2-8 やめい!

 ユシャリーノは、秘書の顔と分厚い本を交互に見て、ドキドキしていた。

 その時、部屋に第三者の声が割って入り、ドキドキに驚きが加わる。


「すまん。それ、俺も立ち会わないといけないやつだ。セレ、いいか?」

「――陛下、それは……」

「ああっ! あーあーあー!」


 王様は、勢いよく振り返った秘書から鋭い目つきで睨まれ、咄嗟に大声で叫んだ。

 ユシャリーノは、突然現れた王様に対して驚いている最中であったが、落ち着く間もなく大声を出されて驚きの継ぎ足しをされた。


「へっ!? いかっ!?」

「なんだよ、人を臭い海産物みたいに言いやがって。仕方ないだろ、勇者への対応は王様がするって決まっちまってんだから。勇者の世話を最初から最後までみなきゃいけないんだと。それを思い出したから来たんだよ」

「……世話って言わなくても」


 王様は、突いていた肩肘で扉を押すようにして入室し、秘書の隣に向かう。

 顔の前に片手を出して、秘書に謝る格好をしながら寄り添った。

 秘書は、ため息を漏らすが特に何も言わずに本へと視線を戻した。

 王様は、手を秘書の座る椅子の背もたれに置いて言う。


「こんなの世話以外何だってんだ。王様という立場でありながら、一から教えなきゃいけないんだぞ。勇者は引き継ぐものってんなら、勇者でなんとかしろよ。そうじゃねえから俺が教える羽目になってんだろうが。文句あんのか?」


 秘書へのお詫びの印と言わんばかりに、ユシャリーノに向けて不満を並べ立てた。


「文句だなんて、そんなこと……。なんというか、勇者ですみません――」


 ユシャリーノは、王様の剣幕に圧倒されて肩をすくめた。


「なぜ? なんでこうなる。勇者って、悪人なのか?」


 小さく呟くユシャリーノを無視して、秘書が王様に言う。


「陛下、それぐらいにしてください。でも、気を付けてくださいね」

「う、うん。ほんと、ごめんな」

「もういいですって。そろそろ勇者ステータスについての話を進めましょう」

「そ、そうだな。うん、そうしよう」


 秘書になだめられる形で落ち着いた王様は、鬼の形相から対面用の真顔へと戻した。


「これが勇者ステータスの書かれている本だ。本といってもただの本じゃあない」


 王様は、自身のハンカチで『勇者の本』と書かれた表紙を、埃が舞わないようにそっと拭いた。

 秘書は、王様の顔を見上げて言う。


「抜き出してから今までずっと抱えていたので、本はきれいになっていますが」


 王様は、秘書とは逆の方向へと振り返り、ハンカチを振ったり叩いたりして埃を払った。


「ならばこれで汚れを取りなさい」

「陛下……このような高価な物で汚れを拭きとるなどできません」

「ハンカチは拭き取るためのものだろう」

「汚れを拭く物ではありません」

「つべこべ言わずに拭けばいい。お前がしないのなら、俺が拭くぞ」

「えっ」


 王様は秘書の手を掴んで引き寄せ、手のひらを拭き始めた。


「そ、そんな……」

「悪いのはお前だぞ。素直に言われた通りにしていれば、手に触れずに済んだのだ。そう、お前が悪い……いや、悪いのは俺だな。すまぬ、任せた俺が悪かった」


 ――――拭きふき……拭きふき。


 ユシャリーノは、軽く頬を赤らめて黙り込んでしまった二人を見て、片足の踵を高速で床に打ち付ける。

 しかし思いが二人には届かないようで、反応が無い。

 勇者ステータスの件が進まない、もしくは、秘書の頬が赤らんでいるからなのか。

 どちらにしても、自分が無視されている状況にどうにも耐えられなくなり、質問することで二人の世界に割って入った。


「あのー、ステータスは……どんな感じかなあ、なんて」

「あ?」


 王様は、緩んだ口元からよだれが垂れてきそうな表情で、間の抜けた声を出した。

 ユシャリーノは、苛立ちを勇者としての『寛大な心』で必死に抑えながら再度尋ねた。


「ですから、勇者ステータスですよ。俺はそれを聞きに来たんで、そろそろ教えてもらえると助かるんですが。そこの大きな本でわかるんですよね?」


 勇者の言葉に反応したのは秘書だった。


「陛下。勇者様のご依頼ですよ! そろそろ手を離していただけますか?」

「おう、手は拭けたか。ならば服の汚れを――」

「陛下、勇者様の前でそれはなりません」


 ユシャリーノは王様が秘書の体へと手を伸ばしたのを見て、苛立ちが跳ね上がった。

 王様が秘書へ手を伸ばすのならば、自分は勇者の本へ伸ばしてやる、と。


「勇者の本っていうんなら、俺が直接見てもいいですよね!」


 ユシャリーノは、「こんにゃろ!」と心の中で口走りながら勇者の本を掴もうとした。

 すると勇者の本は、ユシャリーノの手のひらに反応して、ぼんやりと金色の光を放った。


「なんだ!?」


 ユシャリーノは「光る本など知らないんだが?」と心の中で呟くが、勇者の本は勇者を無視して徐々に明るさを増していく。


「そこまで光る必要あるのか!?」

「驚くのはそこかよ。本が光るってことにはつっこまねえのか」


 王様は『つい』を発動してユシャリーノにつっこみを入れる。


「光る本については心の中でつっこんでいるんで」

「ほう……そりゃ失礼。ちゃんとつっこんでいるならいいか」

「何がいいんですか」

「知らん」


 ユシャリーノと王様が、どうでもいいやり取りをしている間も勇者の本は光を増している。


「いや、まぶしいって! 書いてあるステータスの持ち主から視界を奪って何か得なことあんのか!?」

「確かに眩しいな、これ。もうさ、見るのやめたら?」


 王様は、秘書と共に腕で目を隠し、ユシャリーノにステータス確認の中止を勧めてみた。

 ユシャリーノは、本を掴んだまま下を向いて目も閉じて抵抗する。


「これを開けばステータスがわかるってのに、やめられますかっての!」

「もう、頑固だなあ。こっちの視力が落ちたらちゃんと治せよ」

「王様は見なくていいでしょ。後ろを向いてください! 特に秘書さんは!」

「なーんでセレ……こほん、秘書の方が優先なんだよ」


 王様は、即座に振り向いた秘書から鋭い目線を向けられ、頭を小刻みにぺこぺこと前後に動かして謝った。


「やめい!」


 ユシャリーノから本に向けて、怒声ともいえる中断要請が発せられた。

 要請が受理されたからか、はたまた偶然か。

 勇者の本は、輝きを淡い光にまで抑えて鎮まった。



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