第4話 三千世界①
『保健室はラブホテル』
翌日、学校に行くと黒板は派手に落書きされていた。ご丁寧にイラスト付きだ。品田は上手く特徴を捉えているが、となりにいる、やたらと目がデカい宇宙人のような女はまさか自分の事だろうか。陽葵が教室を見渡すとクスクスと笑い声が聞こえてきた。相手にしても喜ぶだけだ、何事もないように席についた。
目の前には愛菜の後頭部がある、そこで異変に気づいた。ヤンキー上がりの愛菜ならば友達が小馬鹿にされて黙っているのはおかしい。犯人を吊し上げて見せしめにビンタの一発でもお見舞いするのを陽葵が止める。そんな光景が目に浮かぶ。
「愛菜おはよう」
ただならぬ気配の後ろ姿に声をかけた、しかし聞こえなかったのか反応がない、廊下側の一番前、陽葵と対角線に位置する場所に席がある菜穂を探すがどうやらまだ来ていないようだ。
「朝礼はじめるぞー、って、え」
品田は教室に入るとすぐに黒板に気がついた、動揺しているのがバレバレだ。それじゃあ黒板の内容が事実だと思われてしまうだろうが。と、陽葵はため息をついた。
「だれだー、こんないたずら書きした奴は!」
品田は焦りながら黒板消しを使って消して行く、様々な色が混ざり合い虹のようだ。すると目の前の愛菜の手がすうっと上がった。
「わたしでーす」
一瞬耳を疑ったが、まだ消されていない文字を見ると、確かに筆跡が愛菜にそっくりだった。
「由井か、お前なんでこんな事」
品田は手を休めずに愛菜に問いただす、理由を聞きたいのは陽葵も同様だった。
「見ちゃったんだもーん、昨日、保健室でキスしてるところー」
カッ、と頭に血が上った。あの変態教師、寝ている女子生徒の手を握るだけでなく唇まで奪っていたのか。
「ば、ばか言うな熱を計っていただけだ、誤解だ」
だめだ、こいつは普通じゃない。陽葵は軽くめまいがしたがすぐに気を取り戻した。そんな事より、愛菜がそれをネタにする方が解せない。
ざわついた教室内で慌ただしく出席をとる品田、菜穂は風邪で休みとの事だった、そこでやっと疑問が解決する、愛菜と菜穂は幼馴染。一度も陽葵を振り返らない愛菜の後頭部を見ながら考える事は、いつもと大して変わりなかった。
退屈な奴ら――。
その日は休み時間のたびに他のクラス、他の学年の生徒までが噂を聞きつけてやってきた。動物園のパンダはこんな気持ちなのかな、などと見当違いなことを考えていると陽葵は校長直々に呼び出された。
放課後、校長室に入ると教頭と二人で難しそうな顔をしている校長がいた。その向かいで小さな子供のようにしょんぼりと座っているのは品田だ。
「なぜ、呼び出されたかわかりますね?」
さっそく教頭が本題に入ったので、座りもしないでハッキリと陽葵は答えた。
「はい、この変態教師がわたしに痴漢行為をした件ですよね?」
品田を指差して声を張った。品田はまた金魚のように口をパクパクさせて陽葵を見上げている。
「ん、品田くん、話がちがうね、君は」
でっぷりと太った校長が言い終える前に品田が立ち上がった。
「違うんです、ちょっと熱を確かめただけで、やましい気持ちは何一つなくて、その」
空調の効いた部屋で品田は汗をダラダラと流していた、拭くのも忘れてポタポタと床に水滴が落ちる。
「菊池さんは同意じゃない、と?」
教頭の質問にはっきり「はい!」と答えた、すると二人は眉間にシワをよせて何やら思案している。やがて校長が頷くと口を開いた。
「これは事件ですよ、君が寝ている間に体に触ったりしたのであれば立派な犯罪です」
その通り、なかなか話がわかる校長に陽葵は満足した。一方の品田は汗がピタリと止まり顔面蒼白になっている。
「まずは、親御さんに、それから警察に連絡しましょう」
教頭の言葉に陽葵の心臓は跳ね上がった。親に、母に連絡。
――いやらしい格好してるからよ。
誰かれ構わず男を誘惑する淫売、血の繋がらない娘を冷笑する母の冷めた目が脳内で再生される。
「帰ります」
「え?」
校長と教頭が同時に驚いた顔を上げた。
「もう結構です、警察とか親とか。わたしが悪いんです」
「いや、でも――」
校長が言い終える前に陽葵は扉を開けて部屋を出た、早歩きで廊下を進む、後ろから追いかけて来る気配はない。今日は部活動がある日だがとても練習に参加する気にはなれなかった、そのまま昇降口に向かって黒いローファーに履き替えた。
校庭で練習するサッカー部、陸上部、ソフトテニス部。皆が手を止めて陽葵を見ているような気がした。その視線を振り払うように走って校庭を駆け抜けた。
校門を出るとようやく落ち着いた、校長は家に連絡を入れているだろうか。
学校にも家にも居場所がない、人はこんな時に死にたい、自殺したい、なんて考えるのだろうか。しかし陽葵にはまったくその選択肢はなかった。ただぼんやりと違う世界に行きたい、そんな風に思っていた。
『三千世界』
不意に昨夜のふざけた団体の事を思い出した、その場で立ち止まってスマートフォンを操作すると、履歴から昨日のホームページを表示させた。事務所の場所を確認する、ここから歩いても三十分かからない場所だった。
「まあ暇だし……」
自分に言い聞かせるように小さく呟くと、陽葵は目的地に向かって歩き出した。
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