今日、初めて恋を自覚する

オビレ

第1話


須賀原すがわら


「えっ!? ……なんで逃げんの!? 須賀っ……」


 そう言い、なぜか私の後を追う彼は、小学校からの同級生である柴垣しがきくんだ。

 私は何も言い返さず、振り返ることすらなく、校舎の廊下を走っている。

 

 ……何で!?

 どうしよう!!



 この春、家から徒歩圏内の高校に入学した私は、大ケガをしたこともなければ、同級生と大喧嘩をしたこともない。厄介ごとに巻き込まれたこともなければ、家族もみんな仲良しだ。だからかな、高校生活もこれまでと同じように、穏やかなものだと思っていた。


 中学生の頃、”親友”と呼べる友だちが一人いた。彼女は香澄かすみちゃん。小学校は別だったけど、中学一年生の時に同じクラスになり、すぐに打ち解けた。嬉しいことに、二人とも第一志望校に合格し、同じ高校に入学した。


 時が流れるのは早く、気付けば六月になっていた。中間考査の返却も全て終わり、通常モードの雰囲気が学校全体に流れていた。


 私は昼休みに、廊下で隣のクラスの香澄ちゃんと話していた。内容は香澄ちゃんの恋バナだ。どうして恋をしている女の子は、こんなにも可愛いのかな。恋をしていない時の彼女も、当然のごとく可愛いのだけれど、恋をしていると研ぎ澄まされたようなオーラが彼女から出ている。人間ってすごい。


 そろそろ休み時間が終わるので、香澄ちゃんとわかれて自分のクラスへ戻ろうとしたら、同じクラスの柴垣くんに声を掛けられた。


「須賀原、今日の放課後時間ある?」

「えっ?」

「ちょっとだけ時間ほしいんだけど」

「…………」


 突然の事態に言葉が出なかった。

 何か言わないとと思い、口を開こうとした時、チャイムが鳴った。


「すぐ終わるから、放課後帰らないでな」


 早口でそう言った彼は急いで教室に入っていった。私も慌てて入り、席に着いた。

 教科書とノートを開きながら、騒がしい心臓が早く落ち着くのを願った。

 残念なことに、五時限目の授業はぼーっとできる時間が全くなかったので、先程のことについて考えることができなかった。


 今日の授業は六時限目で終わりのため、放課後までに残された休み時間は一度しかない。五時限目が終わるやいなや、私は一目散に隣のクラスへ向かった。


 ドアが開き、数人の生徒が教室から出てきた。開いたドアから教室の中を覗くと、香澄ちゃんは英語の単語帳を真剣に見ているようだった。彼女のクラスでは、次の授業で英単語の小テストがあることを悟った私は、彼女に相談するのを諦めて自分のクラスに引き返した。


 新生活が始まったと思ったらあっという間に六月になっていたのだから、六時限目が終わるのなんて一瞬の中の一瞬だった。終わりのホームルームで先生が話をする中、私の脳は慌ただしく働いていた。その結果、脳は”逃げる”という結論を出した。


 相手が柴垣くんでなければ、きっと違った結論が出されたに違いない。その上脳が慌ただしく働くこともなく、悩むこともなかったんじゃないかな。


 自分でもどうしてなのかはわからないのだけれど、小学生の頃から柴垣くんの顔を見ると心臓が激しく動くのだ。その感覚がどうにも苦手だったので、私はできるだけ柴垣くんを見ないようにしてきた。


 中学校では一度も同じクラスにならなかったこともあり、中学校時代に柴垣くんを見かけることはとても少なかった。ところが、高校一年生でまさかの同じクラスになったので、柴垣くんを見る回数は数ヶ月前から急増したのである。それも一から百という具合に。


 特に、席替えをするまでの間が大変だった。出席番号が前後のため、しかも自分が後ろという、”柴垣くんを見ずしていかに授業を受けられようか”な状態だったのだから。中間考査が終了してから初めての席替えが行われたので、つい先日まで私の心臓は毎日のように苦しめられていたのである。


 席順が前後の間、柴垣くんとちょっとした会話——会話と呼べるかわからない程の会話を交わしたことはあるけれど、最後にまともに話をしたのは小学四年生の時のはずだから、彼とはかれこれ五年間ほど立派なコミュニケーションを取っていない。脳が”逃げる”という道を選択したのも頷ける。


 先生の話が終わり、ホームルームが終わると、私は素早く教室を後にした。ラッキーなことにドアから近い席のため、一番乗りで廊下に出ることができた。まさか柴垣くんが追いかけてくるなどといった奇抜な考えを私は持っていなかったので、教室を出た時に勝利を確信した勝者須賀原は、普段通りの足取りで靴箱へ向かい始めたのだった。

 しかし、その持ち合わせていなかったまさかな考えによる展開が私を襲った時、一気に勝者から敗者へと立場が逆転した私は、反射的に走り出していた。


「えっ!? ……なんで逃げんの!? 須賀っ……」


 彼は運動部だ。すぐに私の前に現れた。彼が運動部でなくとも、走るのがとても遅い私をあっという間に追い抜かすことなど、簡単中の簡単だろう。


 目の前に柴垣くんが現れると、さすがに私の足も止まった。


「はぁ……はぁ……」


 私は呼吸を落ち着かせながら、困惑していた。


「えっ……俺のこと嫌い? ……今話してるのも迷惑だったりする?」


 瞬時に、私は首を横に振った。


「もしかして急いでる? それなら明日にするんだけど」


 私は走ったことによる鼓動の速さと、別の意味で速くなっている鼓動を感じながら、脳は”五年振りに柴垣くんとちゃんとした会話をする”モードに入っていた。


「……急いでないです……逃げてごめんなさい……」

「そっか……いやいや、俺こそ追いかけてごめん」


 私たちは靴を履き替え、人通りの少ない校舎裏へ移動した。



「これ……」


 そう言って柴垣くんはリュックから小さい袋を取り出し、私に渡した。

 袋は中に入っているもので膨らんでいた。


「用事っつーのはさ、これを渡したくて」

「えっ……中見てもいい?」

「うん」


 私は袋を開け、中の物を取り出すと、ストラップのついた小さめのぬいぐるみが目にとまった。


「週末、小学生の弟と遊園地行ってきてさ……お土産です……」

「えっ! ありがとう‼ ……可愛い!」

「あーーー……よかったー……」


 柴垣くんはホッとしたような顔をしている。


「……あの……どうして私に?」

「あー……その……須賀原って中学の時手芸部だっただろ?」

「うん……!」


 私が手芸部に入っていたことを、彼が知っていたことに驚くと同時に、とても嬉しいと思った。


「確か夏頃だったと思うけど、須賀原が佐藤にこういうの作って、あげたことなかった?」


 すぐに何のことかわかった。中学三年生の夏に、引退試合を控えていた香澄ちゃんに手作りのぬいぐるみを作り、カバンに付けられるようにストラップを付けてプレゼントしたのだ。

 私はコクコクと頷いた。


「その時、俺佐藤と隣の席でさ。休み時間にいきなりぬいぐるみ見せてきて『これ、めっちゃ可愛いでしょ! 手芸部の友だちが作ってくれたの~! いいでしょ~』って」


 香澄ちゃん……!!


「そんで話聞いてたらさ、須賀原はそういうのを誰かのためには作るけど、自分のためには全然作らないんだよな……?」

「あ……うん……自分用に何か作り始めても、途中から香澄ちゃんや家族用に作っちゃうみたい。喜んでもらえるのがすごく嬉しくて……あっ! 香澄ちゃん、すんごい笑顔で喜ぶの! プレゼントしたこっちが幸せな気持ちになるっていう……」


「優しいんだな」


 そう言った彼の表情は、すごく優しい雰囲気をまとっていた。私は体温が上昇するのを感じた。


「あ、だからさ、自分ではあんまそういうの買わねーのかなと思って……」

「うん……すごく嬉しい! 本当にありがとう」

「いやいや! お土産見てる時に弟がさ、『今世の中の女子たちの間ではこのシリーズが大流行してるんだよ』っつってきてさ」

「ふふふ。弟くん物知りだね」

「なぜかそういうのに詳しいんだよなーあいつ……須賀原はそれ好きだった? 趣味じゃなかったら使わなくていいから」

「好きだよ。実はこのシリーズのグッズ欲しいなぁと思ってたんだけど、中々買う勇気が出なくて……」

「なんで?」

「……私には可愛すぎるのかなって……」


 私があはは、と笑うと、


「んなわけねーじゃん! むしろ合いすぎだって。可愛さおんなじ感じじゃん」

「……えっ!? それはあり得ないよ! 柴垣くん優しすぎだよ……」


 プレゼントしてくれたこのぬいぐるみと同じ可愛さだと言われ、私の顔は蒸発してしまうんじゃないかと思うくらい、熱を放出していた。

 チラッと柴垣くんを見ると、どことなく彼も居心地悪そうな、だけどなんだか嬉しそうな、不思議な顔をしていた。


「あのさ、今その遊園地でそのシリーズとコラボしてるんだけど、行きたいって思う?」

「えっ! あ、そっか……だから遊園地で売ってたんだね! うんうん! 行きたいって思う」

「じゃあさ……一緒に行かね?」

「………………えっ!?」


 何が起きているのだろう。


「弟はそのコラボしてるアトラクションには興味ねーみてーだったから乗らなかったんだけどさ、俺はちょっと乗りたかったなーって……」


 心の中で、可愛いと叫びたくなった。


「……えと、返事はすぐじゃなくていいから。そろそろ部活行くわ」


「待って! 一緒に遊園地行きたい!」


 今日の柴垣くんとの会話の中で、一番大きな声が出た。


「……そっか! じゃあ……日にちはまた今度決めような! そろそろ行かねーとだから行くわ。時間取ってごめんな! じゃっ!」


 少し早口でそう言った彼は、背を向けて走り出した。

 私は大事なぬいぐるみを胸の前で大切に持ちながら、


「部活頑張ってね!!」


 先ほどよりもさらに大きな声で、彼の背中に向けて放った。



 柴垣くんを見るといつも心臓が苦しくなっていた理由を、今日、はっきりと認識した。そして、ずっと苦手だと思っていた激しい心臓の高鳴りを、心地いいとも感じている自分に気づいてしまった。

 これを————”恋”を自覚してしまったからには、私の高校生活は穏やかではないのだろう。

 だけど、今私の全身を騒がしく、そして心地よく駆け巡っている感情が、そんな日常もいいじゃないかと、そう言っているような気がした。 fin





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