第5話 来客

 朝の見回りが終わったジークは帰宅すると同時にグローブを脱いで一息ついた。

 泥だらけの上着を脱ぐと雨に濡れた土の香りがふわりと鼻孔をつく。先程まで倒木の下に身体を挟まれた子ギツネを救う為に奮闘していたので、どこもかしこもドロドロだ。朝の森は肌寒いくらいだが、ジークのシャツは汗でしっとりと濡れていた。

 昨夜の雨は明け方には止んでいたものの、水分をたっぷりと含んだ地面は崩れやすい。ふとした弾みに足を滑らせてしまい、こうやって倒木に挟まって動けなくなる動物は意外と多かった。

 無事に救出したものの、すっかり怯えてしまった子ギツネが落ち着くまで胸に抱いていてやったので、帰宅時間はいつもより随分と遅かった。リリアーネはもう朝食を食べ終えただろうか……と自然に考えてしまった所でジークは苦笑した。

 彼女がこの家に押しかけてきてから早数週間。すっかり彼女と過ごす生活が当たり前になっているようだ。


(だがいつまでもこのままでいるわけにはいかないな……)


 お婿さん探しとやらの為にある日突然押しかけてきた魔女リリアーネ。魔女の世界に繋がる鍵を置いてきたせいで帰れなくなった彼女を仕方なく居候させているが、腐っても相手は妙齢の女性。男と一つ屋根の下で暮らしているのはどう見ても外聞が悪すぎる。別に誰に見られることもないのだから気にする必要もないのかもしれないが、誰かに見られていないからいいという話でもないのだ。

 ジークがやるべきことは二つ。

 彼女が元の世界に戻る方法を見つけるか、彼女の伴侶となる者を探し出してやることだ。

 そこまで考えた所で彼女の結婚相手として最初ハナから自分を考えからはずしていたことに気がついてジークはフッと笑った。


(森番のは危険も多い。わざわざ俺と結婚しなくても、引く手はたくさんいるだろうな)


 リリアーネは騒がしいが黙っていればなかなかの美人だ。くりっとした柘榴色の瞳は人懐っこそうに大きく、少女と大人の狭間にいるような顔立ちは街を歩いていれば一人や二人にすぐ声をかけられそうな容姿をしている。

 今度街に行く時に一緒に連れていけば、すぐに見初める男が出てくるだろうと思いながらジークは寝室に向かった。汚れたシャツを脱いでベッドサイドのテーブルに置き、クローゼットの中から清潔なシャツを取り出す。シャツを広げて袖を通そうとした途端、バタバタと音がして寝室の扉がバタンと開いた。


「あー! ジーク様お帰りなさい! なかなか帰ってこないので心配しましたよー!」

「うわぁぁぁぁぁ!? お、おいノックもせずに勝手に部屋に入ってくるやつがあるか! 着替え中だぞ!」

「だって扉がうっすら開いていたんですもん〜ってきゃあ! ジーク様ったらなんて大胆な格好! これは裸の面積が多いほど魔力がどれくらい回復するのか実験するチャンスですね!? では遠慮なく!」

「だぁぁぁぁぁ待て! とりあえず服を着させろ!」

「嫌ですーーー! だってこういう時じゃないとジーク様の直肌じかはだなんて触れないですもんーー!」


 ジークの静止の声を振り切ってリーネが突撃してくる。だがその拍子にリーネの足がいつの間にか床に落ちていたジークの脱いだシャツを踏み、シャツごと床をツルリと滑って小柄な体が後ろ側に大きく傾いた。


「およ?」

「わっ! 馬鹿!」


 ドタァァァァァァン!


 咄嗟にジークが腕を伸ばしてリーネの背に腕を回すも間に合わず、二人は揃って床に転がった。


「つっ……おい大丈夫か」

「はわわわジーク様すみません、私……」


 パチリと目を開けると柘榴色の瞳と至近距離で視線が交わる。ジークの片腕をクッションにしたおかげでリーネの体が床に叩きつけられることは免れたようだが、その代わりに二人は抱き合うような形で床に横たわっていたのだ。ついでにジークは上裸で。


「!!」

 

 どう見てもいかがわしすぎる状況を回避すべくジークが慌てて立ち上がろうとするが、リーネの両手が伸びてきてジークの頬をガシッと挟む。


「ジーク様、折角なので直接キスをした場合ならどれくらい早く魔力が回復できるか試してみてもいいですか? 折角なので」

「いいわけないだろ! つか折角ってなんだ折角って! くっ……付き合ってもいない男の唇を奪おうとするな!」

「私の見立てでは、キスが最も速く、そして最も効率的に魔力を回復できる手段なんですよね。だからもしもの時の為に今から練習をさせてください!」

「す る わ け ないだろこの変態女!」


 ぎゅむーっと頬を挟んでくるリーネの両手を掴み、そのまま床に縫い留める。意外と力の強いリーネが負けじと腕に力を入れているが、そこは腐っても男と女。細い彼女の腕を封じることなどわけはない。

 「この千載一遇のチャンスを逃しませんよ〜」などとのたまいながら諦めずに腕を伸ばしてこようとするリーネを必死に押さえつけていると、コツコツと靴音がしてキイと扉が開く音がした。


「おーい、ジーク、いるか? セルメタル石が足りなくなったから分けてほしいんだが……」


 扉の隙間からヒョイと顔を出したのは線の細い男だった。モノクルの内側から見える彼の紫色の瞳とジークの目がバッチリと合い、つかの間時が停止する。


「オッケー、続けて?」

「待て待て待て誤解だ」

「誤解だって? どう見ても急に服が弾け飛んで床に倒れた女性が出現したミラクルよりも、半裸で女性を押し倒していると解釈する方が自然だと思わないか?」

「着替えの最中に入ってきた彼女が転びそうになったから咄嗟に助けようとしてこうなっただけだ!」


 言いながらも確かにこれも無理があるなとジークは心の中でため息をつく。本当のことしか言っていないのは確かだが、運の悪いタイミングで最悪の男に見られてしまったのは間違いない。

 慌ててシャツを羽織ると、男は床にぺたんと座っているリーネを面白そうな目で見つめていた。


「ジーク様、こちらの方はどなたですか?」

「ジーク様? まさかお前、可憐な女性を連れ込んで主従プレイを始めたのか? 森の中にいて女っ気がない苦労はわかるがこれは僕も素直に引くぞ」

「主従プレイ? ジーク様はご主人様ではありませんよ?」

「へぇ、じゃあなんだい?」

「ジーク様の未来の伴侶となる者です」

「伴……ほほう」

「おい、勝手に変な想像をするな。というか何をしに来たんだ、ライルベルト。セルメタル石なら倉庫にあるから好きなだけ持ってさっさと帰ってくれ」


 ジークがつっけんどんに言うと、ライルベルトと呼ばれた男が紫色の瞳をジークに向ける。その目は面白いものを見たぞと言わんばかりに怪しい光を称えており、薄い唇が意地悪そうに弧を描いた。


「こんな面白そうな光景を見てしまったからには手ぶらで帰れないな。どういうことか詳しく聞かせてもらおうか」

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