ゆいおっぷ
大魚佳苗
第1話 書店員と天狗
さしす書房セントラル矢戸東店の書店員の河野優に、ある男性客がこんな言葉を言った。
「すいません。『SSSランクの彼女はデフォルトで2回攻撃追加効果付き最強武器を持ってますけど、一年中痛ネイルをしていたいのでオレと一緒にモンスターのいない田舎に引きこもってラブラブ夫婦生活をしてたら、根性で探しにきた魔王に彼女を寝取られそうになり、最強武器振り回したらオレ自滅、そのまま2回目の転生でオレ50人の女に囲まれるハーレム王になってウハウハしてたら正妻に刺されて3回目の転生でブラック企業の社畜になったことに納得が行かなくて、バットで上司撲殺して警察に追われまくったけど、前の転生で身につけた能力で警察ボコって返り討ちにしたら、今度は自衛隊出てきてミサイルくらいまくって死んで4回目の転生、今度はミジンコになっちゃって、たまに小学生に顕微鏡で覗かれて芋けんぴ、て感じで逆にものすごく興奮して友もゆてあぼぽぽぽぽぽちてえてみゅあかずだふアチュコアちゅかきくけこここここここここ子』という本ありませんか?」
本の題名の文字数は385文字。もはやタイトルを通り越して作文である。400字詰め原稿用紙1枚が丸々埋まる題名をこの客は丸暗記している。
河野は文庫の棚で作業中だった。しかし、客の言葉を遮っては、不快感を与えてしまう。だから、客がしゃべる間は黙るしかない。むしろ、よくぞ覚えてくれた、偉いと客を褒めるべきか。
「あの、お客様。ライトノベルの単行本の棚をご案内いたします」
河野は並べている途中の文庫の山を放置して、ライトノベルの棚まで男性客を連れて行くことにした。こういうタイトルが長い本は大体がライトノベルの類だろう。多分。そうに違いない。そう思って棚に案内すると、客の探していた本がちょうど平積みになっていた。タイトルの文字数が多すぎて表紙のイラストが文字に埋もれている。情報量が多すぎて、逆に何の本なのかわからない。
店にタイトルや著者名を入力して本の場所を探す検索機はある。しかし、お客様にそれを使ったかどうかを聞くのは野暮だ。こんなタイトル、ウチの検索機じゃ長すぎて検索できない。
「あ、こんなところに。ありがとうございます」
客は嬉しそうに河野に礼を言った。河野は客に「ごゆっくりどうぞ」と言うと急いで文庫の棚へ戻った。
「終わった…もう文庫は見たくねえ」
昼下がりの休憩室。河野は椅子に背をもたせかけてペットボトルの紅茶を口にしていた。
新しく入った文庫を棚に並べている最中に何度も話しかけられ作業が中断したが、なんとか昼休憩までには終われた。しかし、今日やる作業はまだある。先のことはあまり考えないことにしよう。
「お疲れ様です」
テーブルを挟んで河野の斜め前に座る丸勇人が、タブレット端末の画面を見ながら答えた。丸は無線で繋いだキーボードを忙しなくタイピングしている。小説家志望で、休憩時間中はこうしてタブレット端末で小説を書いている。
「今日来た客にすげえ長いタイトルの本聞かれたよ。SSSランクの彼女はどうとか…」
「『SSSランクの彼女はデフォルトで2回攻撃追加効果付き最強武器を持ってますけど、一年中痛ネイルをしていたいのでオレと一緒にモンスターのいない田舎に引きこもってラブラブ夫婦生活をしてたら、根性で探しにきた魔王に彼女を寝取られそうになり、最強武器振り回したらオレ自滅、そのまま2回目の転生でオレ50人の女に囲まれるハーレム王になってウハウハしてたら正妻に刺されて3回目の転生でブラック企業の社畜になったことに納得が行かなくて、バットで上司撲殺して警察に追われまくったけど、前の転生で身につけた能力で警察ボコって返り討ちにしたら、今度は自衛隊出てきてミサイルくらいまくって死んで4回目の転生、今度はミジンコになっちゃって、たまに小学生に顕微鏡で覗かれて芋けんぴ、て感じで逆にものすごく興奮して友もゆてあぼぽぽぽぽぽちてえてみゅあかずだふアチュコアちゅかきくけこここここここここ子』のことですね」
丸はタブレット端末に目をやりながら、淡々と385文字のタイトルを読み上げた。
「そう、それ…ってお前よく覚えてるなそのタイトル」
「コツさえ掴めば簡単ですよ。むしろ覚えられない河野主任がポンコツなんです」
「うるせえなこの野郎」
河野はペットボトルの紅茶を飲み干すと、テーブルの向こう側のゴミ箱にめがけてペットボトルを投げた。ペットボトルはゴミ箱の中へ放物線を描きながら入って行った。
「だいたい、そんな長い探しにくいタイトルにするなよな。もっと短くていいだろ」
「そういうわけにはいかないですよ。長いタイトルで、他と差別化したいんです。あとは、インターネット通販で本を売るには、タイトルである程度内容説明する方が売りやすいんですよ」
「ちょっと待て。タイトルで内容説明しちゃったら読む意味ないぞ。買わないだろ、誰も」
河野はテーブルに前のめりになった。
丸はタブレット端末から目を離さず話を続ける。
「買って面白くなかったら困るからですよ、逆に。ネット通販は現物を手に取れないですから、事前に内容をよく確認しておきたいんです。それに『SSSランクの彼女はデフォルトで2回攻撃追加効果付き最強武器を持ってますけど、一年中痛ネイルをしていたいのでオレと一緒にモンスターのいない田舎に引きこもってラブラブ夫婦生活をしてたら、根性で探しにきた魔王に彼女を寝取られそうになり、最強武器振り回したらオレ自滅、そのまま2回目の転生でオレ50人の女に囲まれるハーレム王になってウハウハしてたら正妻に刺されて3回目の転生でブラック企業の社畜になったことに納得が行かなくて、バットで上司撲殺して警察に追われまくったけど、前の転生で身につけた能力で警察ボコって返り討ちにしたら、今度は自衛隊出てきてミサイルくらいまくって死んで4回目の転生、今度はミジンコになっちゃって、たまに小学生に顕微鏡で覗かれて芋けんぴ、て感じで逆にものすごく興奮して友もゆてあぼぽぽぽぽぽちてえてみゅあかずだふアチュコアちゅかきくけこここここここここ子』はタイトルの長さでギネス世界記録になったってことで今大人気なんですから」
「ギネス世界記録?」
「そうですよ。知らなかったんですか?」
「いや、なんかギネス記録とった本があるとはうっすら聞いてたけどタイトル忘れてて」
「河野主任、しっかりしてくださいよ」
丸はため息をついた。
「うるせえ。ていうかもしかして、ギネス世界記録狙ってその長さにしたのか、そのSSSランクの彼女はなんちゃらかんちゃらは」
河野はだらしなく椅子に背をもたせかけた。
丸はタブレットから目を離し、河野の目をまっすぐ見据えてこう言った。
「河野主任、ちゃんと言ってください。『SSSランクの彼女はデフォルトで2回攻撃追加効果付き最強武器を持ってますけど、一年中痛ネイルをしていたいのでオレと一緒にモンスターのいない田舎に引きこもってラブラブ夫婦生活をしてたら、根性で探しにきた魔王に彼女を寝取られそうになり、最強武器振り回したらオレ自滅、そのまま2回目の転生でオレ50人の女に囲まれるハーレム王になってウハウハしてたら正妻に刺されて3回目の転生でブラック企業の社畜になったことに納得が行かなくて、バットで上司撲殺して警察に追われまくったけど、前の転生で身につけた能力で警察ボコって返り討ちにしたら、今度は自衛隊出てきてミサイルくらいまくって死んで4回目の転生、今度はミジンコになっちゃって、たまに小学生に顕微鏡で覗かれて芋けんぴ、て感じで逆にものすごく興奮して友もゆてあぼぽぽぽぽぽちてえてみゅあかずだふアチュコアちゅかきくけこここここここここ子』です」
「丸」
「はい」
河野は深呼吸した。
「いい加減にしろ! もう同じタイトル聞くの聞き飽きたんだよ」
「聞き飽きたのなら覚えましたよね?」
「覚えられねえよ! 落語の寿限無じゃねえんだよ!」
「略したらギネス世界記録が取り消されるので無理です」
「いや、なんだそのこだわり」
「ギネス世界記録の認定員からそのようなお達しがあったらしいのです」
「知るかよ。せめて、俺とその本の話するときは略せよ。『SSSランクの彼女は(略)』だ。いいな?」
「わかりました。誰も聞いていないこの空間でならそうしましょう」
「頼むよ。俺以外の奴もそう思ってるぞ。名前呼ぶ度に作文読まされるのと同じだぞ。やってらんねえから」
河野は大きなため息をついた。
丸は再び視線をタブレット端末に戻した。
この小説を読む読者諸氏もこのタイトルにはうんざりしたと思う。作者もこの小説のことは以後『SSSランクの彼女は(略)』と呼ぶこととする。
「しかし、本作るやつがやたらと長いタイトルの小説を作るようになったのって、やっぱり『レッドジャック不況』のせいのか」
「レッドジャックの連載が終わる前から、出版業界は不況ですよ。もっと言えば、レッドジャックの連載が始まった1997年頃から不況です」
『レッドジャック不況』とは週刊少年ジャングルで連載していた大人気漫画レッドジャックの連載が終了したことによる書店売り上げの著しい減少を指す。レッドジャックは連載中、単行本の初版が200万を超え、全世界の累計販売部数はおよそ7億部である。文芸書は10万部で「大人気」と騒ぐほどだから、レッドジャックの存在は単純計算で人気文芸作家20人分の売り上げに相当する。しかも単行本は年に4冊ほど出る。つまり、連載中は売れる商材が年に約800万部ほどあったが、連載終了でそれがごっそり抜けたのだ。週刊誌での連載は1年ほど前に終了し、単行本も最終巻142巻が発売してから既に半年が経過している。
インフルエンザは、「老人の最期の生命のともしびを消す疾患」と言われている。ならばこのレッドジャックの連載終了は、青息吐息の経営の書店の最期の生命のともしびを消すものだと言える。事実、このさしす書房のチェーン店も何軒か潰れたらしい。
「丸、そういう不況のご時世によく小説家なんて目指せるな」
「僕は僕の面白さを追求するだけです。『SSSランクの彼女は(略)』は好きですけど、そのまま真似したいとは思いませんし」
「あ、ちゃんと略した」
「河野主任に合わせただけです。面白いは押し付けじゃ成り立ちませんから」
「いいこと言うねえ」
河野は背伸びをしてから立ち上がると、丸の後ろにあるロッカーを開けてジャンパーを取り出した。
「俺、タバコ吸ってくる」
「行ってらっしゃい」
河野は忙しなくキーボードを叩く丸を部屋に残して休憩室を後にした。
広島の複合商業施設セントラル矢戸東の従業員用喫煙場所は、施設の裏手の守衛室の近くにある。ベンチとスタンド式の吸い殻入れが置いてあるだけの簡素なものだ。近くを搬入用のトラックが行き交っている。夏場は暑い。冬場は寒い。特に1月の今の時期は寒い。寒すぎる。
河野は寒さで肩を震わせつつベンチに座り、ジャンパーのポケットから「花ざかりの森・憂国」を取り出した。三島由紀夫の短編小説集だ。河野はいつもジャンパーのポケットの中に三島由紀夫の文庫本の小説とタバコ、そしてライターを入れている。三島を読んでからタバコを吸うという流れで、河野は1日を過ごす活力を得ている。
本なら休憩室で読めばいいかもしれないが、以前、休憩室で三島由紀夫の話になったとき、丸に「僕は三島由紀夫の文学が嫌いです。太宰治がいい」と言われて以来、休憩室で三島を読むのを避けている。あの丸のことだ。俺が三島を読んでいたらネチネチ言ってきそうな気がする。
河野は短編集を数ページ読んだ。いい塩梅にヤニが欲しくなったところで文庫本を閉じ、タバコを吸おうとポケットに手を入れ、タバコを取り出した。
ない。
ライターがない。河野は必死になってポケットを探る。だが、ないものはない。そういえば、昨日まで使ってた100円ライター、切れたから後で買おうと思ってたんだった。忘れてた。何てこった。河野は肩を落とした。
戻るか。めんどくさいけど。そう思い、ベンチから立ち上がったところだった。
「ライターありますよ」
オイルライターを持った手が河野の目の前に差し出された。四角い箱のような形の、ちょっと高そうな金属製のライターだ。
「ありがとうございます」
「どうもいたしまして」
河野はタバコを一本取り出し、口に咥えてオイルライターを借りて火をつけた。
ゆっくりと煙を吐く。灰色の煙が冬の澄み切った空に飛んで、新しい雲の一つになる。気持ちいい。
「ライター返します」
河野はそう言ってオイルライターの主にライターを返そうと顔を見た。
鼻が異様に長い。
全体的に顔が赤い。山伏のような格好をしている。でも、髪の毛は金髪で長髪でなんかチャラい。背中に羽らしきものが見える。河野はあまりにも異様な姿をしているそのオイルライターの持ち主をジロジロと見つめた。
「コスプレか?」
「何言ってんすか。俺、正真正銘の天狗っす。羽黒陸っす。100歳。よろしく」
「うわわああああああああああああああ!」
河野は勢いよく後退りしてベンチにぶつかって転びかけた。何何何! 天狗?
「そんなびっくりすることないでしょ」
天狗の陸は不思議そうな顔をして河野を見ている。
「びっっっっっっっっくりだわ。当たり前だろ! なんで天狗がオイルライター持ってるんだよ!」
「俺もタバコ大好きなんで」
「知るかよ。山篭っておけよ」
「そんなこと言わないでくださいよ。俺の楽しみ、タバコと本なんですから」
「タバコと本?」
陸の口から天狗らしからぬ単語が出てきて河野は戸惑う。
「そうっす。特に最近の本はインクの匂いがいいんすよ。新品の本のページに鼻の油こすりつけるのなんて最高っす」
「何やってんだお前。大体お前、本どうやって手に入れてるんだ。天狗が本買えるのか?」
「通販」
「意外と現実的」
「あとは…」
陸は背中から葉っぱでできた団扇を取り出し河野の目の前で、右から左へ、大きく扇いだ。すると河野の体が風に乗って浮き始める。
1メートル、2メートル、3メートルとゆっくりと浮いていき、喫煙所の真上のセントラル矢戸東の屋上駐車場の高さまで浮いて止まった。
「おい、何やってんだ、やめろ!」
河野は宙に浮いたまま叫ぶ。陸はその声を無視して、今度は団扇を上から下に扇いだ。
すると河野の体が急降下。地面スレスレのところで止まった。止まった瞬間に河野のジャンパーのポケットの中身が地面にばら撒かれた。
「あとはこうやって人からお金巻き上げて、普通にお店で買ってるっす」
「実演ありがとう…じゃねえわ! 何してくれてんだこの野郎」
地面に降りた河野は陸に詰め寄った。
「今日は巻き上げないっすよ」
「そう言う問題じゃねえよ。お金を巻き上げるな。普通に犯罪だからな」
「そんなこと言ったって、近所のお寺や神社からもらうお小遣い少ないもん」
「お小遣いもらってんのかよ。ったく」
河野は地面に散らばった持ち物を拾い集め始めた。今日は散々だ。
「大体、天狗が何で俺に絡むんだ。本屋なんて日本中いくらでもあるだろ」
「でも、今レッドジャック不況で本屋さんどんどん潰れてるでしょ。俺が広島で贔屓にしてた本屋さんも潰れてたし。それに俺、お兄さんが読んでる本の作者が好きなんです」
陸は河野が拾い集めた文庫本を指差す。三島由紀夫の『花ざかりの森・憂国』だ。
「お前、三島由紀夫好きなのか?」
「俺が物心ついたくらいの頃に自殺して騒ぎになって。あ、天狗って物心つくの40歳くらいなんです」
「知るかよ」
「でも、読んでみたら面白くって。特にその『花ざかりの森・憂国』に入ってる『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃』がすげー面白かったんすよ。人殺して美しいとかマジヤバ。人間の考えってマジヤバ。新世界開けちゃったっす」
「そうだったのか」
河野の顔が明るくなった。まさか、こんなところに同好の士がいるとは。天狗だけど。
「本屋探して空飛んでうろうろしてたら、偶然お兄さんがそれ読んでるの見つけちゃって。嬉しくって思わず声かけちゃったっす」
「俺もだ。俺も嬉しい。三島由紀夫が好きだなんて言ったら、大概、右翼と罵られるからな」
「それもあるけど、最近みんな剣とか魔法とか異世界転生の話ばっかりっすからね。スライムと伝説の剣は聞き飽きたっす。同じのばっかでつまらないっす。三島勧めたりすると難しいとか言われるっす。その感想にガックリっす」
「その通りだ」
河野と陸はお互いの話にうなづき合っている。まさか、天狗と話が合うとは。
河野はふと何気なく腕時計を見た。12時58分。やばい。
「悪い、休憩時間が終わる。急いで戻らないと」
「あ、長話しちゃってごめんなさいっす、お兄さん」
「河野だ。俺の名前は河野優だ」
「河野さん、またここで話しましょ」
「ああ、じゃあな」
河野は文庫やタバコの箱を急いでジャンパーに突っ込み急いで喫煙所を後にした。
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