抱きしめると増えるクマ
小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)
第1話 子供たちのお気に入り
特に意味は無いけれど、弟が大事に持っているクマのぬいぐるみを掴んで、机の上に置いて枕代わりにして仮眠を取った。
カーディガンを丸めて枕にすることもできたし、腕を並べて枕代わりにすることもできたし、ソファーのクッションなんか形がちょうどいい。でも、この日の俺は、いつも弟の腕の中にすっぽり収まっているクマのぬいぐるみと目が合って、弟の腕から引き抜いて、枕代わりにしてしまったのだ。
勉強に疲れて休憩したかった。今すぐ眠りたいくらい眠かった。
弟はひどく泣いていたが、無視していたら、そのうち泣きやんだ。そして飽きたのか、どこかへと歩いて行ってしまった。俺の弟は、最近になってよく歩くようになり、ズボンはオシメでモコモコに膨れていた。
幼児用の、タオル生地のような柔らかさのクマのぬいぐるみは、赤ちゃんの握力でも簡単にへこむくらい綿が少なくて、目が覚めた俺の頭の下で、ぺちゃんこになっていた。揉んでも引っ張っても、形が元に戻らない。もともと入っていた少ない綿が、俺の頭の重さで、修復不能なまでに潰れてしまったようだ。
やってしまったと思ったが、作りからして安物だろうし、代わりのクマを買ってやるかと思いついた途端、反省する気持ちも罪悪感も消えた。まだ眠かったので、ソファーで横になって昼寝しようかと席をたった、そのとき、たしかに机の上にあったぺたんこのクマが、消えた。
少し目を離した隙に。どこに行ったのかと、机の下も探したが、頭をぶつけただけで、結局見つからなかった。
なにやら声がするから、目が覚めた俺はソファーから起き上がって、辺りを見回した。リビングの壁に向かって一人で遊んでいる弟の両手には、見覚えのあるぬいぐるみが、二つも握られていた。
「お前、それどうしたんだよ」
弟は取られまいと、ぬいぐるみを持って走っていってしまった。母ちゃんに買ってもらったんだろう……そういうことにして、俺は自分の部屋に戻っていった。
その次の日、弟の両手に、あのぬいぐるみが三つも握られていた。
「母ちゃん、こいつにぬいぐるみ買ってやったの?」
台所で皿洗いしている母ちゃんは、知らないわよー、とのこと。次に俺は、ソファーで新聞を読んでいる父ちゃんに、同じ質問をしたが、買った覚えはないと言う。
でも、二人とも忙しいから、買ったことを忘れたり、目の前の作業に忙しくて、俺の話をちゃんと聞いてないだけかもしれない。安物がまとめて売られていたから、何個かセットで買ってしまったのかもしれない。俺はあらゆる可能性を考えて、ふと、クマのぬいぐるみ数個ごときで怯えすぎている自分に気がついた。
バカらしくなり、それ以上気にするのはやめにした……弟が両手いっぱいに、全く同じクマのぬいぐるみを抱えて、はしゃいでいる姿を見るまでは。
「なあ」
俺が近づくと、走って逃げる弟。まだ言葉がしゃべれないなりに「やー!」と抗議している。その間にも、腕から溢れ落ちる大量のクマの人形。
俺は弟を捕まえ、持っていたクマの人形を、燃えるゴミ袋の中に全部押し込んだ。号泣する弟の声を聞きつけて、両親が駆けつけてきたが、俺は「ぬいぐるみの中から大量のダニが出てきた。もう捨てる」の一点張りを貫き、ちょうど明日が燃えるゴミの日だから、少し早いけど近所のゴミステーションに放り込んでおいた。
こうして俺は、家の中から不気味なクマどもを一網打尽にし、一掃することに成功したのだった。
春休みが明けて、順調なスタートを切ろうと通学路を歩いていたときだった。道中のバス停で幼稚園バスが停車していたのだが、乗っていた園児たちの片手には、あのクマが抱っこされていた。
バス停から、あのゴミステーションが見える。
まさか……。
俺は昨日、確かにゴミに出したはず。急いでゴミステーションへと走った。
『シールが貼られていません』の注意書きを貼られて、中身が半分以上も無くなったあのゴミ袋が、ポツンと置き去りにされていた。
おわり
抱きしめると増えるクマ 小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中) @kohana-sugar
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