第20話 旦那様怒る

 つむぎは気持ちを切り替え、畑に足を踏み入れた。トマトの赤く柔らかな実から弾け飛んだ水分が、まるで血のように見えてしまう。その中で形を保っていた食べかけのトマトを一つ、拾い上げた。


「これがトマトというのですね」

『はい。トマト美味しいですよ。でもここまで食べ尽くすなんて、かなりお腹を減らしてるんですね』

「そうですね」


トマトが好きなあやかし。人と同じ形をして、鋭い歯を持つあやかし。


「ケカレではなさそうですね」

『そうですね』


ケカレはお腹を減らさない。彷徨い、あらゆるものを道連れにしようとする黒い物体だ。このような食い散らかすような事はしない。

 つむぎは胸を撫で下ろした。

 もしケカレだとしたら、とてもつむぎでは太刀打ちできない。

 しかしヒヨノ帝国のあやかしにトマトを知る存在は少ないだろう。八百屋のおじさんもまだ珍しい野菜だと話していた。


「なぁにしてるのかな?我が愛しの妻よ」


低くて甘い声が耳元で囁かれた。最近いつもその声で愛を囁かれているつむぎは、すぐに顔を赤くした。耳を抑え、顔を真っ赤にして後ろを振り向いた。

 するとそこにはリヒトがいた。

 美しい金髪が太陽の光を浴びてさらに輝きを増している。口元は優しく微笑んでいるのに、赤い瞳は全く楽しそうではない。


「だ、旦那様」

『ひいぃっ!』


つむぎの隣にいたあまねは思わず悲鳴を上げた。顔は真っ青である。


「あまね、お化けを見たみたいな反応はやめろ」

『失礼しました!』


リヒトに指摘されたあまねは勢いよく頭を下げた。あまりの潔さにつむぎは目を丸くした。

 リヒトはつむぎの肩を抱き寄せ、じっとつむぎを見つめた。赤い瞳がつむぎを逃すまいと見張っている。

 何故だろう。

 正直に答えるのがちょっと怖い。

 つむぎは話題を逸らす事にした。


「え……と。旦那様、どうしてこちらに?」

「今は俺が聞いているんだけどなぁ」


しかしリヒトはそれに乗ってくれなかった。


「その……トマトを、買いに」

「トマト?」

「今朝旦那様が手料理を食べたいとおっしゃったので」


仕方なくつむぎは正直に話し始めた。


「せっかくなら旦那様が好きなトマトスープを作ろうと思ったんです」


しかし話していくうちに何だか恥ずかしくなってきた。

 リヒトから食べたいと言われたのは自分の勘違いだったのではないだろうか。

 自分が勝手に良いように妄想しているのではないだろうか。

 そんな疑問が浮かんできてしまったのだ。

 一度浮かんだ疑念はすぐには解決しない。ほんのりと頬を染め、恐る恐る上目遣いでリヒトの様子を伺った。


「…………駄目、でしたでしょうか」

「うぐっ!」


その仕草はリヒトには効果てきめんだった。手で顔を隠して、何かに悶えている。つむぎは金城家に来てから何度もこの状態になったリヒトを見てきた。すでに慣れたとは言え、やはり心配にはなる。


ーーまた持病でしょうか。こうも突発的に起こったら大変ですね。しかし、こればかりは私にはどうにもできませんし。


そう思いながら、持病の原因たるつむぎは、リヒトを心配そうに見つめるのであった。

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