第3話



 ◇



「それで、これから何をするの?」

「まずは鍛えないとな」


 とりあえず、アイビーにはこれから何が起こるのかをかいつまんで伝えた。

 十年後に魔王が襲来してくること、人間が一致団結することなく挑み、敗北したこと。俺はそんな未来を変えるために動こうと思っていること。

 アイビーは俺の話を聞いて、深々と頷いた。


「……そんなことになるんだ。この世界が魔王にやられちゃうなんて、想像もできないよ」


 アイビーは周囲を見渡した。

 人々が行き交い、それぞれの人生を生きている。彼らの視線は一寸先に固定され、十年後に世界が滅ぶなんて疑いもしていない。


 誰だってそうだ。

 魔物が大勢攻めてくるという説得が難しいのは、そもそも普通の人間が魔獣と出会う事なんか稀だから。

 魔獣はこの時も存在はしているが、市街に入ってくることはない。魔獣は警備隊や騎士団の討伐対象となっていて、街の外で静かに駆除される。

 だから大量の魔物がやってくるといっても、現実味に欠けるのだ。


 しかし、アイビーは俺の言う事を素直に聞いてくれる。髪と同じ色の眉は苦悩に寄っている。

 生きるという行為はすべての人間に与えられた権利である。それが無情にも奪われるということに、誰だって思うところがないわけがない。


「色々とわからないことも多いけどな」


 今のところここは俺の知る過去の世界。俺が前回と同じように行動すれば、まるで予言者のように振舞うことができるだろう。

 が、本当に同じように進んでいくのかはわからない。そもそも俺のことを嘲笑いたい魔王が同じような未来を用意するだろうか。

 そんな不明瞭に頭を悩ませるが、結局、俺は俺にできることをするだけ。


「了解! じゃあ私たちは世界を救うパーティーだってことね。勇者様だ、勇者様! すごい! 将来はおとぎ話の主役になっちゃうかも」


 アイビーは眼をきらきらとさせている。


「あんまり夢を見るなよ。そんな生易しい話じゃないんだ。俺は何人も死んでいくのを見てきたし、実際、犠牲なしでは目的を達することはできないだろう」

「リンクは後ろ向きだなあ。せっかく未来を知っているなら、良い未来を思い描こうよ。後悔を払しょくできるなら、自分の想い通りにできるってことでしょ」 

「……まあ、そうともいえるけど」

「なんだよお、ノリが悪いなあ。そんなテンションで世界なんか救えないでしょう!」


 ぱん、と背中を叩かれた。


 恥ずかしいんだよ。

 脳内で世界を救うと思うのと、口に出すのとではまるで違う。

 まだ十三歳くらいの姿だから、子供がかわいいこと言ってるよ、と周りから生暖かい視線を向けられるのも辛い。


 まあそれはともかく。

 当初の目的を完遂させよう。

 俺たち二人が向かったのは、とある道場だった。

 剣術を教えている街の道場で、鍛錬をするにはうってつけの場所だ。


「差し当たってはここだ。ここで俺たち自身の力を底上げする」

「地道に訓練するってこと?」

「それが一番の近道で王道なんだよ」

「ええー」


 どんな華やかな道を想像していたのか、嫌そうな顔をするアイビー。

 ここは俺たちの住む街の中でも厳しいと評判の道場だ。

 厳しいがゆえに、王都での騎士団員も多く輩出していて、周囲からの信頼も厚い。多くの門下生が輝かしい未来を目指してここの門を叩き、厳しい現実に打ちのめされてこの門から離れていく。


 門下生は随時受付。来るもの拒まずの大盤振る舞いで、飯と寝室と訓練がセットでついてくる。その代わり、将来大成したらこの道場を宣伝して回らないといけない。王都とこの街とに太いパイプを作らないといけない。

 それくらいならお安い御用だ。


「嫌なら来なきゃいい。別に遊びでやってるわけじゃないんだ」

「いくよ。私だって遊びでリンクについてきたわけじゃないし」


 アイビーの目に光が宿る。

 この子はこの子で何やら思うところがあるらしい。盗みを働いて生きてきたことに、負い目でもあるのだろうか。

 どちらにせよ、憧れだけでついてきたわけではなさそうだ。頼りがいがある。

 門を叩くと、俺たちとさほど変わらない年の瀬の少年が顔を出した。俺とアイビーの顔を見て、なんとも言えない表情を作る。


 また来たのか、という辟易とした感情。

 また去るのか、という憐憫じみた感情。

 幾度も繰り返したのだろうやり取りに、ため息をついていた。

 そんなこんなだから、彼は慣れた様子で俺たちを道場内に案内してくれた。


 訓練場に行くと、十数人の少年少女が訓練に明け暮れていた。そんな彼らに激を飛ばしているのが、ここの道場主のムクゲという大男。


「てめえらぬるいんだよ! 相手を殺すつもりでやれ!」


 木刀を手にした少年少女はその声に肩を震わせ、気合を込めて武器を振るう。


 王都から離れたこんな辺鄙な街に道場が存在する理由は、結構利己的なものだ。

 子供たちは武力を得ることで王都や中核都市に行って、華々しく活躍したい。道場は優秀な生徒を世に送り出して道場の名を上げたい。

 両方の思惑が合致することで、意欲的な場所が出来上がっている。

 そう、彼らは遊びで訓練をしていない。自分の人生を賭けてここに来ている。俺もそうだ。遊ぶ暇があったら、一秒でも多く鍛錬を積んでいたい。


 案内してくれた子はムクゲに一言告げると、訓練の中に戻っていった。

 彼の代わりに俺の眼前に立ったのは、見上げるくらいの大男。熊を想起させた。


「おう、てめえは入門希望者か」

「はい。リンクと申します」

「私はアイビーです」


 二人して、深々と頭を下げる。

 アイビーも敵意むき出しに睨んでくる大男を前にして、声を震わせることなく頭を下げている。普通の子供にはなかなかできることではない。

 街で、ある程度の修羅場をくぐってきたからだろう。段々と俺の中で好感度が上がっていく。


「てめえら、ここがどういう場所かわかってんのか」

「はい。存じ上げています」

「遊びでやってるわけじゃねえぞ。軽い気持ちで来てんなら、ここで去れ」

「わかっています。遊びじゃない。だからここに来たんです」


 俺は顔を上げて、ムクゲのことを睨み返した。

 意志と熱意と。

 ここで引くわけにはいかないという思いを乗せて、無精ひげの生えた顔を見返す。

 俺とアイビー、両方を交互に見てから、髭男の相好が少し崩れた。


「……ふむ。おまえら、どこから来た」

「リフェス孤児院からです」

「ああ、知ってるぞ。その孤児院から来たやつには覚えがある。そこから来たにしちゃ、てめえらは眼が澄んでやがるな。その歳で俺と睨み合って逸らさないだなんて、見どころがある」


 口角が歪められた。

 まずは第一関門は突破したようだ。


「レド!」


 ムクゲが大声で呼んだのは、一人の少年の名前だった。

 俺たちと同い年くらいの少年。赤毛を短く揃えた彼は、怠慢を隠そうともせずに俺たちの前にやってきた。


「なんだよ親父」

「こいつらの相手をしてやれ」


 レドは唇を尖らせる。


「やだよ、めんどくさい。こいつらみてえな浮浪児が俺に勝てるわけないだろ。どうせただ飯をたかりにきただけだって。俺だって暇じゃないんだぜ」

「おまえ、何度も言っているだろ。油断と慢心はするなと。勝負の世界においてそれは一番の敵になる」

「んなことわかってる。わかってて言ってんだよ」


 欠伸を噛み殺しながらも、彼は俺と目を合わせた。


「まあ、残念だったな。俺がここにいる間、新しい門下生は増やせねえんだ。誰も俺に勝てねえからな。期待なんかするんじゃねえぞ。騎士だなんて夢は見ずに、地道に日銭を稼ぐんだな」


 ハ、と嘲笑を残された。

 大分調子に乗っているようだ。

 ムクゲは腕組をしながら、俺たちに向き直った。


「レドと戦って、ある程度試合を作れたら入門を考えてやる。いいな?」


 有無を言わさぬ口調だった。

 ごくり、と息を飲む音は周囲の訓練生たちから。レドの態度が認可されている以上、大体のパワーバランスは把握できる。


 同世代では相手にならない強敵との一戦。

 それで十分。


「なんかむかつくね、あの子」小声で俺に囁いてくるアイビー。「リンクのことはそこまで心配していないよ。ぼこぼこにしちゃえ」


 親指を突き出しての応援。


「当たり前だ。俺が負けるわけがない。おまえの出番をなくしたら悪いな」

「私はなくてもいいよ。どうとでもできるもん」


 自信満々に笑うアイビーと離れて、俺は道場の中心へ。手渡された木刀を持って、レドと向き合う。

 訓練生がこちらに目を向けてくるが、ムクゲが一喝するとまた訓練に戻っていった。


 レドは木刀の柄を手でこねながら、


「一太刀でも受けられればいい試合だって言えるからよ。せいぜい頑張ってくれ」

「問答はいい。口では何とでも言えるからな」


 俺の挑発にかちんと来たのか、レドは木刀を握りなおす。


「後悔しろよ」


 床を蹴る。

 俺たちの距離は離れていた。

 少なくとも、駆けよらないと時間がかかる程度には。


 それを、レドは数回の跳躍で詰めてきた。

 自信満々な言葉に裏付けするかのように、素早い足と剣先で、俺に迫ってくる。


 上段からの斬りかかり。

 大人顔負けの一連の動作は、洗練されていて美しい。

 が。


「後悔なんざ、死ぬほどしてきたよ」


 死んでからこっち、俺はずっと自問自答を繰り返してきた。

 必要な力を、必要な情報を、必要なすべてを、集めるために。

 こんな田舎の少年の一太刀に苦戦するような無意味な時間を過ごしていたわけではない。


 向き合ってから、時間にして一秒ほど。防御すら許さないような速度での一閃を、俺は自身の木刀に添わせるようにして別方向に誘導した。

 レドの剣は俺の身体の横を通過して、振り下ろされる。当然、そこには何もなく、空振り。

 眼を白黒させる彼の胴に木刀を叩きつけた。 


「ぐ」


 呻きながらも俺から距離をとるレド。

 彼の一撃は速く、言うだけのことはあった。確かに、同年代で相手にできる者はいないだろう。


 だが、俺は違う。以前の人生で、伊達に学園に通って研鑽していたわけじゃない。彼よりも強い相手と何度も組手を繰り返してきた。この身体は筋力はまだ発展途上だが、技術はしっかりと受け継がれている。


「どうした。やっぱり口だけか?」


 そしてレドの性格。

 勝気で直線的な彼の想いが空回りしている。

 顔を真っ赤に染めたレドの動きは単調で、読みやすかった。


 横なぎの一振りを後ろに跳んで躱し、突きの剣先を木刀を当てて逸らして、攻撃を回避する。その合間合間で木刀で彼の胴を打ち据える。 


 それが五回も続いた頃だろうか、レドはついに膝をついた。

 腹部をおさえ、息を切らしながらも俺を睨みつけてくる。


「な、んだおまえ」

「リンクって言っただろ」

「こんな、俺が、手も足も……」


 言い淀む。

 そこから先は武人としての矜持があれば口には出せないだろう。


「……」


 ムクゲも眼を丸くしてこちらを見つめている。

 天狗になっていた秘蔵っ子に勝ってやったんだ。感謝の一つもしてもらいたい。

 しん、と水を打ったかのように静かになる場内。

 だから、その声は乾いた世界によく響いた。


「彼はリンク! この世界を救う、勇者になる男の名だ!」


 振り返ると、アイビーの煌めく笑顔が待っていた。


「この世界は遠くない未来、魔王によって侵略される。それを阻止するために私たちは立ち上がったのだ。さしずめ、勇者パーティーとでも呼んでよね」


 いつの間にかその場の全員が俺たちを見つめていた。

 そして誰もが何言ってんだこいつ、という顔をしていた。


 俺もまったく同じ気持ちだった。

 しかし、これはピンチでありチャンスともいえる。

 変なやつらがやってきたということにしてしまえば、無為な追及もされないだろう。俺たちは勇者を夢見る少年少女。それでいい。


「……その通り。俺たちはいずれ来たる魔王を討伐する。その力を得るために、この道場で力を磨きたい。よろしくお願いいたします」


 俺が頭を下げるのと同時、アイビーも一緒になって頭を下げた。

 当然あっけにとられるその場の全員。

 俺はムクゲに視線を投げた。


「いかがでしょうか」

「まあ、すでにレドを倒せるくらいに強いなら構わないが……」


 歯切れの悪い返事。

 しかし、言質はとった。

 なんとか俺たちはその身を道場へと寄せることができた。

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