2-9 案の定
「終わった……のか?」
勇者の本は、うっすらと光に包まれている。
王様と秘書は、勇者の本が再び光っても大丈夫なように、ユシャリーノが確かめている姿を腕越しに伺う。
ユシャリーノは、王様たちは何もしないのだなと、失望と呆れが同時に湧いた。
苛立ちを募らせながらも、勇者の本を引き寄せて表紙を眺める。
「もう、大丈夫か?」
「王様がわからないのに俺がわかるわけないじゃないですか」
「俺だって勇者と会うなんて初めてだっつーの。その本、埃まみれだっただろ。これでも教育係からどんなものかぐらいは聞いていた。だがな、まさか俺の代で現れるとは思っちゃいない。聞いた話しかわかんねえんだよ」
王様は話に熱が入り、徐々に腕を下げてユシャリーノに愚痴を言う。
秘書が「陛下、落ち着いて」と言いたげに王様の顔を見上げるが、ユシャリーノに先を越される。
「俺にそんなこと言われたって、それこそ知りませんよ。えーい、ぐだぐだ言っていてもしょうがない! じ、じゃあ、開けますよ!」
ユシャリーノは、鼻息を強く吐いてから、不満と期待の入り混じった表情で勇者の本を開いた。
王様は、腕を顔の前に戻す間もなく本は開かれた。
「ちよっと待て――ふう。光らなかったな」
ユシャリーノが勇者の本を開けると、目の前には謎の文字が並んでいた。
「おお! これがステータスか。んー……わからん」
秘書が、王様に掴まれている手をするりと抜いて、ユシャリーノに向けた。
「勇者様、私が説明しますのでお戻し願えますか?」
「あ、はい。でも、秘書さんはわかるんですか?」
ユシャリーノは、勇者の本を戻しながら尋ねた。
秘書は、勇者の本を受け取ると、ステータスの書かれているページをじっと見る。
「子どもの頃、『勇者はいつ現れるかわからないものだ』と父からよく聞いていました。なので、有事の際に現れて出会った時のために、勇者について知っておくよう調べていたのです。といっても、自分でできることなどたいしたことはありませんが」
ユシャリーノは、秘書の顔をじっと見つめてゆっくりと笑顔になった。
「素敵な人は考えることも素敵なんですね」
王様は、だらしない顔で秘書を見ているユシャリーノに向かって言う。
「あああああ! グシャリーノ。この者に対してあらぬことを考えているのではないだろうな!?」
「だからユシャリーノですって。あらぬこと? そ、そんなことないですよ。秘書さんは素敵な人じゃないですか。素敵な人のことを素敵といって何がいけないんですか」
秘書は、不毛な争いを始めた二人に呆れ顔で言った。
「陛下。勇者ステータスを伝えるのは、本来私ではなく、陛下がなさることです。勇者様はステータスを尋ねに来られただけですよ? 陛下がお答えになれば済む話でございます」
秘書は、ユシャリーノと王様……いや、王様を不毛な争いから足を洗うように仕向けた。
王様は、秘書から刺すような視線を浴びて、体を引きつらせて言う。
「そ、そ、そうだぞ。ちゃーんとわかっている。だがな、千年だぞ、千年。まさか勇者と対面するとは思わんだろ……お前がもしもに備えていたことに驚いている」
秘書は、ほんの少しだけ口角を上げるが、すぐに真顔へと戻した。
「お待たせしました。それでは勇者様、ステータスについてご説明いたします」
◇
ユシャリーノは、城の門を潜ってとぼとぼと街道を歩いていた。
背中には、修理品を入れた樽を担いで。
秘書から勇者ステータスについて教えてもらったあと、
「ステータスは日々変わりますので、時々確認されることをお勧めします。別に無理して来なくてもよろしいのですが、勇者特権などといういまいましい……素晴らしいものがあるので使わない手はないかと思われます。ではお気をつけて」
と、事務的な締めくくりで送り出されていた。
「またわけがわからないうちに終わっちまった。勇者ステータスのことばかりに気を取られて、どこへ向かえばいいのか聞きそびれたし。でも秘書さんと話しができたから良しとするか。それに秘書さんって……軽かったな」
ユシャリーノは、城でのやり取りを振り返りながら拠点を目指し、道中の光景が記憶に残らないまま到着した。
しかし、気付けの一発と言わんばかりの状況をお見舞いされ、現実に引き戻された。
「まさか、ね」
拠点は『空き家だった頃がいいんだ!』とでも言いたいのだろうか――。
紹介された時の姿でユシャリーノを迎えていた。
「……なぜだ!?」
案の定……とは思いたくなかったユシャリーノ。
頭の隅で、淡い期待は持っていた。
しかし淡い期待は、その名の通り――儚かった。
人の描いた夢と現実との戦いは、現実の圧勝という結末を勇者にぶつけていた。
数々の魔王を倒してきた歴代の勇者たち。
その雄姿を引き継いだユシャリーノ。
しかし、いまだ勇者としての能力を発揮できていないようだ。
ふいに、自分のしていることが間違っているのかも、という負の感情が湧いてくる。
占い師と心療内科医に出会った後でなければ、挫けていたかもしれない。
「俺がいない間、どんな目に遭ったのかを確かめるか」
ユシャリーノはそう呟いたが、拠点前にはこれまでと違う物体が立ちはだかっている。
『予想』という盾を構えていた心は、形を崩さずに次の行動へと誘った。
背負ったままの樽を下ろし、拠点全体をその場で見つめる。
「まったく、物を粗末に扱うってのは許せないな。余計に壊れちまうし、修理にも時間が掛かる。だけどなあ、今回は修理するものじゃないぞ……いよいよどう捉えたらいいのかわからなくなってきたぜ」
新居であり、拠点でもある建物の玄関前に置かれていたものとは――。
「うーむ……毒きのこの山だな。これってもしかして……抜け道を隠すためだったりして」
ユシャリーノの手元には、まだ返却できていない補修品がある。
てっきり催促も兼ねられた修理依頼品でも増えているのかと思いきや、まったく違っていて困惑する。
片手を顎に当てて考える仕草をして間もなく、きのこの山の前にしゃがんで一つ摘まみ上げた。
「これ、食べても大丈夫なやつだ。これも、こいつも」
ユシャリーノは、毒きのこの山から食べられるきのこを見つけていく。
「これってもしかして、毒きのこだとは知らずに食材としてくれたんじゃないか?」
ユシャリーノは、片方の手のひらに拳をぱちんと当てて笑みを浮かべた。
「そうだよ、絶対そうだ! 王都の人たちは、きのこのことをよく知らない。そうじゃなけりゃ、食べられるきのこを混ぜはしないよな。なんだ、いい人たちじゃないか。やっぱり王都特有のやり方なんだ」
ユシャリーノは、落としていた肩を戻してきのこの山の頂上を見上げた。
「食材はありがたい。それも採る手間を省いて山の様に。まあ、山なんだけど。腐らないように調理しておかないといけないな」
拠点が破壊されたことに気落ちしたものの、山で育ったユシャリーノには大量のきのこが気持ちを切り替えるきっかけとなった。
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