第27話 闇競艇『ヘルメス』
「どうしたんですか、やっぱり三万じゃ……」
ポルシェ・カイエンの助手席に座った佐藤は白石に申し訳なさそうな顔を向けた。
「いえいえ、とんでもない、今日は別件で」
平和島の斡旋が終わったばかりの佐藤をそのまま攫ってきた、帰りは自宅まで送りますと言うと喜んで着いてきた。
「それより、白石さん、なんかイメージが、車もこれポルシェっすよね」
もう慈善事業の貧乏社員のフリをする必要も無くなった、彼には全てを知ってもらう、つまりコチラに完全に引き込む。
断れば――。
いやいや、かつてない好条件を提示する予定だ、断るはずがないだろう。
車を二十分程走らせて、品川のシティホテル駐車場に車を停める、部屋は既に手配してある。
「え、白石さん、まさか」
勘づいたか、あながち馬鹿ではないのかも知れない、その方が返って交渉は上手く進むだろう。
「自分そっちの気は無いですよ」
「……」
沈黙してると肯定と受け止めてしまう、白石は慌てて否定した。車を降りてエレベーターで直接部屋に向かった。
「珈琲で良いですか、ビールも有りますが」
室内をキョロキョロと見渡しながら徘徊している佐藤に問いかけた。
「あ、じゃあビール貰います」
六日間も閉じ込められて。好きな食べ物や酒を断たなければならない、ボートレーサーも大変な仕事だ、もっとも大変じゃない仕事など、この世に無いのかもしれないが。
缶ビールとグラスを備え付けの冷蔵庫から取ると、ローテーブルの上に置いた、白石は自分の分の珈琲を入れる。
「お疲れの所すみません」
缶ビールを開けてグラスに注いだ。
「あ、ありがとうございます」
佐藤は恐縮しながらグラスを手にすると一気に飲み干した、やはり相当我慢していたのだろう。
「早速ですが、コチラをご覧ください」
白石はノートパソコンを開いて操作した、テレビを付けるとパソコンの画面が映し出されている。
『――1億』
『ほう』
先日の玉田との闇競艇の様子が流れている、基本的に証拠になるような映像を残す事はしないが、勧誘の時には信憑性を増す為に許されている。
「なんですかこれ、え、戸田」
佐藤は一体何を見せられているのか、理解していない。
「これは、違法賭博の現場映像です」
「は? 違法賭博って」
白石は嘘と真実を織り交ぜながら闇競艇の実態を説明した、佐藤の表情はみるみる強張ってきたが構わず先に進める。
「このレースの結果はご存じですか」
白石が問いかけると、佐藤は首を横に振った、いくら地元水面でも斡旋されていない大会のレース結果まではいちいち気にしないだろう。
「では、このレースの勝者は誰だと予測しますか」
佐藤は一度コチラに目線を送ると、再びテレビ画面に戻した。
「この面子で一号艇が新庄さんなら、問題なくイン逃げするでしょ」
当然の答えだ、玉田もそう予想した。
「では先に進めましょう」
画面には四号艇がフライングをして一号艇の新庄を巻き込む映像と共に玉田が頭を抱える後ろ姿が映し出されている、佐藤は黙って画面を凝視していた。五号艇がゴールラインを通り過ぎた所で映像を一時停止する。
「では問題です、このレースでイカサマに関わった選手は誰でしょう」
不自然な程、早いスタート、フライング覚悟でインの艇を潰しにきた四号艇は圧倒的に怪しいだろう。佐藤も当然気がついている。
「四号艇ですか」
「惜しい、答えは全艇」
「え、まさか……」
「冗談ですよ、実際のところ分からないんです、誰がイカサマをしているのか、幹部しか知りません、私は指示に従うだけです、よって全艇かも知れないし、いないかも知れない」
疑心暗鬼になってくれたら儲けものだ。
「もし、この人が五号艇に賭けてきたらどうするんですか」
賭ける艇が同じでは勝負にならない、当然の疑問だろう。
「そしたら他の艇に変えますよ」
「あるんですか、直前に伝える手段が」
イカサマで指定した艇を必ず勝たせる事は、実はそこまで難しい事ではない、問題はどの艇を勝たせるかを連絡手段が無い選手にどうやって伝えるかだった。
「そんなに大袈裟な方法じありませんよ」
シンプルなやり方ほど、ミスが起こりにくい上に、バレにくい。
白石はヌルくなった珈琲に口を付けると、本題に入る、単刀直入にこの組織に協力して欲しいと告げた。佐藤は思いの外、戸惑っている様子はない、薄々感づいていたのかも知れない。
「賞金王の僕に詐欺の片棒を担げと? メリットがありませんね」
もっともだ、稼ぎの少ない選手であれば大金で釣ることも可能だろう、しかし年間二億以上稼ぐ男が金で動くとは、白石も考えていなかった。
「A1選手の年収はわかりますか」
「少ない人でも一千万は越えるでしょう」
「彼らが、このレースで手にする報酬は三千万です」
佐藤の目が見開いた、当然だろう、エリートサラリーマンの年収でも届かないであろう大金が、たったの一分四十五秒で手に入るのだから。
「競艇、競輪、競馬、オートレース、選手は文字通り命懸けで走っています、そんな彼らの平均年収が凡そ一千五百万円、馬鹿にしてると思いませんか」
削られた選手たちの給料が何処に行くのか、管轄の国土交通省がいかに濫費しているかを事細かに説明した、まあ殆どが作り話だったが。
「そして、あなたの様に怪我をしたらどうなりますか、保証もないのに命をかけて、馬鹿共のために走り続ける、負ければ罵声を浴びて勝っても大した報酬を得られない、私は彼らをリスペクトしています、助けたいのですよ」
佐藤は空になった缶に口を付けた、恐らく脳内会議が行われているのだろう、あともう一息だ。
「佐藤選手のように、稼げる選手はほんの一部です、残りの選手たちは命を張るには余りにも少ない報酬で毎日戦っています」
この手の人間に金で交渉しても逆効果、しかし仲間の為ならどうだろうか、悪の組織に加担する理由になるのではないか。佐藤はたっぷり二十分は悩んだだろうか、顔を上げた時には決意した表情になっていた。これは頂いた、白石は確信する。
「やりません!」
晴れ晴れとした表情でキッパリと断られた。
「え、でも、良いんですか、仲間が」
予想外の答えに白石は動揺した、口が上手く回らない、呆れた表情で見下す宇野の姿を想像する。
「はい、すげー悩みました、白石さんの言うことも分かるし」
「だったら……」
「師匠に――。悩んでも分からない時には格好良い方を選べって言われたんです」
佐藤の師匠は確か小峠、白石は嫌な記憶を呼び覚まされた。
「イカサマをすると、しない、しない方が格好良いでしょ」
イカサマには協力しないが、月々の保険は払いますと言って佐藤は部屋を後にした、呆気にとられた白石はしばらく動くことが出来なかった、断られた時の為に用意した脅し文句をいうスキもない。
しばらくしてやっと我に返るとスマートフォンを取り出した、失敗は許されない、第二の矢をすぐに放つために、部下に連絡を取り指示を与えると、そのままソファに横になって眠りについた。
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