第26話 競艇の醍醐味

「これは難しいレースだなぁ」


 国内最大級のECサイトを立ち上げて、一代で財を成した金城かねしろは飛行機嫌いのギャンブル好きだった。


 ラスベガスやマカオで散布していたが如何せん飛行機に乗るのが我慢ならなかった。とは言えカジノ営業が認められない日本では彼の満足を得られるギャンブルは出来ない。


「ええ、角に小峠がいますから、簡単にイン逃げ出来るとは思えませんね」


 都内某所、闇競艇が行われている地下の部屋では、巨大なスクリーンを前にして金城と白石が革張りのソファに腰掛けていた。


「イン逃げか、角まくりか」


 金城がブツブツと呟いているが、白石の興味は削がれていた、いつものように順位が決まっている出来レースも白けるが、今日のようにガチンコで勝負するレースはさらに興味を欠いた。


 闇競艇では全てのレースでイカサマをしている訳ではない。金城のように金回りが良い人間はリピーターになってもらう必要がある、その為には程よく顧客にも勝っていただかなければならない。


 とは言え、金城が選んだ艇を勝たせるようなことはしない、イカサマはなるべく控えるに越したことはないし、ガチンコだからこそ生まれるドラマもある。嘘の中に真実を少しだけ混ぜる、これだけで信用性が格段に上がるのだった。


「小峠の捲りから、最内を差して伊東って線もありますよ」


 混乱させるように白石が呟くと、金城は頭を抱えて悩んでいる、総資産三千億円のこの男にとって一億、二億は小学生の小遣い程度の感覚だろうが。


 締切時間が残り十分を切った所で決断したようだ。


 「やはり、一号艇の秋山から行きます、金額は五億でどうです」


 段取りを無視してレートを釣り上げてきたが、いつもの事なので白石も気に止めなかった。


「では、僕は四号艇の小峠に五億」


 負けても勝っても、自分の金ではない、それに今日は出来れば金城に気分良く帰って頂きたいので秋山を応援する事にした。


『今一斉に――スタートしました!』


 スピーカーから実況の声が聞こえてくる、金城はソファから立ち上がり食い入るように画面を凝視している、それはそうだ、競艇の醍醐味はスタート、この一瞬で緊張感がピークに達する。


「よーっし、揃った」


 スタートは正常。各艇スリットも揃っている、A1選手の秋山なら難なく逃げれる体勢が整った、まだ一マークも回っていないが競艇ファンなら勝負あったと確信するような展開だ。

 

『おーっと、一号艇の秋山がターンマークにぶつかってしまった』


「うおーーーい! 秋山、何してんだよー」


 ターンマークとは旋回する目印で水面の上に浮いているウンコ、いやソフトクリームのような物だ。遠くからみると小さく見えるが、実際には直径が110cm、高さは95cmと中々のサイズ感でぶつかっても失格にはならないが数秒のタイムロスになる。


『最内をついて、小峠が差してきたー!』


 小峠もまた一流選手、一瞬のスキをついて、ターンマークと秋山の間を差し上がってきた。


「ちょっと待ってくれよーーー!」


 金城が頭を抱えたままぐるぐる回っている、気持ちは良く分かる、しかし今日の戸田競艇最終レースの見どころはまさにここからだった。


 体勢を立て直した秋山が先頭を走る小峠を追いかける、通常であればA1選手が走る先頭を追い抜く事など不可能に近い。しかしかつては競艇界最速ターンの異名をとった秋山はジリジリと艇間を詰めていった。


「いけっ、秋山、握れーー」

「ほう」


 近年稀に見る名勝負だった、逃げる小峠、追う秋山、残るターンマークは一つ、小峠が落として丁寧に旋回した上を秋山が全速で回る。


『秋山の強ツケマイが炸裂ー、小峠が引き波に沈められるー』


「うおーーーー。秋山ーーーーー!」


 最後は秋山の十八番、ツケマイを小峠に食らわせると一着でゴールラインを割った、戸田競艇場の大歓声が聞こえるような素晴らしいレースだ。白石も何時の間にか手に汗を握っていた。


「白石さんやった、勝ちましたよ」


 子供のようにはしゃぐ金城は少し泣いていた、もちろん大富豪のこの男が五億くらいの金額で涙を流す訳がない、今の名レースに感動したのであろう。


 対戦相手が存在するスポーツである以上、感動的なレースは勿論ある、時には人生を変えてしまうような、そんな素晴らしい競技を悪用して利益を貪る団体に所属してることを恥じる事もあるが、光ある所には必ず闇が存在するものだ、いや、闇が存在するからこそ光り輝くのかも知れない。


「金城様、おめでとうございます、払い戻しですが――」

「プールしといて、次使うから」


 黒服が言い終える前に金城は指示した、やはり彼にとってこれくらいの金額ははした金なのだろう、ソファでゆっくりと今行われたレースのリプレイを見ている。


「そこで止めて」


 最後に秋山が抜き去った場面を何度も見てはいかに素晴らしいテクニックかを黒服と白石に説明している。しばらく話すと満足したのか目隠しをして会場を後にした。お得意様と言えどもルールなので場所を明かすわけにはいかない。


 そのタイミングで上司の宇野が登場する、毎度同じ流れに辟易したが態度には勿論出さない。


「ご機嫌だったな」

 たった今帰った金城の事だろう。


「ええ、寄りいっそう優良顧客になっていただけるでしょう」


 ある話題を避けるように金城の話しを続けようとしたが、一言で遮られた。  


「佐藤はどうだ」


 やはりその話か、物事にはなんでも順序がある、白石の段取りを黙って見ているつもりは無いのだろうか。


「とりあえず正規会員にしました、これから本交渉に入る予定です」


「多少強引になっても構わない、結果が全てだ」


 自分が言いたい事だけ言うとさっさと宇野は部屋を後にした、面倒で困難な仕事ばかり部下に押し付けて、自分は一体何をしているというのだ。


 白石はソファを思い切り蹴り上げたい衝動に駆られたが黒服の手前、我慢した。


「前節の、たしか……、玉田、奴の時の監視カメラ映像を貰えないか」


 セブンスターに火をつけて、ソファに深く腰掛けると近くにいた黒服に指示した。黒服は「かしこまりました」と軽く頭を下げて、奥の部屋に消えた。


 お望み通り強引な手段に出ようではないか。失敗しても責任は取れないがな。白石は煙草に火を付けると紫煙を吐き出して灰皿に押しつけた。

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