旧校舎のユウコさん

ユーレカ書房

旧校舎の噂

 くそっ、だまされた!


 夏休みがはじまって間もない、八月某日。約束通り日が暮れてから校門の前に来たおれは、まさる大夢ひろむから話を聞いて真っ先にそう思った。だって、聞いていた話と違う――おれは、花火をやるつもりで来たのに。


 「まあまあ、そう怒んなよ」


 勝はニヤニヤしながらおれの背中をぽんぽん叩いた。コイツ、ビビりのくせに!


 「悪かったって。でも、ああでも言わないと、タッちゃん来ないだろ? 」

 「行くわけないだろ! 」


 おれは水を入れるためにわざわざ自転車に積んできたブリキのバケツをガン! と地面に置いた。空っぽのバケツは軽いから、怒っているみたいな大きな音が鳴る。

 別に、おれが怒ってるのは、花火がものすごくしたかったからではない(それなりに楽しみにはしていたが)。勝たちが、おれに嘘ついたからでもない(おれたちの仲は、しょうもない嘘のひとつやふたつでぶっ壊れるようなものじゃないのだ)。

 勝たちが、〈旧校舎のユーレイ〉を探すって言い出したからなんだ。


 おれは、昔からいわゆるレイカンってやつを持ってるらしくて、〈この世にいないヒト〉が見えるし、なんなら話もできる。なんで自分のことなのに〈持ってるらしい・・・〉なんて言い方をするかというと、〈この世にいないヒト〉たちと〈生きてる人〉たちってホントに見分けるのが難しくて、たまに本気で見間違えてしまうからなんだ。


 おれがいまだに、本当はみんな生きてる人で、周りのやつ全員が同じように見えてるに違いないとちょっと疑ってるくらいに。おれのうちだと、おれの母さんやばあちゃん、もう死んじゃったけど、ひいばあちゃんも同じような目を持ってて、おれは昔から散々注意されて育った。


 「死んでしまったのにまだこの世にいるヒトは、未練を抱えて困ってるか、一緒に連れていく人を探して歩いてる。困っているだけならまだいいけど、道連れを探しているようなヒトには、こっちが〈見える〉ってことを悟られちゃいけない。絶対に生きている人だと分からない場合は、むやみに話をしてはいけない」


 おれは、この注意をきちんと守って生活してるつもりなんだけど、それでもうっかりして〈いないヒト〉と話をしてしまって、変なことに巻き込まれるってことがないわけじゃなかった。


 周りにいるやつに〈変なヤツ〉だと思われたり、嘘つき呼ばわりされたりするくらいならまだいい方で、でっかい荷物を持って困ってるばあちゃんに声かけたら道路に突き飛ばされたり、おれより小さい子と一緒に遊んでやったら池に落とされそうになったり、同じクラスのやつだと信じてたら二十年前に死んだ生徒だったこともあったし、とにかく〈いないヒト〉と関わってロクな目に遭ったためしがないんだ。自分でもよく今まで無事に生きてたもんだと思う。


 だから、ユーレイ探しだなんて――自分から〈いないヒト〉に会いに行くなんて、絶対願い下げなんだ。断じて、怖いからじゃないぞ。


 「おれが〈見え〉たら困るって、知ってるじゃないか」


 っておれは必死なのに、勝も大夢も真剣な顔をするどころか、おれを宥めるように肩を叩いてきた。


 「心配すんなよ。〈旧校舎のユーレイ〉は、他に見たってやつが大勢いるんだからさ。でも、そいつら全員無事なんだぜ」


 と勝が言った。勝はおれたちの中では一番でっかくて、勉強はからっきしだが運動はめちゃくちゃできる、頼れるやつだ。授業中に騒いで叱られることもあるけど、曲がったことが嫌いないいやつで、低学年の頃おれを嘘つき呼ばわりした女子たちに怒ってくれたこともある(そのせいで女子たちを泣かせて、結局一緒に怒られたんだけど)。


 「ごめんね、タッちゃん。でも僕、どうしても〈旧校舎のユーレイ〉に会ってみたいんだ――自由研究にしたくてさ」


 眼鏡の奥からおれを見るのは、大夢だ。大夢は勝をちょうど反対にしたようなやつで、チビで運動はてんでダメだけど、俺たちの中で一番頭がいい。去年よそから引っ越してきて、最初はいじめられっ子だったのをやっぱり勝が助けて、それがきっかけになっておれとも仲よくなった。


 このふたりのおもしろいところは、見かけの印象と〈怖がり度〉が完全に反比例してるところだった。勝はガキ大将ってやつで、いじめっこになら無敵だがその代わり絵に描いたようなビビりで、遊園地の子供だましみたいなお化け屋敷にすらひとりで入るのを嫌がるようなやつだった。


 大夢はがり勉だのなんだのってからかわれても満足に言い返すこともできないが、実はとんでもないオカルトマニアで、幽霊や宇宙人の話には普段のおどおどした態度を忘れてしまう。ふたりともおれのように〈いないヒト〉を見ることはできないはずなのに、どうしてこんなに〈いないヒト〉に対する態度が違うんだろうと、おれはいつも不思議なんだ。


 そして、このふたりのちょうど中間が、おれ。背も高すぎず低すぎず、成績も良すぎず悪すぎず、運動もできすぎずできなすぎずって感じで、ちょっとタレ目なだけの、本当にどこにでもいる十二歳だ――ただ、〈霊感〉というたったひとつの特徴が強烈すぎて、おれの人生は今までおれの成績ほど平凡じゃなかった。


 おれたち三人はこんなふうだったから、幽霊探しだか肝試しだか知らないけど、おれをだましてまで自分たちに巻き込む理由は勝にも大夢にもそれぞれあるんだ。勝は、怖いから(おれだって見えるだけで、危険なやつが出てきたら逃げるしかないんだけど)。


 大夢の場合は、おれが幽霊と話ができるから。言い出しっぺは、大夢だろう。自由研究に、大好きなオカルトものをやりたい。そうだ、〈旧校舎のユーレイ〉の噂を調べてみよう。どうせなら、実際に会ってみたいな。でも、いくら好きなことだとはいえ、夜の学校をひとりでうろつくのはさすがに嫌だ。そこで、大夢は勝に声をかける――おれに直接交渉しても断られるって分かってるし、勝に声をかければ結局はおれに話が回るということも、全部計算づくなんだ。大夢はこの手の話題で一度言い出したら聞かない。兄貴肌の勝は放っとくわけにもいかないし、単純だから一言


 「もしかして怖いの? 」


なんて言われようものなら、もう引き下がれない。そして、困っておれを巻き込むのだ。


 前に同じ手で町はずれの廃屋に誘われたときは、勝が馬鹿正直に〈肝試しと調査〉だとおれにしゃべってしまって、大夢の計画はおじゃんになった――それですっかり油断してこんな軽い嘘にだまされるなんて、我ながら嫌になるほどお人好しだ。よくよく考えてみれば、夏休み前に〈旧校舎のユーレイ〉のことを大夢が散々おれたちに聞かせてたじゃないか。もっと警戒しておくべきだった。


 〈旧校舎のユーレイ〉はうちの学校の七不思議のひとつだ。こんな田舎の学校なのに、そういう嘘かホントか分からない噂はちゃんとあるから恐れ入る。しかも、そのうちのひとつは、大夢によるとどうやら本当らしい――〈旧校舎の裏庭の大楠おおくす〉という噂が、それだった。


 おれたちの学校には旧校舎と新校舎があって、二階の廊下で行き来できるようになっている。旧校舎には理科室や音楽室、美術室みたいな学校系の怪談で大人気の教室が固まってるから、うちの学校の七不思議のほとんどは旧校舎に関係のあるもので、大夢は転校して一年経っていないのにそのすべてを実によく把握していた。と言っても、七つのうちの五つまでは怖い話でよく見かけるようなので、美術室のデカい絵の目がどうとか、音楽室のベートーベンがこうとか、理科室の人体模型が、トイレの三番目の個室が、階段の十三段目が……みたいな、お決まりのやつだ。


 残りのふたつ――〈旧校舎のユーレイ〉と〈旧校舎の裏庭の大楠〉だけは、うちの学校にしかない話らしくて、実際に見たとか見ないとかいう噂が、入学してこの方ずっとおれたちにつきまとっていた。


 「本当だよ。本当に、あったんだ」


 と、大夢が大興奮しておれたちに言ったのが、夏休みの直前の七月のことだった。大夢がこれほど興奮する話題は限られている――幽霊か、宇宙人か、オーパーツか、秘密結社か、妖怪か。もう慣れっこのおれたちに、大夢は〈旧校舎の裏庭の大楠〉の話を持ち出してきた。


 「〈毎年七月に、旧校舎の裏庭に生えている大楠の根元に、花束が供えられている〉――僕、見てきた。本当にあったよ! 」

 「花束が? 」


 おれと勝の声が重なった。おれたちはもう五年以上この学校に通ってるのに、勝はビビりだし、おれは関わりたくないしで、話が本当かどうかなんて確かめたことはなかった。第一、花束が置いてあるだけなんて他の話に比べて地味だ――見たらぞっとするかもしれないけど、事実だったところでどうってことない。飼育係が死んだウサギの墓を作ってたとかそんなオチだろ、どうせ。


 ところが、大夢の意見は違っていた。


 「この〈大楠〉の話は、これで終わりじゃないんだ。どうして、花束が置かれているのか。誰が置いていくのか。これにいろんな説があるんだ。昔大楠で首を吊った生徒のために置かれてるとか、根元を掘ると誰かの死体が埋まってるとかね」


 大夢はオカルト話をしてるときにしか見せないぎらぎらした目を眼鏡の奥で光らせた。


 「それでね、その話のうちのひとつが〈旧校舎のユーレイ〉とつながってるんだ。旧校舎には、女性の霊が出るって言われてるだろ。その女性っていうのが、前に大楠で死んだ生徒なんじゃないかって話」

 「じゃ、花束を置いてるのはその霊に関係のあるやつなのか? 」


 と勝が聞いた。勝は怖がりなのに怖い話を聞くのは好きとかいう、厄介なパターンのやつだ。怖いもの見たさってやつだろう。だから、さっきも言ったとおりお化け屋敷もひとりじゃ入らないけど、誰かを(大抵おれたちを)連れて絶対中を見に行きたがる。そういう意味じゃ、勝と大夢は真逆だけどいいコンビなのかもしれなかった。


 大夢は大きく頷いた。


 「そう……その生徒は、ひどくいじめられていた。それで、とうとう大楠で首を吊ってしまった。残された母親は、娘は殺されたと言って学校に訴えたけれど、相手にしてもらえなかった。悲しみと怒りでおかしくなってしまった母親は、毎年毎年、娘の命日に大楠の根元に花束を置くようになった――花束の中身は、決まってクローバー。クローバーの花言葉は〈復讐〉なんだ……」

 「花束、見たんだろ? 」


 って、おれは聞いた。


 「入ってたの? クローバー」


 大夢はけろりと言った。


 「ううん。何か、普通の青い花だった。だから、クローバーってのはあとで作られた話か、ひょっとしたら実際にそういう花束のときが何度かあったのかもね。花束自体は、誰でも見られる場所にあるから」……


 おれたち生徒は夏休みだけど、先生たちは学校に来て仕事をしている。忘れもの取りに来ました、って堂々と職員室から入って、おれたちは二階の廊下から旧校舎に入った。おれはなんだかんだ抵抗したけど、結局こうなってしまうんだ。どうしておれってやつは、人の頼みを断れないんだろうなあ。


 「タッちゃんは、見たことねえの? 旧校舎のユーレイ」


 勝がしんがりを歩きながら小さな声で言った。やめろよ、人のこと呼び出しておいて、後ろに隠れるの。


 「見たことないよ……見たやつって、放課後残ってたら見えたとかそういうのだろ? それに、見たやつが大勢いるってことは、勝たちにだって見えるんじゃないの? 」

 「もしそうなら一大スクープだ」


 大夢は鼻息荒く言った。首から一眼レフなんて下げてる。コイツ、本気だ。


 「どんなふうに見えるのかなあ……タッちゃんは、普通の人間と区別つかないってよく言うよね」

 「うん。よっぽど何か言いたいことがあると、死んだときの格好で出てくるみたいだけど……幽霊って、基本は人間なんだ。気づかれなきゃならないときだけ、派手に出てくるってことだと思う」


 いたら教えてよ、なんて念を押されて、大夢と並んで旧校舎の中を歩き回った。おれたちは三人とも黙りこくって、何となく早足になった。灯りなんかないし、忘れものを取りに来たってことになってるから、そんなに時間はかけられない。


 「いる? 」

 「いや、誰も」


 そんなやりとりを繰り返しながら二階の美術室や音楽室をひと通り回って、階段を下りた。そのまま何気なく、一階の廊下を覗き込んだときだ。おれは思わず、ぎくっと立ち止まった。


 一階の廊下の窓の前に立って、外を見ている人影があったんだ。女の人――多分年齢的にはおれたちと大して変わらないんだけど、年上っぽい。いつも見てるみたいな、生きてる人間とそっくりな感じだったけど、さすがにこれは噂のユーレイだろっておれにも分かった。霊じゃなかったとしたら、こんな時間にこんなところで突っ立って外を見てる女子生徒なんて、ユーレイよりよっぽどヤバいだろ。


 ユーレイはおれたちに気づいて一瞬こっちを振り向いたけど、すぐ元のように窓の外に目を戻した。おれに自分が見えてると思ってないんだな。


 おれが急に立ち止まったので、勝がおれの背中にぶつかって文句を言った。大夢は目をまん丸くして、廊下をきょろきょろ見回している――大夢には残念だったが、やっぱりユーレイはおれにしか見えてないみたいだった。


 大夢はせっかちに言った。 


 「なに、タッちゃん! いるの? 」

 「いる」

 「えっ! 」


 勝はおれが何で止まったのかやっと分かったみたいで、悲鳴みたいな声を上げた。おれはふたりの視線を浴びながら、突っ立っているユーレイを指差した。


 「あそこに……女の人がいる」


 ユーレイはまたこっちを向いて、今度はおれと目が合ってることに気がついた。そして、笑うでも怒るでもなく、黙ってこっちに歩いてきた。窓から差し込む月明かりが彼女に当たっても遮られないから、ああやっぱり透けてるんだ、っておれは思った。


 勝より背が高い。中学生くらいかな。上は普通にブラウスみたいなのを着てるんだけど、下は……だぶだぶのズボンみたいなのを、履いてるんだ。前にいた生徒だなんて、嘘だ。どう見たってそんな最近の格好じゃなかった。


 気づかれるのを承知でおれがユーレイのことを勝たちに教えたのは、うっかりしてたからじゃない。ユーレイに、おれたちをどうこうしようっていう雰囲気が全然なかったからだ。道連れを探してるようなやつだったら、こっちに見えてようが見えてまいがお構いなしだから、彼女みたいに


 「あ、誰か来た……でもまあ、どうせわたしのことは見えてないんだろうし、いいか」


 みたいな態度は取らない。なんなら、幽霊の方からわざわざ姿を現すことだってある。「わたしを見ろ」ってね。


 とはいえ、実際にユーレイが近づいてくると、ヤバいやつだったらどうしよう、って思わないわけにはいかなかった。「見えてるなら殺す」とか言われたら、どうしよう? せっかくユーレイの方で「まあいいか」って見逃す気になってくれてたのを、おれが台無しにしたことになってしまう――せめて、見えてるのはおれだけなんです、って説明しなきゃ。


 でも、おれがそんなことを考えてどぎまぎしてるのなんかお構いなしで、大夢は一眼レフを構えて目をきらきらさせている。おれはもう、おまえの方が怖いよ。


 ユーレイは近くまで来ると、おれとだけ目がちゃんと合うから、おれに向かって言った。肩の上で綺麗に切り揃えられた髪がさらさら揺れてる。


 「……あんた、見えてる? 」

 「見えてる」


 えっ! なんだよタッちゃん! 誰としゃべってんだよ! どこ? どこ? って、ふたりは大騒ぎだった。ユーレイはちょっと呆れた顔でおれを見た。おれはなるべく丁寧に言った。


 「ごめんなさい。こいつら、あなたに会いたかったみたいで」

 「わたしに? 」

 「〈旧校舎のユーレイ〉って、有名なんです」


 ユーレイはふうん、って感じで聞いていた。そして、騒ぐふたりのすぐそばの窓を、手を伸ばして普通にガラッと引き開けた。おれにはそんなふうに見えてたけど、勝たちはそうじゃない。閉まってた窓が突然開いたもんだから、勝は完全に腰を抜かした。大夢でさえ、一瞬青ざめて静かになった。


 「写真撮ってもいいですか? 自由研究で、調べてるんです」


 大夢は頭が冷えて落ち着いたのか、礼儀を思い出したらしい。窓の方を向いてそう頼んだが、そっちには誰もいないぜ。


 「いいって」


 ユーレイが頷いたので、おれは大夢にそう言った。大夢は張り切って写真を撮ってるけど、彼女が映るにしろ映らないにしろ、親や先生になんて説明するつもりだろう。


 ユーレイもそう思ったんだろう。三人が三人とも全然違うリアクションをするおれたちを眺めながら、言った。


 「変な子たち。こんな時間におかしなことして、怒られても知らないわよ」

 「……おれもそう思う。花火するって言うから来たのに」

 「わたしのことが見えるから、巻き込まれたわけね」


 彼女がちょっと笑った。なんか、不思議なヒトだな、っておれは思っていた。普通の霊とちょっと違う――どこがって言われたら、困るんだけど。


 「まあいいわ。ユーレイにも会えたし、もう用は済んだでしょ。遅くならないうちに、早くお帰り」

 「待って! ちょっとでいいので、お話聞かせてもらえませんか? 」


 おれがユーレイの言ったことを伝えると、勝はさっさと来た道を戻ろうとしたが、大夢はそう言って食い下がった。


 「あの、〈旧校舎のユーレイ〉ってたくさん噂があって、どれが本当だか誰も知らないんです。……失礼だとは思うんですけど、どうして旧校舎のユーレイになったのか教えてもらえませんか? 」


 ユーレイはこの質問を聞いて表情を曇らせた。失礼ね、って感じじゃなく、困ったな、みたいな顔だった。


 「どうしてって、言われてもねえ。死んじゃったのね、多分」

 「多分? 」


 おれは思わず聞き返していた。自分が死んだことに気づいてないヒトはたまにいるけど、このヒトもそうなのか? でも、自分のことユーレイって言ってるし。

彼女は困った顔のまま言った。


 「忘れてしまったのよ。生きてた頃のこと……気がついたら、この建物の中にいたの。最初はどこなのか分からなくて困ったけど、ここって学校なのね」

 「へえ! 」


 勝が立ち直った。記憶喪失の霊なんて、意外だったんだろう。大夢は気の毒そうに言った。


 「えーっと、それで成仏できないとか? 何か思い出したくて、未練になってるとか」

 「何も覚えてないのに、未練になんかなりようがないでしょう……何を覚えていたかったかも、覚えてないのに」


 おれたちは顔を見合わせた。大切だったはずのこともみんな忘れてしまったら、かえって楽なのかな? 彼女の様子は別に焦っているふうでもなくて、多分生きてる人間と違って覚えてなくても暮らしに困ったりすることがないからだと思うんだけど、ずいぶんさっぱりしてる感じがあった。


 忘れたくなくたって、忘れてしまったんだから最初からなかったのとそんなに変わらない。そんなふうに思ってるのかもしれない。だから、普通の霊と違った感じがしたんだと、おれは思った。死んじゃったのに人間に混じってうろうろしてるヒトって、普通はもっと話を聞いてほしがったり、やり残したことをやりたがったりするものだから。


 ただ、と彼女は目を伏せた。


 「〈トモちゃん〉のことが、気になって……」

 「トモちゃん? トモちゃんって? 」

 「わたしの弟よ」


 ユーレイはそれだけははっきり言った。あとは、ひとり言みたいな小さな呟きが続いた。


 「兄弟で、一番小さかった……わたしがいなくなって、どうしたかしら? ……死んでしまった、かしら。かわいそうな子――お腹空いた、お腹空いたって、いつも泣いてた……」


 何となくしんみりした気分のまま、おれたちはユーレイと別れた。先生たちには遅かったな、忘れものあったのか、なんていろいろ言われたけど、誰も聞いちゃいなかった。


 「ねえ、僕らで助けてあげようよ」


 校門に戻ってきたとき、大夢がおれたちに言った。


 「あのままじゃかわいそうだよ……〈トモちゃん〉のことが気になるのに、自分じゃ他のことを思い出せなくて困ってるんだ、きっと。なんとか、〈トモちゃん〉のこと分からないかな」

 「でもよ、助けるったって自分の名前も分かんないんだろ? そんな人の弟のことなんて、どうやって調べるんだよ? 」


 勝の疑問はもっともだった。本人のことも分からないのに、その家族がどうなったかなんて、僕らだけで分かることなのかな?


 大夢はうーん、と考えながら言った。


 「ユーレイさんさ、最初は自分がいるのが学校だって分からなかったんでしょ? 幽霊って自分が死んだ場所にいることが多いから、亡くなったときにはまだ旧校舎はなかったってことじゃない? ……旧校舎が建てられたのは、確か戦争が終わってちょっと経った頃だ。〈旧校舎のユーレイ〉は、戦争中に亡くなったんじゃないかな? 」

 「そうかもしれない」


 おれはユーレイの格好を思い出しながら相槌を打った。そうか、あの変なズボンみたいなやつ、教科書に載ってたんだ。〈戦時中の暮らし〉とかいうページに。


 「それ、モンペってやつだったんじゃない? 」



  と大夢は言った。


 「だとすると、もう七十五年以上あの旧校舎にいるってことになる――死んだ人に時間の感覚があるのかは分からないけど、そんな長い間誰ともまともに話さずにいたら、自分の名前も分からなくなっちゃうのかも」

 「じゃあ、話してるうちにいろいろ思い出すってことも、あるのかな」


 とおれは言った。おれたちだって、人と話してるうちに忘れてたことを思い出すってこと、あるもんな。


 おれたちは夏休みの間〈旧校舎のユーレイ〉――改め、〈ユウコさん〉の弟探しをすることになった。幽霊だから〈幽子〉さんね。


 こうして、後にも先にもない、ちょっと不思議な夏休みがはじまったんだ。

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