パラレル・マジシャン
洞廻里 眞眩
プロローグ 完全なる密室へ
ガキの頃はミステリが大好きだった。本格的な推理や「読者への挑戦」は心躍ったし、大胆不敵且つ繊細なトリックによって構築される「密室」には度肝を抜かれたものだ。ミステリ作家たちの独創的な創意工夫の数々には脱帽。海外の派手で大胆なトリックはもちろんのこと、なんていっても日本のミステリ小説は動機の作り込みや、叙述のレベルが高くて本当に素晴らしいよな。
なんてなことを考えていた。
ガキの頃は、な。
今となっては、滅茶苦茶凝った推理や信じられない密室殺人とそのトリックを見破ったとしても、なーんとも思わん。よくできたクイズ番組を晩飯つつきながら死んだアジの目で眺めている、みたいな虚無の心持だ。幾ばくかの感動はあれど、それは「喉に引っかかっていた魚の骨が気が付いたらいつの間にかとれていた」くらいのものだ。
だってよく考えなくても、現実にはあり得ないのだから。トリックだの密室だの推理だの。
幼少の頃の俺にとって本格ミステリとは、紛れもなく現実との地続きに確かに存在していた世界だった。なんというか、その他の娯楽小説のジャンルとは隔絶した現実感?みたいなものが子供心にグサッと来ていたというか。
だけど年を取るにつれて常識がある程度身についてくると、何を読んでいても「そんなわけねぇ」だの「あり得ねぇ」だの「下らねぇ」だの、邪な囁き声が頭にこびりついて離れなくなった。
その内、何時からだったかな、本を読むのもアニメや映画を見るもの下らなくなってやめてしまった。たまにふと思い返したかのように積んでおいた本を手に取ってパラパラめくっては見るものの、よくできたストーリーを目にしたって「へぇ、よく考えたね」とか「この作者天才なんだね」とか、俗な感想しか出てこない。感動がないんだ。
別に現実的じゃなくたって、フィクションなんだからと、現実とは切り離して嗜めばいいのでは?と思うだろうか。まあ確かにノンフィクションだとかドキュメンタリーだとか銘打たれているものも、蓋を開ければそのほとんどがフィクションなわけだし。ミステリとかSF同様「ノンフィクション風味」があるってだけで。
でも、なんとなく、裏切られた、と身勝手にも感じてしまった俺は、それからというもの、素直にフィクションを楽しめなくなってしまった。
世の中には何か巨大で奇妙な、解かれて然るべき未知の謎があるんだと信じていたし、実際まだまだ原因不明の摩訶不思議が、この世にはたくさん存在するのだろうとは思う。でも、それをわざわざ追いかけて解明しようなどという探求心は、いつの間にかどこかへ消えてしまった。
殺人事件?密室?
んなもん警察に任せとけ。
俺の感性は、成長するにしたがって貧していった。
俺は、虚構を望まなくなり、安定した平和な現実感だけを求めるようになったのだ。
……これが大人になるってことなのかな。
いや無論、今でも極々たまーに無性に推理物が見たくなる欲求がムラムラと湧いてくることがないわけでもないのだが、そんなときは名探偵コ〇ンでも読んどけばだいたい衝動が収まる。性欲とほとんど変わらん。
で、そんなわけで今の俺は本格ミステリなんてインテリジェンス風味な読み物にはほとほと飽きてしまっている、ということだ。今じゃ読んでるだけで頭が痛くなってくるくらいだ。子供の頃はすらすら読めたのに。大人になって読めなくなるってどういうこっちゃ。脳みそ事態はデカくなってるはずだろ。
昔はトリックの解明が面白くて仕方なかったんだけどな。今じゃ世界が密室でできていたりすべてがFだったり凶器が硝子のハンマーだったりしても、露ほどもときめかない。いつからこうなっちまったんだか。
まあたぶん頭が固くなったってことなのだろう。小学生の頃だって雰囲気だけで読み進めてただけなんだろうし、俺の頭が固いって事実は、試験の成績が嫌と言う程突きつけてくるわけだし。
……。
まあ、そんなこんなで今の俺がミステリなんてなーんにも好きじゃない、ってことはわかっていただけただろうが、じゃあどうしてこんなミステリだの密室だの云々について、偉そうに高説垂れてる評論家気取りのイタいオタクどもみたいに、べらべら一人語りしているのかと言うと、
それは現在の俺はその下手なミステリ紛いの意味不明な状況に陥っているからであり、パニックに陥りそうな思考を落ち着けるためにも、このようなモノローグに興じていたのである。
〇
少し落ち着いたので状況を整理しよう。
俺の身体は今、牢獄のような重苦しい雰囲気の小部屋に監禁されている。
壁はコンクリートで塗り固められているかのように重苦しい雰囲気で、装飾品はおろか小窓一つ見当たらない。
天井には小さな明かりに、鈍い音を立てて回っている換気扇が一つあるのみだ。部屋の中央には今にも崩れ落ちそうなほど心もとない細い脚で作られた机に安っぽいパイプ椅子が添えられており、俺はそのパイプ椅子に座らされていた。
そして―――これがこの部屋の最も奇妙な点であり俺にこの部屋を「密室」なのだと思いたらしめている最たる要因であるのだが―――この部屋にはおおよそ出入口であろうと思われるものがどこにも存在しないのであった。
部屋には普通、ドアが在る。当たり前だ。そこが部屋であり、人が出入りするために作られたものならば、仮にそれが人をこうして閉じ込めておくために作られたものだとして、出入りするためのドアは必要だろう。
しかしこの部屋は、鍵がかかっているとかならともかく、そもそもドアそのものが無いのだ。
出入口がない。すると大きな一つの疑問が浮かんでくる。
この部屋で唯一外と通じて良そうなものは換気扇のみであるが、幅にしてだいたい縦横20cmにも満たない小さな穴だし、あそこから俺の身体をこの部屋まで送り込めるとは到底思えない。
ならば俺の身体は一体どうやってこの部屋に入れられたのだろうか。
パッと思いつくのは上から放り込まれたパターンか。死体が空を飛ぶタイプの密室トリックは一昔前のミステリでは割とよくある話ではあるが、俺も彼らと同じ「あらかじめ用意された密室に後から入れられた」のだろうか(俺は死体じゃないが)。その場合は天井は後から用意された「蓋」というオチである。
一応、全くあり得ないとは言えない。
手間暇と金を惜しまなければ、そのような大仕掛け部屋を作り上げることは可能だが。はるか昔に、死体の周りにコテージを建設して密室を作り上げた世紀のアホの話を呼んだことがある。あんなの、登場人物が全員ワトソンみたいなやつでもない限り、成立しねえよ。
あり得なくはないんだ。でも、普通はないだろ。どんな仕掛けだろうが、やっぱりあり得ないのだ、こんな状況。誰がこんな部屋造りに躍起になる?殺すなら普通に殺すし、ドッキリを仕掛けたいならもっと穏便且つ工夫の数々を凝らす。
監禁や猟奇殺人が目的の誘拐とかだったらヤバいが、悪趣味すぎるドッキリだというならどこかにカメラでも仕掛けられているかもしれない……。
などと思って周囲を探っていた時だ。
この時の俺は、ピンチな状況だとは思っていたが、まさか、今すぐにでも危機に瀕している、などとは微塵も思っていなかったのだが、まさに状況は予断を許さないところまで来ていたのだ。
仮に危機を察知していたとして、防げたかどうかは甚だしく疑問ではあるが。
話を戻そう。
壁を叩きながら、これは、隠し通路になり得るような空洞などない上に、しかも相当分厚いぞ、等と身震いしていた俺は、はたと気が付いた。
何か、音が聞こえる。
壁に側頭部をを押し当てて、耳を澄ます。
エンジンの唸る音と排気音が聞こえる。
車?
音は徐々に近づいてくるようだった。
近づくにつれ、音がだんだん大きくなる。
嘘だろ?
まさかこれ。
嫌な予感がして、本能的に壁から距離を取ろうと身を捩ったその瞬間のことだった。
壁が、衝撃で粉々に吹っ飛んだ。
それから、飛んできた壁の破片が内臓を砕き、衝撃が鼓膜を突き破り、謎の閃光が網膜を焼いた。
何か巨大な物体が壁を砕き、その衝撃で俺の身体は、文字通り爆発四散したのだった。
瞬く間に腹部から全身にその衝撃が駆け巡り、四肢に伝わってゆくのが感じられる、などという間もなく両腕と足と頭が四方八方に弾け飛び、下半身と胴体が分離した。
四肢と頭部は四方の壁に叩きつけられて、胴体は力なく冷たい地面に沈む。
真っ暗に染まった視界の中に、意識だけがゆらゆらと微かに揺蕩う。しかし、それも少しずつ尾を引くように消えていった。
そして、間もなく、俺の意識は完全に消失したのだった。
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