第22話 洗脳

「なんのつもり?」


「邪魔をしたつもりはありませんが」


「お前は革新派だと思っていたがな」


「どちらに肩入れするつもりもありません、ただ」

「なんだ?」


「楽しみたい――。それだけですよ」



 

 ベッドで寝かされていた陽葵は目が覚めると同時に曖昧な夢の記憶を呼び起こそうと、懸命に思考を遡る。掴めそうで掴めない濃霧のような状態はそこに辿り着く事を拒否するかのようにぷつりと行方をくらませた。


 ゆっくりと目を開けると気美な装飾が施された天蓋が陽葵の視界に入る。刹那、自身が置かれている状況を察した陽葵はガバッと上半身を起こした。あらわになった乳房を見て全裸だと気づく、羞恥と屈辱が同時に迫り上がり怒りに変換された。それと同時に掛けてあった布団で胸を隠す。


 

「お目覚めですか?」


 耳心地の良い低音のハスキーボイス。しかし、たった一言の中に真実と虚構を織り交ぜたような掴みどころがない底知れぬ恐怖を感じながら、陽葵は声の方向に顔を向けた。


「ご心配なく。なにもしていませんから」


 アンティークのソファで足を組みながらワインを傾ける不知火がそこにいた。


「いたいけな女子高生を素っ裸にしておいて何もしてませんとは恐れ入るわね」

 精一杯の強がりが口をつく。


「申し訳ありません、逃走されないようにやむを得ずお召し物は預からせて頂きました」


 逃走防止ならば手錠で繋ぐなり縄で縛るなり他にいくらでも方法がある。全裸にして身動きを取れないようにするという発想が陽葵により一層の嫌悪感を与えた。

 

「それで……。私になんの用?」


「少しお話をしませんか」


「ロリコン野朗と話すことなんてないわ」


「ロリコン――。とは?」

 

 陽葵が無視していると不知火は組んでいた足をといて立ち上がった。警戒する陽葵をよそに壁際に設置されたデスクに向かう。重厚感のある漆黒の机上にはノートパソコンが開きっぱなしで置いてあった。不知火は椅子にも座らずにカタカタとキーボードを打ち始めた。


「ふんふん、なるほど……」


 ぶつぶつと独り言を喋る不知火を陽葵は視線でじっと追いかけた。同時に脱出経路を確認する。いざとなれば裸で逃げる覚悟は出来ていた。不知火が再びソファに戻り足を組む、先程までと寸分違わぬ姿勢に戻るとグラスに残った赤ワインを飲み干した。


「あなたは随分と前の時代からいらしたようですね。我々の時代にはロリコンと言う言葉はありませんでした。いや、ロリコンの概念がないと言った方が正確かもしれませんね」


 訝しげな表紙をする陽葵とは対照的に穏やかな雰囲気を崩さない不知火は、優雅な動きでワインボトルの底を掴むとゆっくりとグラスに注いだ。


「私たちの時代ではすでに好きな年齢をある程度維持することが可能でした。女性は十七歳から十九歳、男性は二十六歳前後が肉体のピークですからそのくらいの年に老化を緩めるのが主流です。つまり今の私たちくらいの二人が恋愛をするのが普通でした」


 暗にロリコンと言われた事が心外であったのかどうか陽葵には判断しかねたが、自分を恋愛の対象にされた事に対しては虫唾が走った。

 

「だとしてもあんたみたいな殺人鬼はごめんだわ」

 

 陽葵の言葉に不知火はなんの反応も示さない、マイペースに自分の好きなように話す男はまるで、一人だけ別の世界にいるかのように言葉を紡いだ。


「神は存在します、失礼、俗的な言い回しでしたね。この全宇宙に介入する存在を私は神と呼んでいます、あなたには聞こえませんか? 神の声が」


 三番目を雷帝で撃ちなさい――。


 陽葵は不意にこの惑星に向かう途中、隕石群との衝突寸前に脳内に聞こえてきた声を思い出したが不知火には無言で抵抗した。


「私は少し知りすぎたのかも知れない――」


 そう呟いた不知火は陽葵の返答もまたずに続けた。

 

「今日、あなたのせいで四十九人の人間が死にました……」

 

 囁くように、呟くように。それでいてハッキリと陽葵の耳に残る声色で不知火は言った。


 あなたのせいで――?


 その言葉の意味を理解するよりも先に脳内でついさっき校庭で起きた地獄絵図が再生される。耳を劈くつんざ雷鳴、目を開けていられないほどの閃光が次々に降り注ぎ、そこにいた人たちをあっという間に塵と変えた。


「彼女たちは穏やかに今ある幸福を噛み締めて生活していました。それをあなたは壊そうとした。みなさん怯えていましたよ。怖い、怖い、助けてほしい。ここから出たくない……と」


「あんた何を言って――」


「幸せの定義はそれぞれです。他人の正義を推しはかる事などまさに神の所業。あなたがこの惑星に来なければ、あなたが鬼子の解放など画策しなかったら……。彼女らの尊い命を奪ったのはあなたです」


「私が……。殺した?」


「そうです」


 なぜか反論の言葉が出てこない、不知火の言う事が虚偽だとも言えない。この男を崇拝する彼女たちを陽葵は目の当たりにしていた。つまり、余計な事。ありがた迷惑。平穏な生活を脅かしたのは陽葵。


 彼女たちを殺したのは陽葵わたし――。


 わけもわからずポロポロと涙が溢れてきた、死の恐怖を誰よりも感じる陽葵は他人の死にも敏感だった。自身の安易な考えで後先考えずに行動した結果。彼女たちの幸せだけでなく命をも奪った。もう二度と戻れない塵となった生命。陽葵が奪った彼女たちの世界。


 いつの間にか不知火は陽葵の横に座っていた。頬を伝う涙を指でぬぐうと長い腕で華奢な身体を抱きしめる。陽葵は春翔に抱きしめられた時のような安心感に包まれた。抵抗しなくてはならない理性と、このまま強く抱きしめていて欲しいという本能はあっさりと後者に軍配が上がった。


「わたし……。どうしよう……。大変なことを」


 嗚咽する陽葵の頭を不知火は細長い指で撫でた、小さな子供のイタズラをたしなめるようにゆっくりと、優しく。


「私についてくれば大丈夫……」


 陽葵はその優しい言葉にコクリと頷いた。


「美しき神の少女、名前を教えてくれませんか?」


「陽葵……」


「陽葵、いい名前ですね」


 不知火は陽葵の顎を人差し指と親指で軽く持ち上げた。ゆらゆらと揺れる蝋燭の明かりが二人の陰影を壁に映し出す。陽葵はなぜかうっとりと不知火の顔を見つめた。ハーフのような綺麗な顔立、優しい眼差し。自然と目を閉じると唇に経験したことのない柔らかな感触と甘いワインの香りが同時に陽葵を支配した。

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