第10話 それぞれの目的
「ふぅ」
陽葵はようやくガラスケースから離れると目の前にいる自分自身を見つめた。液体の中で黒い髪が海藻のようにゆらゆらと揺れている。
開いたまぶたから見える眼球には光がない。幻影の陽葵はその場で目を閉じると意識を本体に移すイメージを作る。幻影は細かい粒子のようになり、ほとんど透明になったそれはガラスケースを通り抜け本体と重なる。
すると幻影は完全になくなり本体の瞳に光が差した。視界が切り替わる、ガラスケースの中から見る景色はたゆんでいて部屋全体が歪んで見えた。液体の中にも関わらず呼吸は苦しくない。
すると『ピー、ガチャン』の音と共に水位がどんどんと下がってきた。顔、身体、足が外気に触れるとゾクゾクとした寒気に襲われる。やがて完全に液体が無くなると『プシュー』っとバスの扉が開くような効果音と共に、目の前のガラスケースが観音扉のように自動で開いた。
『お疲れ様でした、復元完了です』
無機質な音声で労われた陽葵は両腕をクロスさせて胸を隠し、そろそろとガラスケースの中から出た。急いで辺りを見渡す、すると確かに部屋の一番奥に会社で使われていそうな縦長のロッカーが並んでいた。陽葵は素っ裸に濡れた身体を屈めて小走りで近づくと15の札が付いたロッカーを開けた。
「なんで制服……」
ロッカーの中には高校時代の白いセーラー服が掛けられていた、見覚えのある下着も置いてあり、ありがたいことにタオルもあった。身体をおざなりに拭いて陽葵はすぐ制服に着替えた。
開けたロッカー、扉の内側に付いている小さな鏡で顔を覗き込む。なんども見た自分の素顔。幻影じゃない現実の陽葵。
「まだかー!」
扉の向こうから神宮寺のいらだった声が聞こえてきた、陽葵は黒いローファーに足を入れて扉の方に歩き出す。たしかな重力を感じる、幻影の時感じたそれとは異質の現実感。
「おまたせー」
「なんだ、裸じゃないのか?」
部屋に入るなりセクハラ発言する神宮寺の腕を叩く、二人は再び同じ席についた。
「どうだ? 久しぶりの肉体は」
「お腹すいた」
人生で味わったことがないほどの空腹感だった。
「そこの炊飯器に米が入ってる、カセットコンロにのってる鍋にカレーが余ってるから温めて食え、皿は紙皿しかないがな」
神宮寺に言われて見ると、確かに炊飯器と鍋がテーブルの上に用意されていた。陽葵はコンロの火をつけた。
「意外と原始的なんだね」
陽葵が生きていた時代となんら変わりない食事に疑問が湧く。
「錠剤一つで満腹になる上に、全ての栄養を摂取できる薬ならあるぞ、そっちにするか?」
「いや、カレーいただきます!」
もうすっかり口はカレー気分になっている。蓋を開けるとグツグツと煮立ち始めたカレーがスパイシーな香りを放っている。陽葵は唾を飲み込むと、ご飯を紙皿に盛ってカレーをたっぷりかけた。
「いただきまーす」
千年ぶりの食事は気絶するほど美味しかった、夢中でカレーをかき込む陽葵を春翔が驚いたように見ていた。
「めちゃくちゃ美味しい」
「まあな、これでも料理は得意なんだ。料理ってのは科学に通じる部分がある、そもそも――」
神宮寺のうんちくは無視して陽葵はカレーを三杯完食した。制服の中の下っ腹がポッコリと出ている。
ご飯を食べるために人間の肉体は存在するんじゃないか、そう錯覚させるほどに久しぶりの食事は陽葵を感動させた。
「で、これからの予定だが」
その場に寝転んで余韻に浸りたい陽葵をよそに神宮寺はテーブルに二人を集めた。春翔と並んだ陽葵の前に神宮寺が座る。
「まずは旅のしおりだ」
そう言って置いたのは、手帳サイズの用紙がホッチキスで止められた分厚い束だった。文庫本ほどの厚みがあり表紙には『宇宙旅行のしおり』と書かれた文字の横に下手くそなスペースシャトルが描かれている。
陽葵に修学旅行じゃないんだぞ、なんて言っておいて神宮寺だって旅行気分だと思い陽葵は笑みがこぼれた。
「しおりにもあるように、まずは恒星リリスを周回する惑星、シヴァーを目指す」
「恒星ってなんだっけ?」
習ったような気がするが陽葵はまったく思い出せない。
「お前そんなんでよく宇宙に行こうなんて、まあいい、春翔、小学生にも分かるように説明してやれ」
失礼な、と思ったが何も言い返せないのが悔しかった。
「えっと、自らが莫大なエネルギーを放出しながら質量がもたらす重力に影響――」
「春翔、もっと簡単にだ」
神宮寺に止められた春翔は数秒考えてから答えた。
「光ってる星が恒星です」
「え、光ってない星なんてあるの?」
陽葵が疑問を口にすると神宮寺が頭を抱えた。
「はい、僕たちがいた地球は自ら光を発しませんから惑星です、太陽は光っているので恒星です。基本的に天体というのは恒星の周りを惑星が周回しています。地球は太陽の周りを公転していたので太陽系と呼ばれています」
あー、はいはい。なんとなく思い出した陽葵だったが一つ気になった。
僕たちがいた地球――。
まるで昔はいたが今はいないみたいな言い回しに違和感を覚えたが、質問する前に神宮寺が話し出した。
「この宇宙には太陽のような恒星が何千億個とある、その一つがリリスだ」
「はいはい、なるほどねー」
陽葵が分かったふりをすると、訝しげな目で神宮寺がみてくる。
「最終目標は宇宙の果てだ、一足飛びで行けたら苦労はないが、さすがに燃料がもたない。シヴァーに寄るのは燃料補給のためだ、概算では宇宙の果てまで行くのに四つの惑星を経由する」
「ふんふん、なーるほど」
相槌をうつ陽葵を見て神宮寺がため息をつく。
「まあいい、そのつど説明する」
「とにかくその最初の惑星にいこう! レッツゴー!」
「出発は四十時間後だ、それまでせいぜい安全な暮らしを満喫するんだな」
それだけ言うと、立ち上がって拳を突き上げる陽葵を無視した神宮寺は席を立って部屋を出た。
「ねえねえ春翔くんて何歳? あ、コッチに来る前の歳だよ」
神宮寺がいなくなって春翔と二人きりになった陽葵は、春翔の正面に座り直して質問した。長い前髪が目にかかっていて表情が読めない。
「えっと、十七歳です」
「やっぱり同い年だ、何月生まれ?」
「五月五日です」
「牡牛座ね」
陽葵は星座占いで自分との相性をはかろうとしたが、はるか昔に読んだ本の内容はすでに頭の片隅にも残っていなかった。
「痴漢から助けてくれたよね、正義感が強いんだ」
前のめりになって陽葵が尋ねるが春翔は小さく首を横にふった。
「あの時は……体が勝手に、自分でもよく分からなくて」
「うそ、もしかして私たち運命の赤い糸で結ばれてるとか?」
痴漢から助けてくれた男の子がたまたま陽葵が訪れた神宮寺の元で一緒になった、それから千年の時を経て再び再開した二人は宇宙の果てを目指して旅にでる。
これはどう考えても運命だ。小さな頃から異性にほとんど興味が湧かなかった陽葵は初めての感情に胸が高鳴る。
「え、いや、そんな。陽葵さんは――」
「ちょっと待った。さん付けされたら私の方がおばさんみたいだから、せめてちゃんにして」
「あ、はい、陽葵……ちゃんはどうして僕たちについてこようと思ったんですか?」
陽葵は腕を組んで考える、なんで? なんでだろうか。楽しそうだから、うん、これしかない。
「楽しそうだから、春翔くんと旅行するの」
顔を真っ赤にして俯いてしまった春翔に陽葵は続けた。
「ユッキーはなんの目的があるのかな?」
「ユッキー?」
「諭吉だからユッキー」
神宮寺なんて仰々しい、あの見た目にもそぐわない。そうだ、これからはユッキーと呼ぼう。陽葵は勝手にあだ名を決めた。
「多分ですけど……」
「うん」
「子供たちを探しに行くんじゃないかと……」
「子供? ユッキー子供いるの?」
言った後に、まあ中々良さそうなパパだなと感じる。
「この世界に来る前に二人の子供に会いましたよね、眠りについた」
陽葵は頭をフル回転させて記憶を呼び戻す、灰色のビルに古いエレベーター、そして地中深くに作られたシェルター。その中の一つの部屋に寝かされた二人、女の子の方は確か下半身を事故で失っていた。
「いた、私と同い年くらいの子たち」
「ええ、あの子たち多分、神宮寺さんの子供だと思います」
カプセルの中の女の子を優しく見つめる神宮寺の横顔が鮮明に思い出される。
「えっ、えっ、どうして分かるの?」
「部屋のパスワードが書かれたメモに、中にいる人の名前が記されてました、一葉と英世」
「あっ、ユッキーは諭吉だから?」
三人ともお札になった偉人だ。
「はい、それぞれ珍しい名前です。その後にカプセルに入る二人を見て確信しました。神宮寺さんにそっくりでしたから」
全然気がつかなかった、それにしても春翔の観察眼は凄いんじゃないか。それとも自分が鈍感なだけか陽葵には判断がつかない。
「え、で、なんでユッキーの子供はここにいないの?」
この世界なら失った足も元通り、晴れて一緒に暮らせば良いではないか。
「この星にある脳の数が六百六十六個ってあまりにも少ないと思いませんか?」
「思う、あと不吉!」
「どうやら脳は、宇宙にあるいろいろな星に分散されたみたいです、星自体の消滅よって全人類が滅びてしまうのを防ぐのが目的かと」
陽葵はピンときて手を叩いた。春翔はびっくりして顔を上げる。中性的な整った顔立ち。
「わかった! それでユッキーと子供たちが離れ離れになっちゃったんだ」
「おそらく」
「おそらくって、ユッキーに聞けばいいじゃん」
「はぐらかされるんですよね、その話題になると」
「ふーん」
思ったよりもちゃんとした目的があることに感心した陽葵は「楽しそうだから」などと浅い発言した数分前に戻ってやり直したかった。そして難しい話を聞いているうちに陽葵は睡魔に襲われる。
「春翔くんはどこで寝てるの?」
陽葵の部屋にはベッドも何もない。
「このフロアにある部屋で寝てます」
「ベッドある?」
「はい」
「じゃあ一緒に寝よ?」
「いやいやいやいや! そんな!」
「冗談よ♪」
春翔の肩を人差し指で突くと、顔を真っ赤にして下を向いた。可愛らしくてキュンとしたが睡魔には勝てない。結局、陽葵はベットがある他の部屋を使わせてもらい、久しぶりの睡眠をとった。
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