、明らかに引き際を見誤った」


 俺も先生を見る。どうだろうか。


 素直に賛成できない。


 俺には先生が敵に押されているようにしか見えないが。


「パメラの魔術はなんだよ。見てろ、そろそろするぞ」


 J一郎がそう言ったのとほぼ同時に、シスターズの猛攻が不意に止まった。それから、双子の右のほうがゲラゲラと笑い出す。


「コイツ、もう虫の息だよね、ね!今なら、通用するはず。私たちの魔術で倒してやるぞっ!」


「そ、そうだね。わ、私たちの「道化師の箱の魔術」で」


 瞬間。


「うぉっ!」


 ビルの廊下全体が大きくうねって、湾曲して、徐々に螺旋を描き始める。


 天と地が真っ逆さま。俺は地面にへばりついた。とてもじゃないが立っていられない。


 迦十先生はどうだ。あの人ほどのバイタリティならば、この状況でも平然と突っ立って鼻でもほじっているかもしれない。一縷の望みにかけて、俺は天を見上げる。しかし。


 らせん状に湾曲した廊下の位置関係上、俺の丁度真上からすこし外れたあたりに、先生とシスターズの二人(四人?)は立っていた。先生は態勢を崩して片膝をついている。シスターズの前でのそれは、誰がどう見ても致命的な隙でしかなかった。


 シスターズの右の双子も、俺と同様に先生の敗北を確信したらしい。叫んだ。


「コイツ、平衡感覚を失ってるぞっ!!勝ったっ!勝ったっ!」


「いや、それは違うな」


 ところが迦十先生は存外、余裕をぶっこいていた。


「お前ら、勝負を焦ったな?私が思いのほかしぶとくて、ラッシュを打ちこむのに疲れたんだろ」


「……だ、だから、な、何だっていうの。も、もう虫の息のクセにっ!」


 左の少女が、狼狽えたような震えた声を上げる。元からこんな感じの震えた声だったから、動揺しているのか平然としているのか判別がつかない。


「そう思うか?じゃあ、見せてやるよ私の「神速の魔術」を。


 よ?」


「……」


 シスターズは、暫し放心していた。


 その一瞬が命取りとなったのだ。


 しかし、彼女たちの気持ちもわかる。


 迦十先生は、シスターズの目の前で突然、三人に分裂したのだから。


 残像……なのだろうか。先生のあまりにも急な分裂に硬直したシスターズの隙を逃さず、三人の分裂体が同時に強襲する。


 シスターズはすぐに硬直から脱出し、右からくる右の先生の蹴りを右の双子が、左から飛んできた左の先生のアッパーを左の双子が、それぞれ咄嗟に防御した。


 防御、してしまった。


 瞬間的に左右に意識が偏った双子は、ど真ん中の先生が繰り出した神速の蹴りをまともに姉の胴体に食らわせてしまったのだ。


 蹴りを食らった双子が、よろよろと後ろに後退して、それから左右それぞれが嘔吐した。相当のダメージを受けた。


 勝負が決した。そんな空気があたりを支配した、その気の抜けた一瞬のチャンスを奴が見逃さなかったのは敵ながら流石というべきだろう。


 口から放出した吐瀉物が地面に落ち切らない内に、シスターズは仰向けのまま勢いよく後退していった。その凄まじい撤退速度と言ったら、ゴキブリ並みの初速である。彼女らの身体が螺旋の廊下に、トイレに流した紙のように吸い込まれてゆく。


「逃がすかっ!」


 迦十先生がとっさに追い縋ろうとするものの、ところがすぐにピタリと止まって、よろよろと廊下の壁により縋った後、どういうわけだか勢いよく胃の中身を吐き出した。


 物凄い勢い。


 滝のような。


 ……うぁぁぁ。


「あちゃ~。過剰作用オーバードーズだ。魔術の使い過ぎだな」


 あれが過剰作用か。相当辛そうだ。俺も魔術の使い過ぎには気を付けよう。


「しかし、アイツの逃がしたのは痛いな。


……ん?」


 J一郎がふと、何かに気が付いたように廊下の先を見つめた。


 いつの間にか湾曲した廊下は元通りになっていたが、そんな廊下の向こうから、こちらに向かってズルズルと何かを引きずりながら近づいてくる人影があった。


 あのメイド服。一発でだれだかわかる。


 モルグだった。


 モルグが、先ほど逃亡したシスターズをひっ捕らえていたのだ。モルグはすたすたとこちらに歩み寄ってくると、俺たちの前に、気絶しているシスターズを投げやった。


 まるで飼い猫が捕ってきてしまったネズミの処分に頭を悩ませる飼い主のような心持である。これをどうしろと?


「なんとなくだが……そいつの強さのカラクリがようやっと見えてきたぞ」


 吐き出すだけ吐いてすっきりしたらしい迦十先生が、左手から金色のメリケンサックを外しながら、こちらにやってくる。そんなものを装着していたのか。


 というか、もう平気なんですかね。


「ちょっと前までこれくらいの無理は全然平気だったんだけどなぁ」


「歳ですかね」


「あ?ぶっ飛ばすぞ。そんなことよりもだ」


 迦十先生はモルグに近づいて、


「……やっぱりな」


 やっぱりって、何かわかったのだろうか。


「コイツ人間じゃねぇ」


「まあ、確かにモルグの怪力は人間離れしていますけどね」


「そうじゃなくて、文字通りの意味で人間じゃねぇって言ってんだよ。見てろ」


 迦十先生は徐に、モルグの目の前に手をもってきて、指を数回鳴らした。


 パチン、パチン、と破裂音が右へ、左へと往復していく。と、そこで、モルグの鋼鉄のような無表情が、ここにきて初めて感情らしい感情を見せたのだった。


 音を嫌がるように、モルグが顔を歪めて、顔の前に手をかざした。


 それはほんの一瞬だった。


「――あっ」


 俺にもそれが見えた。


 モルグの、少女のか細い腕の隙間から、ほんの僅かの間だけ、おおきな毛むくじゃらの腕と、異常に関節の太い指が垣間見えたのだ。


 その時、俺ははっきりと、モルグのメイドコスプレ少女の姿の裏に、何やら巨大な怪物が隠れ潜んでいるのだと認識したのだ。


「魔術でリミッターを外しても、あの怪力はあり得ねぇ。異常に高い魔術への耐性も説明がつかねぇ。だけど、コイツが「魔獣」なら話は別だ」


 魔獣。


 そうか。ようやく得心が言った。モルグは、少女の皮を被った、何か他の動物なのだ。だからあれほどの怪力を有している、ということか。


「正体はゴリラか……或いはオランウータンといったところだな。それにしても発想が面白い魔獣だ。なるほど、確かに魔獣だとバレなけりゃ魔獣は無敵だからな。こいつをお前が作った、ってんなら脱帽ものだぜ」


 先生はそう言って俺に笑いかけるが、全く覚えがないので全然うれしくない。


「えーっと、それで?」


 俺は横目で倒れ伏しているシスターズを警戒しつつ、


「これ、どういう状況なんです?」


「一言でいや、大ピンチ」


 じゃあ、のんびりと考察だの脱帽だのしてる場合じゃないだろ。


「つっても、どうにもならんしな」


 迦十先生はため息とともにそう言った後、親指で未だに壁に凭れている宮之城と、それから地面に伸びている舞城、アリスを指差した。


「作戦はものの見事に失敗した。おかげで舞城もアリスも、ベルサーチの魔術であの通りだ」


「まずその作戦について何ですけど、それ俺の知ってる奴と違いますよね?そもそも」


「そりゃそうだ。この作戦はお前を裏切者或いはメッセンジャーだという前提を元に立てられてるんだからな」


 やっぱり、先生は最初から俺を信用などしていなかったようである。


「お前に偽の情報を与え続け、かつJ一郎の死を偽装、その後としてJ一郎を使って敵を誘導、かく乱し、お前を囮にゴルゴ―マとベルサーチをアリスと私たちで挟撃する、って手はずだった」


 だけどそれが失敗したってことは、俺は魔術結社の回し者ではなかったということだろう。


「宮之城だよ」


 先生が何のためらいもなくそう言った。俺は思わず壁際の宮之城を見やる。もしかしてアレ、先生に制裁された後とかじゃないだろうな。


「宮之城のトークンが偽装されたんだ。信じられねぇけど。結果、宮之城を通してベルサーチの石化の魔術を送り込まれた。直前でギリギリ解錠が間に合ったが、アリスと舞城は再起不能だ。お前は心肺停止したが、なんとか蘇生に成功した。正直駄目だと思ってたけどな」


 宮之城が吐き出したあの蛇を思い出す。アレがベルサーチの魔術だったのだろうか。いや、今はそんなことよりも、だ。


「偽装されたってことは、宮之城のトークンの情報を、敵がかなり詳しく把握していたってことになりますよね」


「そうなるな。どうやってかは知らんが……」


 なるほどね。


 なのか。


 俺だって、いくら鈍感でもここまで念押しされちゃあ、さすがに感付くさ。今までのことは全て偶然じゃないってね。


 並行世界と現実世界を行き来している、その意味なんて存在しないものだとばかり思っていたが。


「おしゃべりもいいけど、そろそろベルサーチが追いつく頃なんじゃない?」


 これまで事態を静観していたJ一郎の突っ込みに、先生が頷く。


「舞城らを起したら、脱出の準備だ。いまだ姿を見せないゴルゴ―マの挟撃が危ぶまれるが――」


 勝手に話を進める二人に、俺は控えめに手を上げて、


「あの……ベルサーチを倒す方法はないんですか?」


「ない。魔人は魔獣と同様魔術に圧倒的耐性を有している上に、SimSim《誤魔化し》が通用しない。文字通り無敵だ。唯一の欠点は魔術の定着が不安定であることだが」


「不安定だと、どうなるんです」


「ふとしたきっかけで正気に戻る……可能性がある」


 俺の問いに、J一郎が補足を入れる。


「魔獣やら魔人てのは、固定された魔術によって本来とは違った姿、力を持っていると錯覚させられている、みたいなもんだからな。正気に戻しちまえば、変身は解ける。だが、魔獣の場合自然に正気に戻るなんてのはまずない。それと比べて魔人は素体が人間だから、畜生と違って外部の刺激で正気に戻る……こともある。つっても、よほどの刺激が無ければ正気には戻せんよ」


「よほどの刺激って、何です」


「素体となった人間の記憶を想起させるような呼びかけだったり……だな。ベルサーチの素体となった人間の情報がねーんだから、どちらにせよ考える意味なんかねーよ」


 そう言うことだったのか。


 俺はJ一郎の説明を聞いて、ようやく確信を得た。


 それから、二人にをしたのだ。








「あの~……ベルサーチを倒す方法があるかもしれない、って言ったら、聞いてくれますかね?」





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