恋人からもらったぬいぐるみの使い道

川木

プレゼントのお返しは

「あの、読子さんって、その、ぬいぐるみとかって好きですか?」


 ひとつ年下の恋人の忍ちゃんは唐突にそんな質問をしてきた。その表情はいつになく不安そうだ。


 自分で言うのもなんだけどとっても可愛い幼児だった私は親戚中から可愛い可愛いと可愛いものを与えられた。ぬいぐるみも溺れるくらい部屋にあったし、いまも残してあるものもある。

 だけどだからだろう、特に自分で新しく買おうと思うこともないし、お店で見かけても欲しいと思うこともない。


 好きか嫌いかなら好きだけど、好きか嫌いか普通かなら普通だ。身近にあって当然だけど、求めるものでもない。

 と言うのが素直な答えだ。でも忍ちゃんの顔を見るに、多分そう素直に言うとがっかりさせてしまうだろう。私だってそのくらいは空気を読める。


「普通に好きよ。そこにもあるし。可愛いでしょ?」


 今は私の部屋にいる。忍ちゃんと恋人になって早二か月ちょっと。夏休みに入ったことをきっかけに、いつも外で会うのもお金をつかうのでお互いの部屋にそれぞれ遊びに行った。

 今回私の部屋に来て貰うのは二回目だ。まだちょっと緊張はしているけど、付き合ってから今日までで手だって繋いだし、ついつい積んでしまっていた本も全部本棚にいれた。普通に並んでお話するくらい訳ない。むしろ自分のテリトリーなので外より落ち着いて話せるくらいだ。


 だからきっと私より緊張しているだろう忍ちゃんを落ち着かせる為、私は一度立ち上がってベッドの枕元に飾っている30センチくらいのクマのぬいぐるみを手に取る。

 軽くぎゅっと抱きしめながら元の席、飲み物を乗せた小さなローテーブルの前に忍ちゃんと隣り合って並べたクッションに戻り、膝にのせたぬいぐるみの熊五郎の片手をあげさせる。


「こんにちは、忍ちゃん。ボク熊五郎」

「か、く、熊五郎?」

「うん。可愛いでしょ。抱っこする?」

「あ、はい」


 頷いた忍ちゃんに熊五郎と渡すと、忍ちゃんは熊五郎を撫でる様に抱っこする。

 忍ちゃん、ぬいぐるみ抱っこするの似合う。可愛い。忍ちゃんは戸惑ったようにしていたけど、しばし熊五郎を撫でて笑顔になってから私に戻してくれた。


「ありがとうございます。でもそうじゃなくて、その……これ、プレゼントです」

「え?」


 戻ってきた熊五郎の顔を揉んでいると、忍ちゃんは自分の鞄を引き寄せて中から取り出したそれを私に向けてきた。質問も突然だったけど、さらに突然だ。


「あ、ありがとう? でもどうして突然?」

「その、何と言うか、ちょっと大げさかもしれませんけど、もうすぐ、付き合って三か月なので」

「うん……?」


 三か月なので? え? 三か月記念と言うこと? え……? 三か月ごとに記念するシステムなの? 中途半端じゃない? 私何にも用意してない。

 受け取って、まあまあ大きいそれに私は焦ってしまう。


「ごめんなさい、私、何も用意してなくて」

「あ、いえ。私が勝手に用意しただけなので。読子さんに似合うかと思って」

「そう? じゃあ、ありがとう。大事にするわね」


 この場で謝罪を重ねても空気が悪くなるだけなので、私はひとまず後で考えることにして、受け取ったプレゼントを開封する。ちょっと透けていたのでわかっていたけど、中から現れたのは15センチくらいはありそうな犬のぬいぐるみだ。


「可愛いわ、とっても嬉しい。この子は……忍ちゃんがくれたから、しのぶんね。忍ちゃんだと思って可愛がるわ」

「えへへ。はい。そうしてもらえたら嬉しいです」


 私と忍ちゃんが付き合いだしたのは正確に言うと三か月までもうちょっとある。だから今度会う時に私から何か気持ちをプレゼントしよう。と私は可愛く喜んでくれる忍ちゃんを見て心に決めた。


 それから忍ちゃんに私の蔵書の中からおすすめの絵本セレクションを紹介したり朗読してもらったりして、この日のデートも無事に終わった。


 忍ちゃんが帰ってから、私はぎゅっとしのぶんを抱きしめた。


 しのぶんは柴犬だ。つぶらな瞳といい、白いマロ眉がとっても可愛い。まん丸でリアル系ではなく顔の凹凸がなくて抱きしめた時の抵抗がない。クッションのように抱き心地がいい。すべすべもちもち。

 クッションに座り、さっきまで忍ちゃんが座っていた場所をぼんやり見ながらしのぶんを撫でたり揉んだりしつつ、私は忍ちゃんにどうお返ししようか。と考える。


 三か月記念か。あんまり大げさにしすぎてしまうと、次がいつかわからないけど次の記念日のハードルをあげてしまう。ケーキを買うとか? お手軽さの印象の高さでいけばクッキーを焼くとか? 最近はクッキー生地で売っているので私でも作れる。

 でも年下の忍ちゃんに先に頑張ってもらったんだから、たまにはちょっとくらい大げさな方がいいのかも?


「どうしよう、しのぶん?」


 しのぶんに問いかけてみるけど、当然答えはない。じっと見てるとくーん、と鳴きそうな可愛い顔をしている。可愛い。なでなでして顔を寄せて鼻先にキスをする。


「……」


 そうしてから、ふと気づく。しのぶんのこと、忍ちゃんだと思って可愛がるって言ったな、と。

 忍ちゃんの分身であるしのぶんにキスしてしまった。いや、ぬいぐるみだし、普通の事なのだけど。そう思うとちょっと、照れくさくなってきた。


「……忍ちゃん」


 忍ちゃんの名前を呼んで、もう一回、今度は口元にキスをする。なんでもないことだけど、ちょっとドキドキした。こんなんじゃ、本当に本人とキスをするのはいつになるのか。

 と自分で思ってはっとする。いつか、忍ちゃんとキスする時がくるとして、その時も忍ちゃんに任せるのだろうか。


 あの出会いだって、告白だって、手を繋ぐ時だって。いつだって忍ちゃんが勇気を出してくれた。

 ふとした拍子に照れたように戸惑ったように挙動不審になったりする、そんな挙動不審になってしまう忍ちゃんもとっても可愛くて、私も意識して余計に沈黙が続いたりしていた。

 でもそんな中、少しずつ忍ちゃんが勇気を出してくれて、今のこの関係になれた。いつか、そう言う恋人らしいこと、したいって思ってる。


 でもそれはいつだろう。それをただ、待ってるだけでいいのかな。


「……よし!」


 決めた。三か月記念のお祝い、私からのプレゼント、キスをしよう。私のほうが先輩なんだから、たまには勇気を出さなきゃ。

 初めて手を握られた時も緊張しちゃって握り返せなかったし。二回目でようやく握り返せたけど、このままじゃ受け身過ぎるよね。


「……」


 と決めたはいいけど、忍ちゃんにキス。しのぶんにだって緊張するのに。うう。できるかなぁ。


 私は考えてしまうだけでドキドキしてしまう胸の鼓動を抑えながら、とりあえずしのぶんにキスの練習をするのだった。








 しのぶん、とはまたずいぶんな名前をつけられたものだ。読子さんは美人で、付き合ってみると思っていた以上に可愛らしくて魅力的で、言葉を交わすほど好きになっていった。

 その可愛らしさと裏腹にネーミングセンスと言うのはあまりよくないらしいと今回知ったけれど、それも合わせて、可愛らしいなと思う。


 そんなに大きな目論見があったわけではない。私はただ読子さんと恋人になれて、気まぐれや気の迷いでこのお付き合いがすぐに終わらずに続いているのが嬉しくて、ちょっと記念としてかこつけることで少しでも末永く読子さんとお付き合いを続けていきたいと思っているだけだ。

 そうしてプレゼントした私のぬいぐるみは、とぼけた顔の柴犬のくせに、しのぶんなどと名付けられ、今も読子さんの胸に抱かれている。


 前回はプレゼントした勢いでその姿も嬉しいだけだったけど、一週間ぶりに読子さんの家を訪ねた私を迎えてくれた読子さんは、最初からずっとしのぶんを抱いていて、自分でも馬鹿らしいと思うけど、ちょっと嫉妬する。


「その、思った以上に気に入ってくれたみたいですね。嬉しいです」

「あ、ええ。しのぶん、すごく抱き心地がいいの。忍ちゃんも抱っこしてみる?」

「あ、はい」


 でも抱っこしすぎじゃないですか? と言う思いは届かないようで読子さんはにっこり微笑んで私にしのぶんを渡してきた。

 私自身、ぬいぐるみが嫌いなわけではない。でも別に、読子さんは好きみたいだし似合うだろうし、喜ぶかなと思って選んだだけで私が特別好きなわけじゃない。と思いつつ受け取った私は、衝撃を受けた。


 あ、温かい! そして、なんだか、いい匂いがする!


「すごく触り心地がいいから寝る時も抱っこしたりしてるんだけど、大丈夫?」

「え!? だ、大丈夫です!」

「そっか、よかったわ。私としては大事にしてるんだけど、どうしても朝起きたら潰してることもあるから」


 反射的に大丈夫と答えたけど、そう言うことか。クッション系なので枕にするくらい全然大丈夫なやつなのでどう使ってもらっても大丈夫だ。にしても読子さんと一緒に寝てるのか。じゃあこのいい匂いは……。や、やば。ドキドキしてきた。


「あの、ところで忍ちゃん、その、ね? 忍ちゃんはぬいぐるみをくれたことだし、私も、3ヶ月記念、ちょっと、お祝いしたいなって気持ちになってるの」

「え、そんな、私が勝手にしたことですから、そんな気をつかってもらわなくても」


 ちょっとだけ、もうちょっと顔を近づけてみてもばれないかな? と迷っていると読子さんがお返しを提案しだしたので慌てて否定する。

 そんな押し付けるつもりじゃない。私だって三か月記念を絶対しなきゃいけないと思ってたわけじゃない。ただちょっと気持ちを伝えたかっただけだ。そのくらい、私は読子さんが好きだってことを。


 だけどそんな私に、何故か読子さんは不満そうなむっとした顔をした。


「無理なんかしてないわ。あなたの気持ちが嬉しくて、私もお祝いしたい気持ちになったって、そんなに変なこと?」

「あ、いえ。その、そう思ってくれたなら嬉しいです。すみません。無理に言わせたのかと思ってつい」


 しまった! 読子さんも本心でそう思ってくれてたなら、否定するのは好意を否定するようなものだ。逆の立場で昨日ぬいぐるみを喜んでもらえてすごくうれしかったのに、私ってほんと、気が利かないというか。


「あのね……私も、その、忍ちゃんと恋人でいて嬉しいって、幸せだって思ってるのよ? だから……ね、ちょっと、じっとしててね」

「は、はい」


 慌てる私に読子さんはくすっと笑ってから、頬を赤くして私のすぐ隣、ぴったり肩がくっつく距離に座りなおした。肩が触れている。それだけでドキドキと心臓がうるさくなる。

 読子さんのお祝いの気持ちと言うのはもしかして、物じゃないのかもしれない。なにか、今度は読子さんから手を繋いでくれるとか、もしかして、ハグしてくれるとか?


 期待してしまって体が熱くなって、きっとみっともないくらい顔が赤くなっている私に、読子さんは大人っぽく色っぽく微笑む。


 うっ。ち、近い。顔がいつになく近い。腕の中のしのぶんがどうでもいいくらい、いい匂いだ。


「可愛いわね」


 読子さんはうっとりするほど綺麗な顔で、愛らしい声でそう言いながら、私の頬を撫でてきた。撫でてる読子さんの指先がすべすべだって意識をとられているうちに、どんどん顔が近づいてくる。


 え、うそ。そんな、え!?


「ん……ふふふ」


 ……びっっっくりした。キスかと思った。いや、キスだけど。頬にちゅって、一瞬された。柔らかくて、一瞬閉じた読子さんの眉毛が私にあたりかけたくらい近くて、心臓が一瞬とまった。


「……」

「……あの、忍ちゃん? 何か言ってくれない? 黙られると、恥ずかしいわ」

「あっ、す、すみません。予想外すぎて、ドキドキしすぎて、死んでました」

「もう、冗談でも言わないで。死んじゃ駄目よ」

「あ、はい。すみません」


 ふざけたつもりはないけど、確かにちょっと強い言葉だったかもしれない。謝罪する私に、私の頬から手を離してつんと鼻先をつついてめっと可愛く注意した読子さんはすぐににっこり微笑んでくれる。

 私もだけど読子さんも真っ赤だ。当たり前だ。一瞬口にキスをされるのかと思って身構えたけど、私たちはまだ手を繋いだだけの清い関係だったんだから、頬にキスだって大進歩だ。

 でも、でもいきなりすぎ! 全然心の準備できてなくて、ちょっと、十分に堪能し切れなかった。


「あの、……私もしても、いいですか?」

「え、ちょ、ちょっと待って。その練習はしてなくて」

「え? れ、練習って何ですか!? 私以外としたんですか!?」


 そっと読子さんの手に手を重ねながらお願いしたところ真っ赤になってとんでもないことを言われてしまった。思わずがっとその手を握って持ち上げながら顔を寄せて問い詰める私に、読子さんは身を引きながらさっきまでと違う感じにまた赤くなった。


「あ、そうじゃないの。その……し、しのぶんと練習したの」

「っ!」


 何それ可愛い! という気持ちと、しのぶん許すまじ! と言う気持ちで私は思わずしのぶんを放り出し、もう片方の手で読子さんの肩を掴んで引き寄せてその頬にキスをした。


「しのぶんと、何回したんですか?」

「え、えっと、ちょっとわからないけど」


 私の勢いに赤くなりつつ小首をかしげる読子さんは可愛いけど、鈍い! それも可愛いけど、でもずるいでしょ! 私がプレゼントしたけど、何で恋人のわたしじゃなくてしのぶんと先に、しかも数えられないくらいしてるなんて!


「じゃあ、私とも、わからないくらいしてください」

「……うん」


 この日、私は読子さんといっぱい三か月記念をお祝いした。後から思い出して、本当に恥ずかしい。しのぶんに嫉妬してどうするの。心が狭すぎる。でも、そのおかげで勢いで私からキスできたし、いっぱいできたし、多分時間を巻き戻しても同じことをするから、仕方ないよね?


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