第32話 憤慨

 一方、きよははらわた煮えくりかえる思いをしていた。

 何故つむぎはきよの言う通りにしなかったのか。すぐに頷けばいいもの。それにこれまで素直に頷いていたつむぎの反抗的な態度に、きよは我慢ならなかった。


ーー金城家で何の夢を見てしまったのかしら。


と、きよは歯軋りした。そして早くつむぎを夢から覚ましてあげなければ、と思いすぐに父親のもとへと戻って行った。


「お父様っ」


父親を見つけたきよは、力強く父親の腕を引っ張った。それはまるで駄々をこねる子どものような振る舞いだった。

 父親はそんなきよにも慣れた様子で、特段咎めることもせず笑顔で迎えた。


「どうしたんだい?」

「私、リヒト様と結婚したい」


しかしきよの口から出てきた我が儘に目を見開いた。


「なっ、何を言い出すんだ!」


そして思わず大声で叫んだ。


「金城リヒト様は式町家にとっては手の届かない存在だ。結婚なんてできるわけがないだろう!」

「で、でもつむぎは……あの子は出来たじゃない」


父親の呆れた様子に、きよは戸惑った。今まできよが言う事は全て叶ってきた。少し渋られる事はあってもこうもはっきり断られる事なんてなかった。生まれて初めて見る父親の態度に、きよは言葉を失った。


「前にも言っただろう。あれはリヒト様が望んだから出来たんだっ!リヒト様が愛しているのはアイツなんだ!きよも見ただろう、リヒト様がアイツを可愛がっているのを」


きよは父親の口から出てくる言葉が上手く理解できなかった。今まで見下していたつむぎが、カッコよくて地位も権力もある男性から愛されているなんて信じたくなかった。


「つまり……お父様には出来ないの?」


小さな声できよが尋ねた。父親はため息をつきながら、ゆっくりと頷いた。


「ああ無理だ。きよがリヒト様から愛されれば良いのだろうが……」


そしてまたため息をつく。その先は聞かなくても分かる。


「まさかあそこまでつむぎにご執心とはな。とても付け入る隙はなさそうだ」


黄金の髪に赤い瞳、彫刻のように整った顔のリヒトは、その場にいるだけで多くの人たちの視線を集めた。リヒトならばどんな美女でも手に入れられるだろう。まるで高嶺の花のような存在だと感じた。

 そんなリヒトが、つむぎのそばを決して離れず守る姿はまさしく王子様そのものだった。会場にいた女性達はみんなつむぎを羨んだ。

 リヒトは幸せいっぱいの表情で優しくつむぎを見つめていた。そんな姿を見れば誰にだって嫌でもわかる。


「もういい」


だが、きよはそんな事認めたくなかった。


「お父様の役立たず」

「きよ?」


俯いたきよの様子を父親は不審に思った。いつも我が儘いっぱいの高圧的な態度なのに、こうも大人しく引き下がるなんて、きよらしくない。

 父親は背筋にゾクゾクとした妙な気配を感じた。彼もまた術師の一人である。その覚えのある気配に思わず身構えた。

 なんせ幾度も対峙してきた気配に似ているのだから。そしてそれと同時に動揺もしていた。

 何故、きよからその気配がするのか不思議でならなかった。


「あトは全ぶ私ガヤる』


きよの瞳は虚で、まるで全くの別人が話しているかのような喋り方に、父親の嫌な予感が的中してしまった。


「きよ!」


そう。それはまさしくケカレそのもの。

何故きよがケカレになってしまったのか。さっきまでそんな素振りはなかったのに。

父親は何も出来ない。いや、心の中できよがケカレになってしまったと認めたくなかったのだ。もしケカレになっていたとしても、実の娘を捕える事なんて出来ない。

しかし、きよの禍々しく黒い気配は父親を覆い、彼の生気を吸い取っていく。父親はみるみると萎れ、骨と皮だけの存在になった。

ミイラのように変わり果てた父親が、きよの足元に倒れた。そんな父親の姿を見て、きよは自我を取り戻した。


「失敗。また暴走しちゃったわ」


しかし悲しむ事はなかった。自分の禍々しい気配を鎮め、違和感はないか確認する。

そして死に絶えた父親を見下ろしながらため息をついた。


「うまくいかないものね。まあ。だいぶ使いこなせてきたと思うんだけど」


きよはそう呟いた。


彼女は完全に狂っていた。

父親が死のうが、誰が死のうが関係ない。心動かされたりしない。きよの思うがままにならないならば、それ以外は消えてなくなっていいのだ。

とは言っても、今きよがケカレだと周囲に勘付かれると動きにくくなる。

何よりも父親の死はきよのせいではないと思っているのだ。

きよの言う通りにしなかった父親が悪いのだ。

だからきよは叫んだ。


「助けて!!お父様が!死んでいますわ!」


だってこれは、父親の自業自得なのだ。

死んで当然。

きよのせいじゃないから、自分が殺したなんて言わない。



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