届かない言葉

和辻義一

すれ違い

 暑い、重い、そして汗臭い。


 俺は今、街おこしのイベント会場で着ぐるみの中にいる。着ぐるみってのはあれだ、人間が中に入る馬鹿でかいぬいぐるみのことだ。


 一日着ぐるみを着て風船を配っているだけで、大学生の身分としてはぼちぼちの金が貰えるということで引き受けたこのアルバイト。正直舐めてた、すんません。


 今俺が着ているのは、全国的にも有名なでっかいクマの着ぐるみなんだが、実際に中に入ってみるとこれが結構重い。そして、ほとんど周りが見えない。着ぐるみの口元にわずかばかりに設けられた覗き穴から外を見るしかなく、舞台裏からイベント会場まで移動するのにも一苦労だった。


 着ぐるみの中が、ほぼ閉鎖空間だということにも参った。春先のイベントだったため油断していたのだが、着ぐるみの中はほとんど換気が出来ないため、だんだんと自分が発する熱がこもってきて、息が詰まりそうになる。


 おまけに、モノがモノだけにそうそう洗濯など出来るわけもなく、これまでにこの着ぐるみを着た人間の汗の匂いと、自分が発する汗の匂いとが入り交じって、文字通り「むせる」――染みつくのは炎ではなく汗の匂いで、むせてもまるで絵にならない。


 ただ、いざイベント会場で風船を配り始めると、意外な気付きもあった。着ているのが人気キャラクターの着ぐるみということもあってか、街のロゴが入っただけの風船を配っていても、みんなが笑顔で受け取ってくれる。昔別のアルバイトで、駅前でティッシュ配りをしていた時とは大違いだ。


 しかも、当初の予想では寄ってくるのは子供ばかりかと思っていたのだが、子供と同じくらいか、あるいはそれ以上に若い女性が寄ってきてくれる。一番多いパターンは何人かのグループ――おそらくは友達同士――の女の子達で、風船を欲しがるだけでなく、一緒に写真を撮って欲しいと言われるケースも多い。


 最初は少し戸惑ったが、慣れてくるとこっちも調子に乗って、左右に並んだ女の子達の肩を両腕に抱いて写真に写るなんて真似もしてみた。赤の他人に素の状態でこれをやれば一発レッドの通報ものだが、着ぐるみを着ていれば少々のボディタッチは女の子達も笑って許してくれたし、所詮は着ぐるみ越しだったのでこれといった感触もなく、罪悪感や羞恥心もそれほど感じない。


「わあっ、本物の○まモンさんだぁ」


 突然耳を打った聞き覚えのある声に振り返ると、そこには同じゼミの女の子――ショートホブが似合っていて、底抜けに明るくて可愛くて、実はちょっと、いやかなり気になっていた子なんだが――の姿があった。側には友人と思わしき長い黒髪の女の子がもう一人いて、目を輝かせてこちらを見ている彼女の姿に微苦笑している。


 彼女の持ち物に、今俺が着ている着ぐるみのキャラクターものが多かったのは知っていた。実のところ、それが今回のアルバイトを引き受けた要因の一つでもあったのだが、きっと彼女が今回のイベントにも来るであろうことは容易に想像が出来ていた。


 とはいえ、こちらは着ぐるみのスーツアクターで、さすがに声を発する訳にはいかない。一応公式でも「中の人などいない」となっているため、やむなく俺は着ぐるみの中で微妙な笑みを浮かべながら、彼女に向かって軽く手を振ってみせる。


 と、いきなり彼女は駆け出すと、着ぐるみを着た俺に向かって飛びついてきた。その衝撃で危うく転びそうになるところを、何とか踏ん張ってこらえる。あっ、危ねえっ!


「私は君と会えてうれしい! うれしいうれしい!」


 力一杯俺に抱きついてから、口元の覗き穴を見るようにして彼女が満面の笑みを浮かべた。当然のことながら向こうからこちらは見えていないはずだったが、それがあまりにも衝撃的で、思わず持っていた風船の紐を手放してしまう。抜けるように青い空へと向かって飛んでいく風船の群れを、彼女の友人が「あーあ、やってしまいましたね」などと言いながら見上げていた。


 どうしていいものかと迷ったが、俺は着ぐるみに抱きつく彼女の背中に両手を回し、軽くぽんぽんと叩いてみる――くうーっ、着ぐるみを着ていて何も感触が分からないのが、何とも口惜しいっ!


 それから彼女は、俺と並んで友人に写真を撮ってもらい、側にいたサポートスタッフから渡された風船を俺の手から受け取って、最後にもう一度俺にぎゅっと抱きついてから、友人と一緒に別の場所へと移動していった。


「大好きだよ!」


 振り返りざまに彼女が残していった一言が、鋭く俺の胸に刺さった。俺はもう一度小さく手を振ってから、彼女に背中を向ける。


 風船を補充しに来てくれたサポートスタッフの若い男が、俺に向かってニヤリと笑いながら言った。


「すんげぇ可愛い子だったな、役得だったじゃねえか」


 そうは言われたものの、凄く空しかった。彼女が好意を向けたのは俺に対してではなく、この着ぐるみのキャラクターに対してだ。そんなことは分かっている。


 つい嬉しくなって、思わず声を出しそうになったのを何とか堪えられたのは、自分で自分を褒めてやりたい。ただ、出来ることならば彼女に伝えたかった。


 実は俺も、君のことが――。

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