悠久の機甲歩兵 〜幕間〜
竹氏
玉匣一家の絆
遺伝子レベルの野菜嫌い
スノウライト・テクニカの地下で行われた作戦が終了し、ポラリスが目覚めてから数日が経ったある日。
ダマルは新居のことについて忙しいのか顔も見せず、マオリィネも王都ユライアシティへ出向いて不在だった。
そんな普段より少ない人数での食事だというのに、部屋の中はいつも以上に騒がしい。
「むぐぐぐぐぐ……野菜きらーい! なんでこんなに、いっぱい入ってるのー!?」
それは主に、地下から保護されたばかりのポラリスが原因である。
年齢的な幼さがあるため致し方ないのだろうが、その好き嫌いの多さで食事の場は荒れに荒れていた。
嫌い、要らない、食べたくないと叫ぶ彼女に対し、アポロニアが隣で眉を顰めるのも無理はない。
「好き嫌いせずに食べなきゃ駄目ッスよ。というか、今までどうやって生きてきたッスか」
現代の食事の中心はほとんどが野菜であり、それ以外はパンや穀類となってしまう。
肉や魚もあるにはあるが、基本的に高価な上に保存が効かないため口にすることは難しい。では加工品はと言えば大体より一層高く、そうでない物に関してはとにかく不味い。
最後に甘味の類だが、これは肉やら魚が可愛く見えるくらいの高級品だ。それも果物ならばまだマシなほうで、加工された菓子類となれば最早貴族専用の嗜好品である。
そんな食文化の中で育ってきた者たちからすれば、ポラリスの大いなる好き嫌いは信じがたいものだったに違いない。
「今まで? んーと、なんかわかんないけど、四角い奴、よく食べてたよ」
「栄養ブロックかい? あれも美味しくはないだろう」
ポラリスが口にした答えに、僕は少しげんなりする。
時間がない時に齧るような保存食じみた物を、アポロニアの手料理と同じ舞台に立たせるべきではない。
だが、彼女はそれでもと顔をむくれさせた。
「でも野菜よりは好きだったもん。フルーツが入ってるのはおいしかったし」
「四の五の言わずに食べるッス! 子どもの時から贅沢なんぞ覚えると、後で苦労するッスからね!」
「いーやー! アポロ姉もきらい!」
意地でも食わぬと強硬姿勢を取るポラリスに、アポロニアは断固これ以外に料理は出せぬと叱り飛ばす。その様子はどこか
――やっぱりストリと似てるなぁ。
2人にとっては激戦であっても、傍目には微笑ましい光景に、僕はふと昔のことを思い出す。
それは玉泉重工のマキナ研究所で自分が過ごしていた時のことである。
■
昼休みの社員食堂は、研究所で働く職員たちでごった返している。
そんな人々の声でざわめく場所で、それら一切を貫いて甲高い叫びが木霊した。
「だーかーらー! 私の分には入れなくていいって言ってるじゃんか!」
長い金色の髪を揺らしながら、目じりを釣り上げて咆えるストリ。
しかし、そんなもの食堂のおばちゃんからしてみれば、子犬が鳴くのと変わらない。割烹着姿の中年女性はそんな彼女を鼻で笑った。
「アンタただでさえ細くてちっこいんだから、ちゃんと好き嫌いせずに食いな! 文句言うなら野菜だけ増やすよ」
「うぎぎぎぎ……」
「睨んでも駄目さ。どうしても野菜を減らして欲しけりゃ、アタシと腕相撲して勝つことだね!」
「勝負に公平性がなーい!」
細く小さなストリと、恰幅がよく男性職員からもお袋さんのように慕われる彼女とでは、まったく勝負にならないだろう。
イニシアチブを完全に握られているストリは、それでもと反論を繰り返したものの結局相手にされず、渋々カウンターから離れてテーブルの方へと歩いてきた。
そして絶対に彼女は僕の場所へやってくる。
「あ、キョーイチみっけ!」
パッと明るい表情を作って見せるストリに、僕は小さくため息をついた。
どうせ仕事中は否応なく共に過ごしているのだから、休み時間くらい別々でもいいだろうに。残念ながら彼女にそんな気は更々ないらしい。
「君はなんでわざわざ僕のとこまで来るかな……昼休みくらい静かに過ごさせてくれ」
「いいじゃんか。どうせ暇でしょ?」
「暇を大事にしたいと言ってるんだが」
単身で軍から派遣されている身としては、昼休みは1人になることが多い。決して自分が社交的でないからという訳ではなく、それなりに交流のある施設警備部隊やら技術職の面々とは、休み時間が被らないのが最大の理由だった。
そして前線の兵士としては、時間通りに昼食がとれるというのはありがたい話である。
その上敵襲に神経を張り巡らせる必要もなく、あまつさえ惰眠を貪っていても文句さえ言われないという環境は天国といってよい。
それがまさか、予期せぬ少女の襲来に対応しなければならなくなるとは、夢にも思わなかったが。
ため息に乗せて、他の友人は居ないのか、という視線を向けても、ストリはそれに気づくことなく僕の前へと躊躇いなく腰を下ろす。これもまたいつものことだ。
「そんなことより聞いて! またサカサイのおばぁが意地悪してきてさぁ」
「逆井さん、だろう。それに意地悪って――なんだ、いつも通りのストリスペシャル定食か」
ランチプレートの一種異様な姿に、僕はあぁと苦笑した。
玉泉重工マキナ研究所内名物、割合が極端におかしいそれを前にして誰が呼んだかストリスペシャル定食。彼女専用の野菜マシマシメニューである。
それの名を実際ストリの前で口にしたのは僕が初めてだったようだが。
「変な名前つけんな! くそぉ、野菜類なんて滅びればいいんだ」
ギギギと変な声を出しながら彼女は本日のメニュー、ピーマンと茄子の肉みそ炒めを睨みつける。
「僕はピーマン好きだけどね。塩昆布と和えた奴とか美味いじゃないか」
「キョーイチってそういうとこジジ臭いよね」
「子ども舌が何を言う」
21歳の青年を掴まえてジジ臭いとは何事か。菓子類中心のジャンクな食生活の彼女に言われたくはない。
僕が視線も向けないまま自分の食事を着実に削っていると、ストリは拗ねたように口を尖らせた。
「だって子どもだもーん。ね、ピーマン好きならちょっと持ってってよ」
「自分で食べなさい。好き嫌いせずに食べないと大きくなれないぞ」
「こらぁ! 子ども扱いするなぁ!」
バンバンと机をストリ。隣で食事をしていた研究員が肩を震わせて、そっと席を立ったことに彼女は気づいていただろうか。
おかげで周囲からは、お前保護者なんだからなんとかしろよ、という目線まで突き刺さってくる。
――すごく面倒くさい。
だが、最早周囲からの認識は固定されて久しく、僕は諦めがちに彼女を軽く諫めた。
「どっちだよ。掌を高速回転させるんじゃありません。いいから大人しく食べる」
「うー……これは立派なパワハラだぁ」
軽くあしらわれたと分かるや、ストリはがっくりと項垂れる。
長い髪がランチプレートに入りそうだったので、僕が手で払いのければ、彼女はようやくげっそりした表情で食事にとりかかった。
しかし、野菜類を口にする度に動きが鈍っており、その消費速度は野菜の牙城を崩すにはあまりにも貧弱だ。
その姿に僕は素朴な疑問が脳裏に浮いた。
「君、好きな野菜ってないのかい?」
「ない」
真顔で即答された。
「トマトは?」
「おえってなるくらいマズイ」
「かぼちゃは?」
「変な味がする」
「きゅうりとか」
「青臭くて最悪」
「……スイカだったら?」
「果物じゃんか。甘くて美味しいよね、スイカ」
僕は静かに頭を抱えた。
ストリの両親についての話はほとんど聞いたことがない。しかし、このド偏食には相当な苦労をしていたのではないかと思う。
「あれも、野菜なんだが」
「ストリさん的には果物なのだ」
「手の施しようがない気がしてきた……」
「へっへーん! どーだ参ったか――あたっ!?」
ストリは腰に手を当てて、自信満々になだらか極まる胸を張る。
その何の自慢にもならない行為に僕はあきれ果て、手元の書類を丸めてその頭を叩いた。
「阿呆なこと言ってないで早く食べないと、昼休みが終わるぞ。昼からもテストやるんだろう?」
「今アホって言った!? この天才美少女に!?」
自分で言うか、と零れかけた言葉を、ピーマンと茄子の肉みそ炒めと共に喉の奥へ押し戻す。
彼女はこういうしょうもない話になると、永遠に水掛け論を続けやすい。
そんなことをしていて仕事に遅刻しましたでは話にならないため、僕はわかったからと軽く手を振って、無理矢理会話の流れを断ち切った。
するとこちらの意図を汲んだのか、彼女はまたランチプレートとの睨み合いに移行する。
一口食べては水で流し込み、また一口食べてはご飯で押し込む。
しかし、その程度で圧倒的物量を誇る野菜軍に抗えるはずもなし。結果、ランチプレート上にはピーマンと茄子の肉みそ炒めだけが残された。
「……ね、ホントちょっとだけでもいいから手伝ってよぉ」
「――はぁ。今回だけだからね」
「やたっ! キョーイチ大好き!」
「はいはい、いいから残りを食べる」
この流れにも慣れた。
彼女に食べる努力をさせる分にはいいが、実際野菜の量があまりにも多いため結局食べきれないのである。
それは多分、あの逆井婦人が僕に投げ出すことまでを見越して設定しているのだろう。
仕方なしにストリのランチプレートから半分以上のそれを浚い、わざと残しておいたご飯と共に平らげていく。
だが、その途中でふとストリが呟いた。
「ねぇ、さっきの大きくなるって奴」
「何?」
「食べないと大きくなれないって言ったじゃんか?」
「あぁ」
「キョーイチはやっぱり大きい方が好きなの? その、スタイルとか」
この辺りは流石に年頃の娘だと思う。
彼女の体格を表すとすればスレンダーか幼児体形の二択である。加えて背丈も低いことを、彼女なりに気していたらしい。
とはいえ、彼女がグラマラスだったらどうかと聞かれても、自分の貧相な脳では想像できないのが本音である。加えて己が持つ理想の女性像という奴は余りにもぼやけていて、これまたあてにはならなかった。
なので、僕が言えるのはたった一言である。
「いや、別に好きでも嫌いでもないが」
「じゃあロリコン?」
「名誉棄損だ」
「ハッキリしろよぉ」
ストリは曖昧なこちらの答えに対し、ブーと口を膨らませつつ机に肘をついた。
こういう姿を見ているから、大人びた彼女を想像できないのではないかとさえ思う。それも普段ならば無邪気であることは微笑ましいで片付けられるのだが、この際そこは封印して僕は毒を吐いた。
「ま、どこかのお子様よりは大人の方がいいか」
「うぐっ……レディ相手に何てこと言うかな」
「僕は誰とは言ってないが」
「意地悪だなぁ。大人げないぞー」
「大人は大人げないものなんだ」
自分もまだ大人と言えるほど成熟した人間ではない。
だが、これ以上の煽り文句はなかっただろう。それに僅かな笑みを加えてやれば、ただでさえ耐性の低いストリはプルプルと震えはじめた。
「こ、この……やったろーじゃん! グラマラスボディになって見返してやる!」
「あぁ、期待してるよ」
ピーマンと茄子の肉みそ炒めを口にかきこみ、やはり苦手なのか青い顔をするストリ。
その光景を僕は煽った時とは違う微笑みで見つめていた。
この出来事以来、彼女は比較的野菜を食べていた。好き嫌いが減ったというよりは、何か意地のようなものだったのだろう。
■
記憶に残った後年のストリの姿を、写真を見るように思い出す。
一度は生命保管システムのエラーで失われていた記憶だが、今では彼女の姿も鮮明だ。
「まぁ……現実は非情だよねぇ」
そうしみじみと思う。
相変わらず僕は自分が、どういう体格の女性が好みかという問題を解決してはいないため、それが問題ではないのだが。
「なにがー?」
僕の呟きが聞こえていたらしいポラリスが、机の向かいで大きく首を傾げる。
食事に集中しろとアポロニアに小言を投げられるも、彼女としては少しでも野菜地獄から気を逸らしたかったのだろう。
野菜嫌いも遺伝子レベルとなれば、最早手の施しようがない。
「何でもないよ。ちゃんと食べなさい」
「うぅー、キョーイチまで意地悪だぁ」
僕が軽くあしらうと、ポラリスは目を大きく潤ませて頬を膨らませた。
ホムンクルスとは恐ろしい物で、その一挙一動までがストリと重なって見える。
メヌリスの哀惜が生み出した彼女だからこそ、それが一層顕著に表れているに違いない。
しかし違うのだと僕は毎度のように言い聞かせる。ポラリスはストリではなく、ストリもまたポラリスにはなれない。
こんな悩みにも人間は慣れるのだろう。僕は最初ほど揺さぶられることはなくなってきている。
だからポラリスの様子を微笑ましく思いながら、自分の前に置かれたシチューに手を付けようとして、それがノックの音に遮られた。
どうぞ、と声をかけると遠慮がちに扉は開かれる。
そこに立っていたのは同じホムンクルスである女性だった。
「あら、皆さんお食事中でしたか」
「フェアリーさん? どうかしましたか」
「いえ、ただポラリスの様子を伺いに――あらぁ、好き嫌いしてはいけませんよぉ」
彼女はちらとポラリスを見るや、ニコニコしながら歩み寄っていく。
糸目で優し気な雰囲気を常に纏う彼女は、その豊満なスタイルも含めて圧倒的に大人びた存在である。
それを雪のように白い少女はジッと見つめて呟いた。彼女の青い瞳には、目の前にやってきた2発の大型兵器が映り込んでいたことだろう。
「ねぇフェアリー。野菜食べたらフェアリーみたいになれる?」
「私のように? あぁ、うふふふふ……そうですね。きっとなれますよ」
フェアリーもその視線に気づいたのか、含み笑いを浮かべながらポラリスの頭をそっと撫でた。
途端に震えるスプーンが野菜の浮かぶシチューに突き刺さる。
「――食べる!」
「偉いッスねぇ、その調子ッス」
やはり美味しそうにとはいかずとも、ポラリスは自らの意思で食事を始めた。それにアポロニアはいい子だと我が子のことのように喜んだ。
だが、僕は1人顔を引き攣らせる。
それに気づいたフェアリーが不思議そうにこちらへ振り向く。
「アマミ氏? どうかなさいましたか?」
「いえ……少し心が痛んだと申しますか」
「はい?」
全員が一斉に首を傾げた。
だが、これを口にするわけにはいかないと僕は無理矢理食事を再開する。
確かプロジェクト・フェアリーは、ポラリスを基礎系としてより発展的なホムンクルスを設計を研究していたはず。つまりフェアリーとポラリスの間には一種血縁関係に似た何かがあると考えるべきだろう。
だが、だとすればフェアリーのダイナマイトボディは間違いなく発展させた部分である。
そしてポラリスは、ストリの遺伝子に現代でいう魔術を扱う兵器的能力を付与した個体だ。つまり、基礎系はストリそのものと言うことになる。
――ポラリス。そんなこと気にせず生きてくれ。僕は一切差別しないから。
これはほとんど誓いである。巨乳だの貧乳だのという論議が、自らの中で片付いた瞬間だった。
しかしその結論に、脳裏でストリが顔を真っ赤にして怒っていた気もしたが。
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