第2話




 ◇



 次に眼を覚ました時、俺は違和感を覚えていた。

 最期の記憶――死の記憶。それは隣人のように簡単に思い出せる。死の感覚は冷たく、近く、絶対だった。それなのに、まるでそれが夢であったかのように、今こうして眼を開けている。


 暖かい。

 体を起こすと、布切れ一枚を羽織った状態だった。木組みのベッドの上で、複数人と一緒の雑魚寝。同衾していた相手は、いずれも子供。大人用のベッドに六人がしがみつくという、なかなかの状況。


「……」


 この状況には、覚えがある。大分昔。俺がまだ孤児院にいたころの光景だ。

 その孤児院は経営難で潰れた宿舎を利用させてもらっていたから、部屋数だけはあった。許容できる限界ぎりぎりの数の子たちが群がったものだから、こんな状況になっているのだった。

 俺がまだ魔王討伐に出る前で、学園に入る前で、そもそも魔王なんて単語を鼻で笑っていた時代で――。


「過去に戻ってる?」


 起き上がって外を見ると、まだ夜の帳は上がってはいなかった。とりあえず、俺が知っている夜空が広がっていた。

 他の子を起こさないように部屋を出て、水場に向かう。月の光を浴びる桶の中の水を覗くと、当然そこには俺の顔が映りこむ。

 焦げたような茶色の髪。相手を威圧するような三白眼。幼いながらにしてすでに捻くれてしまった口元。


 俺だ。

 まごうことなき俺だ。

 ただし思っていたよりも、十年ほど若かった。

 実際、俺がこの孤児院で燻っていたのは、十年前だ。

 時間軸的には間違っていない。間違っているのは、俺の記憶か、世界そのものか。


 ここで思い出すのは、魔王の最期の言葉。


 ――また、姿を見せておくれ。

 ――この場所で。


 呪詛のような言葉は、はっきりと思い出せる。

 聞いた当初こそ何を言われているのかわからなかった。負け惜しみにも似た戯言だと思っていた。

 しかし、”こういうこと”なのだろうか。もう一度、やり直せ、と。過去に戻って人生をやり直し、もう一度その阿呆面を見せに来いと。

 原理はわからないが、この言葉の真意は過去に戻すことだったのだろうか。俺の絶望する顔が見たくて、わざわざ俺のことを過去に送り、また自分の下に来いという意思表示。


 魔王の言葉からは、そう、受け取れた。

 つまり――とんでもなく、舐められている。


 皮肉が効きすぎて腹が立つこともない。

 おまえじゃどうせ私は殺せないだろう? だったら、もう一度チャンスを与えてやろう。そこで無様な姿をまた見せてくれよ。それが私の楽しみになるから。

 そんな言葉が聞こえた気がした。ご丁寧に、嘲笑を添えて。


「ああ、そうかい」


 不遜。傲慢。

 そんなものは人間の専売特許だと思っていたが、万物共通のものらしい。

 ちょっとの愉悦を味わうために数多の先人たちが散っていったというのに、後輩たちは何も学びはしない。


 自分の驕りを認めようともせず、満足するために危険をおかす。

 自分が強力すぎるがあまり、自分の牙城が崩れることを一切考えてはいないのだ。


 だが、これはチャンスだ。

 俺にとっては青天の霹靂に等しい。

 もう一度チャンスをもらえるのであれば、俺は絶対に魔王の首を落とす自信がある。まだ事が起こるまで十年もあるのだ。

 いや、時間がまだあるという判断はあまりに早計か。あいつの目的が俺の間抜け面を拝むことなら、前倒ししてくる可能性も、アレンジを加えてくることもありえる。


 が、何にせよ、俺は再度、あいつと相まみえることができる。

 こうして俺を過去に戻してしまったこと。それは魔王にとって最大の失敗になるだろう。

 なぜなら俺は、忘れていない。

 彼女の下にたどり着くために奮闘してくれた人たちのことを。彼女と向かい合い、彼女の使役する魔獣と共に戦いを挑んだ仲間たちのことを。そして、誰もかれもが志半ばで散っていったことを。


 その思いは共通だった。

 人間世界を滅ぼそうとした魔王を止めること。殺すこと。

 その思いを引き継いだ俺は、やる。成し遂げる。

 この世界を魔王の魔の手から救うのだ。



 ◇



 とは言ったものの、当面の目標を定めないといけない。

 魔王を倒すという最終目標のために必要なことは、大きく分けて三つだ。


 一、俺自身の力を強化する。

 二、信頼できる仲間を集める。

 三、世界に魔王の襲来を伝え、危機感を煽る。


 一は当然だ。魔王の力を知っているのはこの俺だけ。だったら、俺が強くなればいい。


 二も当たり前。鍛えたところで俺一人がどうこうできると驕るつもりはない。かつての仲間の様な信頼できる人たちを集め、彼らを強化する。それが魔王の強大な力に対処できる術だろう。


 三つ目。過去の俺の生きる世界では、魔王の襲来なんか予想されてもいなかった。事前に確認されたのも、魔王が声高々に存在を主張する一年くらい前から魔獣の目撃報告が多くなっていたくらいだ。


 ゆえに、人類は寝耳に水な強襲を受けたわけだ。まあ、前もって言ってくれよ、なんて文句を言うつもりはないが、今の俺には伝えることができる。万全な準備ができれば、人間の団結力でなんとかなるだろう。

 と思い、とりあえずは孤児院にいる全員に声をかけてみた。数少ない大人から、山ほどいる子供まで。

 魔王が十年後に現れる。このままでは人間は敗北する。だから今のうちに準備して、魔王を返り討ちにしてやろう、と。


 鼻で笑われた。

 俺が必死に熱弁すればするほど、あちらさんの目には憐みが宿っていく。

 最近そういう童話を読んだからなのね。そういう年頃は誰にだってあるわよ。そんな言葉で片づけられていく。


 正直切れそうになったが、クレバーな俺は落ち着くことにした。

 確かに、過去の俺だって魔王が声明を出すまでは、魔王の侵略なんて本気で信じていなかった。

 聖女を名乗る女性を据えたアグネス教会という組織が魔王の復活を声高々に訴えていたけれど、鼻で笑っていた側の人間だった。

 それはそうだ。今を生き抜くのにも必死なのに、十年後の魔王の侵攻に意識を向けるなんて、それは難しいだろう。それも証拠のない話。信じるなんて難しい。


 まあ、どちらにせよ、ここで信じてもらわなくても構いはしない。こんな場末の孤児院で信じてもらったって、その声はどこにも届かないだろう。


 別に悔しくはない。

 決して悔しいわけではないんだ。


 もっと多くの人々に大々的に広められる場所。王都に行こう。

 霊装使いの集まる学園に入学し、王都に至った時に声を大にして訴えればいい。

 学園に行けば霊装を有した仲間たちとも出会えるし、一緒に訓練をしていけばいい。それが一番の近道で王道だ。


 と思って、とりあえず三つ目の目的を後回しに考えていると、孤児院の中で一人だけ、興味を持ってくれた子がいた。

 アイビー・ヘデラ。

 俺と同い年の少女だ。


「本当なの? 魔王が攻めてくるって」


 怯えと興奮の混じった顔で、俺に詰め寄ってきた。

 毛先の丸まった癖毛の少女。明るい栗毛の髪色に合った、明るい性格の子だ。


 正直、過去も、”前回”も、俺はこの子とあまり話したことはなかった。孤児院にいる子たちはなんだかんだ流動的で、それに数が多い。いくつかのグループにも別れていたし、話さない子とは話さないまま別れていく。

 アイビーという子と話した記憶は薄く、俺は二周目の人生のくせに、彼女のことをあまりよく知らない。


 一つだけ知っているとすれば、彼女は一年後、死ぬということだ。


「ああ、本当だよ。十年後、魔王に襲われて世界は崩壊する」

「へえ。だから鍛えているの?」


 彼女が声をかけてきたのも、ちょうど俺が孤児院の壁のヘリで懸垂をしていた時だった。

 過去に戻ってからこっち、俺はひたすらに自分を鍛えていた。何はともあれ、俺自身を鍛えないと話にもなりはしない。

 幼いころより鍛え過ぎると身長がどうこうという話もあるが、構わない。記憶の底にこびりついた死体の記憶が、俺をじっとはさせてくれなかった。


「ああ。次は勝つ」

「一度戦ったの?」

「そうだ。負けちまったがな。次は勝つ。絶対に勝つ。そのために、色々とやることがあるんだ」

「すごい! かっこいい!」


 きらきらとした眼。

 そこには邪気とか打算とかいう色は一切なくて、純粋な興味だけが映っている。

 子供だからなあ。

 なんて思って白けそうになったけど、自分も周りからはこう見られているのだった。少し落ち込む。


 人のふり見て我がふり直す。

 懸垂をやめてアイビーに向き直った。

 少なくともこの子は本気で眼を輝かせている。だとすれば本気で相手をするべきだろう。


「信じてくれるのか?」

「信じるよ。だってリンク、本気の顔してるもん。嘘だったらそんなに必死に鍛えないもんね」


 少しだけ、嬉しかった。

 誰に何を言っても一蹴されていたのに、アイビーはそんな俺を信じてくれるという。

 こんな子だったのなら、過去、もう少し話しておけば良かった。


「すごいなあ。魔王を倒すってことは、勇者様ってことでしょう? カッコいい!」


 彼女の頭には孤児院に置いてある童話の物語が展開されているのだろう。

 過去、四聖剣が魔を退け、聖女と共に世界を救ったおとぎ話。もう三百年以上も前になるらしいけれど、憧れは人を素直にさせる。


「私も手伝いたい!」


 満面の笑みで俺に詰め寄ってくる少女。


 俺の胸中は複雑だった。

 そりゃ信頼できる仲間が欲しいとは言った。今の俺には有する感情が憧れであっても、信じてくれる相手は貴重である。子供であっても、俺も子供なのだから問題はない。


 しかし、彼女は死ぬのだ。

 一年後、そこいらの路地裏で無残に殺される未来が持っている。

 理由は彼女の持つ霊装と、行動にあった。

 彼女も”霊装使い”の人間だった。

 霊装――人間の”血”に宿るとされ、家族の中で最も適した存在に受け継がれていくという超常の力。基本的にそれは武器の形をしていて、人間が魔獣に対抗できる手段の一つだ。


 霊装――『フォールアウト』。


 それが彼女の持つ霊装の名前。産まれた時から有している霊装で、実物は古びたナイフ。能力はナイフのある地点に自分の身体を移動させるというもの。

 ナイフを放り投げてその地点に飛べるということは、縦横無尽に世界を駆けまわれるということ。

 これを利用して、彼女は街でいろいろと悪さをしていたらしい。


 窃盗、諜報、暗躍、その他もろもろ。

 表の人間に対しても、裏の人間に対しても、色々と。

 前回の歴史では、そんな行動が裏の人間の逆鱗に触れたらしく、孤児院までの帰り道を襲われ、帰らぬ人となった。俺も実際に彼女の無残な死体を目にしている。


 俺が彼女の手をすぐには取らなかった理由。

 迷惑は被りたくない。

 俺は学園に入らないといけない。そうしないと、四聖剣と出会えない。他の優秀な霊装使いとも出会えない。自分を鍛えるのにも限界が来る。

 彼女と関わることで俺もグルだと思われちゃたまらない。まだ幼少のこの姿では、ごろつき相手だって手間取るだろう。せっかく過去に戻ったのに、アイビーの仲間扱いでごろつきに殺されるんじゃあんまりだ。


「や、」


 いらないよ、と返そうとして。


 はた、と思う。

 この子は、死ぬのだ。

 今、俺の眼前で小首を傾げているこの少女は、一年後、死ぬのだ。

 それは絶対で、きっと覆ることはない。

 その未来を知っている人間が動かない限り。未来は変わることはない。


 ――俺は何のために過去に還ってきたんだ?


 当然、魔王を殺すためだ。人類を救うためだ。

 だから、それは崇高で、絶対で、邪魔されてはいけなくて。

 でも、そのために死を見て見ぬ振りしていいのだろうか。

 もしかしたら、救えるかもしれないのに。

 魔王を殺すことの本質は、人を救う事ではないのか。


「……」


 長考。

 眉を寄せる俺の葛藤に、アイビーの肩が揺れた。


「え、そんなに悩むの? 嫌ならそれはそれでいいんだけど……」

「おまえ、今まで霊装の力使って何かしたか? 他の人に恨まれるようなこと」

「……シテナイヨ」


 露骨に逸らされる目。

 孤児院での生活は、人としての最低限度だ。

 雨風凌げる場所と、誰でもできる簡単な仕事の対価、毎日を生きられるくらいの食事。生きていられる、それだけの生活。

 誰だって腹いっぱい食べたいし、ぐっすりと眠りたいし、綺麗な服を着たい。


 アイビーの霊装を使えば、例えば金持ちの家に忍び込んでつまみ食いができるし、衣食住も簡単に盗んで手に入れられる。満足な生活ができる。

 けれどそれをやりすぎたから、彼女は眼をつけられたのだ。


 アイビーという、俺の話を聞いてくれて、同時に霊装を持つ少女。戦力としては上々。

 デメリットは素行。変なところから目をつけられることになるかもしれない。

 利益不利益が天秤に乗って揺れる。

 俺はこの世界でどうしたいんだ。どうなりたいんだ。

 フラッシュバックするのは、仲間の死体。そして、アイビーの死体。それらが脳裏で重なったとき、答えは出てきていた。


「これから先、人から恨まれるようなことをするな。盗むな奪うな忍び込むな。足を洗えば、仲間に入れてやる」

「……えー」


 アイビーの眉が不満に寄る。

 ここまでが譲歩だろう。

 俺だって聖人じゃない。足を引っ張られて死にたくはないし、前回の敗北を忘れたわけじゃない。

 だけど本人に変わる意思があるのなら、その手助けくらいはしてもいいだろう。


「わかった。やめるよ」


 意外にも即断のアイビー。

 少し恥じらうような顔で、


「リンクにもバレてたのなら、皆知ってるってことだよね。危ない危ない。帰ってくるときに甘い匂いをさせてたのがいけなかったのかな」

「……そうだな」


 適当に頷く。

 当然、俺が詳細を知るはずもない。

 全部後から聞いた話だ。


「私もやめなくちゃいけないなって前から思ってたから。ちょうどいいタイミングなのかもね。リンクについていく方が面白そう!」


 にっこりと笑うその姿に、俺はどこか安堵していたのだった。

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