第2話 魔法の杖工場のシャワー便座が誤作動する(後編)

【この物語の登場人物】


天野太郎あまのたろう = 水道屋さん。節度ある偏屈者。


チョチョビッチ = 魔法の杖工場の総務課の社員。気さくな人。


ルロンジョ = 魔法の杖工場の社長令嬢。上から目線のいけ好かない女。



★ ★ ★ ★ ★



 便所に案内をされた。ここは主に木工職人や事務方の女性社員が利用する便所らしい。


「チョチョビッチさん、シャワー便座の不具合があるのは、男子便所ですか? 女子便所ですか?」


「女子便所です」


 室内に誰もいないことを確認して二人は女子便所に入った。様式大便器のトイレブースが四つと手洗い器が二つ、小規模な便所だ。トイレブースの扉を開けると、どの便器にも真新しいシャワー便座が設置されている。壁付のリモコンも最新の機種だ。


「電話で説明をさせて頂いた通り、数日前にシャワー便座が1台故障したので、これを機会にと家電量販店で4台のシャワー便座を購入して、少しだけ水道設備に心得のある木工職人に取り付けを任せました。私としては、御社のような給排水設備業者から商品を購入して、天野さんのようなプロに取り付けをお願いしたかったのです。しかし、近ごろは上層部が何かと経費削減だとうるさいのです。すみません」


「いや、別に、そんなことはお気になさらず」


 太郎としては、その結果今回のように業者が不具合の対応に当たるのであれば、逆に経費が高くつくのではないかと心配になるだけであった。


「不具合が発生するようになったのは即日から。個室に入って用を足している時に、たまたま隣の個室に入っている者がシャワー便座の洗浄ボタンを押すと、こちらのシャワー便座も一緒に作動してしまうのです。不意にお尻を洗浄されてビックリした、パンツがビショビショに濡れてしまったと、おばちゃん社員に激怒されてしまいました。これ、明らかに不良品ですよね? やはり家電量販店で売っている商品は、安かろう悪かろうなのでしょうか?」


「いやいや、そうではないのです」


 太郎は、チョチョビッチに説明を始めた。


「こういった私設以外の便所に、複数のシャワー便座を設置する場合は、商品出荷時にリモコンの信号をそれぞれ異なるものにしておく必要があるのです」


「んん? どういうことですか?」


「一般的な機器の工場出荷時の信号はみんな同じなのです。例えばそれを『信号A』としましょう。家電量販店で山積みにされているシャワー便座のリモコンはすべて『信号A』だと思って下さい。

 隣接する個室に同じ『信号A』のシャワー便座を設置すれば、隣のユーザーのリモコン操作を受信し、作動してしまうのは当然のことです。

 ですから、我々のような専門業者は、このような不特定多数の者が使用する便所にシャワー便座を複数設置する場合は、出荷時にあらかじめ『信号A』『信号B』『信号C』『信号D』という異なる信号を内蔵したシャワー便座を発注するのです」


「なるほど。やはり餅は餅屋ですね」


「お電話で不具合の内容は伺っていましたので、今日は異なる信号の部品を持って来ました。作業は、そうだな、二時間もあれば終わります」


「では、工事を始めて下さい。念のため、女性社員には午前中はこのトイレは使用禁止だと告知しておきますね」


 チョチョビッチは、そそくさと事務室へ向かった。


 太郎は、女子便所の入り口に折り畳み式の樹脂製の工事バリケードを開いて据え置き、『水道工事中 ご協力お願いします』と記された簡易的な工事看板を掲げて、作業に取り掛かった。



★ ★ ★ ★ ★



「ねえ、ちょっと、水道屋。おい、水道屋。返事しなさいよ」

 

 太郎が、シャワートイレの機器内部を分解し、信号部品を取り替えようとしていると、個室の外から声がした。


「……はい?」


 作業中の個室から室外に顔をひょいと出すと、フランス人形のようなドレスを着た若い女が仁王立ちをして太郎を見下ろしている。彼女の名前は、ルロンジョ。ショッキングピンクのドレスのけばけばしさが、目に痛い。


「ねえ、水道屋。私、ここで我が聖水を振り撒きたいのだけれど、よろしいかしら?」


 出し抜けにルロンジョが言った。


「はっ? 聖水?」


「分からない人ね。ここでお小水を注ぎたいって言ってんの!」


「ああ、オシッコがしたいのですね。いや、でも、ご覧の通り、今は工事中でして……」


「だから何? 私は今、無性に聖水を振り撒きたいの。ちなみに私は、恐れ多くもこの会社の社長令嬢ですけど」


 ルロンジョが、平然とした顔とは裏腹に、下半身をモゾモゾとさせ、身をよじっている。今にも漏れそうなのであろう。太郎は、自分で自分のことを恥ずかしげもなく社長令嬢とのたまう生き物を始めて見たので、思わず動揺をしてしまった。


「いや、でも、チョチョビッチさんにも、工事の許可を得ていますので……」


「チョチョビッチ? ああ、あの総務の無能ね。 あなた、チョチョビッチの許可と、私の聖水、この会社にとってどちらが重要なことかお分かり? 私、社長令嬢ですけど?」


 この女はさっきからいったい何を言っているのだ? 社長令嬢ならば、社長室の便所でも使いやがれ。


「いや、でも、入口にも、ほら、『水道工事中 ご協力お願いします』の看板を掲げていますし……』


「お願いとは、あくまで要望であって、強制ではないでしょう! だったら、はなっから『使用禁止』と掲げなさいよ! てか、私、社長令嬢ですけど!」


 駄目だこりゃ。まともな話が出来ん。


「分かりました。こちらで存分に聖水をお振り撒きになってください。ただし、現在シャワー便座の工事をしていますので、シャワー便座だけは絶対に使わないで下さい」

 

 交渉を諦めた太郎は、条件付きで社長令嬢の便所の使用を許可した。 

「オホホ。承知しましたわ」ルロンジョは、口元を手で隠してお上品に笑うと、花のつぼみのように膨らんだドレスのスカートを縮ませながら、いそいそと太郎の隣の狭い個室に入って行った。


 ブババババ! ブベ! ブベ! ブベべべべ!


 間髪を入れず、隣から凄まじいい排泄音。


 な、な、な、何が聖水を振り撒きたいだよ! 大じゃん! それもメガトン級じゃん! それから、爆裂音を追うように悪臭がこちらまで漂ってくる。たまらない臭いだ。な、何なのこの臭い。中華の、餃子の、ニラやニンニクが腐敗したような臭い。


 社長令嬢だあ? 笑わせるな。お前なんて、ただの糞の詰まった袋じゃないか。昼は舞踏会、夜は晩餐会だか何だか知らないが、オホホ、なんてお上品に口元を隠して笑っている暇があるなら、お前のそのだらしのない肛門を何とかしやがれ。


 じょー。


 ルロンジョが、遅ればせながら便器に聖水を振り撒いている。


 仮にも異性が隣にいるのだぞ。お前は、僕の存在が気にならないのか? なぜ僕の存在は無かったことになってしまうのだ? 


 ぷー。


 ルロンジョが、ついでに間の抜けた放屁をひとつ。


 なぜ便意を催した者たちにとって、工事中の水道屋の存在は、ただの風景と化してしまうのだ? なぜみんな平気で排泄が出来るのだ? オイ、聞いているのか、この阿婆擦れ!


 そう喉まで出かかって、まあ、言えるはずもなく。太郎は、悪臭に身悶えながらも、便器に土下座をするような姿勢になって、信号部品を取り替える作業を続行する。


 その時、突然太郎の個室のシャワー便座が作動した。無慈悲に伸びたノズルがら勢い良く噴き出した洗浄水が、太郎の顔面をこれでもかと濡らす。


 しゃー。


 時を同じくして隣からもシャワー便座の洗浄音。な、何故だ。あれだけシャワー便座を使うなと忠告をしたのに。どうしてリモコンボタンを押してしまうのだ。


 あ゛あ゛あ゛あ゛、き、ぼ、じ、いい~。


 それから、絶賛肛門洗浄中のルロンジョの、間の抜けた声が漏れ聞こえてくる。


 太郎は、自分の顔面にめがけて噴き出し続ける洗浄水を両手で押さえながら思った。


 チョチョビッチさん、僕の仕事は決して偉大なんかじゃありません。隣室で異性に平気で排泄をされ、誤作動した機器から噴き出す水を顔面に浴び、止まらない水を両手で押さえ、どうすることも出来ずにうろたえている。これですこれ、これが僕の仕事です。


 まあ、いいさ。人間なんて、所詮は九つの穴の糞袋だ。そうやって斜に構えつつく悔しさを噛みしめたら、太郎の九つの穴のうちの、目という二つの穴から、熱い水が溢れた。


 この涙も、要するにあれだ、糞なのだ。


 そう思ったら、太郎は、なお泣けてきた。

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