2-2 秘密

 ユシャリーノは、足を取られてこけた代償として、石の蓋から地下への入り口を気付かせてもらった。

 暗闇に淡い光を取り込んで、いよいよ地下探索の始まりだ。

 一段一段ゆっくりと足を下ろし、頭まで地下に入るといったん止まって目を閉じる。

 しばしじっとしてからゆっくりと瞼を開けた。

 暗闇に慣らした目で奥を見ると、頼りない光でも通路の壁に反射して、ある程度先まで見通せた。


「洞窟みたいに広がっているのかと思ったけど、道ってだけだな」


 先が見えたらこちらのものだ。

 不安より好奇心が上回り、壁伝いに歩いていく。

 終着地点が気になった矢先、向かいから入り込む淡い光が『ここまでだ』と教えてくれた。


「ちかっ! なーんだ、もっと遠かったり複雑だったりするのかと思ってたのに」


 日差しが当たって存在をアピールする階段を上る。


「木漏れ日だ……こっちの蓋は開いたままか」


 出口にも蓋があったが、入る時とは違って開けられていた。

 光が入り込んでいたのは、このせいだ。

 苔に覆われているので、随分と長い間放置されていたことが容易に想像できる。

 ユシャリーノは、地上に上がると目の前にある森を見上げた。


「森だ……裏の森ってこんなに生い茂っていたっけ。確かすぐに町壁だったよな」


 案内された空き家は、町壁沿いに残っている森の中だ。

 壁によって分けられてしまった森の一部なので、空き家から町壁まで大して距離はない。

 ユシャリーノが思っていた町壁までの距離と、地下道を通ってみた距離感とが一致しないのだ。


「これってまさか」


 ユシャリーノは、一つの答えを頭に浮かべてから後ろを振り返った。


「やっぱり。この地下道は壁の下を潜り抜けているんだ。でもなぜ?」


 森を背にして町壁を眺めながら、しばし考える。


「朽ちた空き家……いや、この道を隠すために朽ちていると見せかけているのかも。実は知ってはいけない場所だったとか――」


 城塞都市は、町を敵から守るために壁で囲まれている。

 町への出入りは街道しかなく、壁に設置された門でいったん止められる。

 通行人は一人一人門番によって持ち物や移動の目的などを調べられ、徴税もされる。

 それほどに厳重なはずの出入り監視を無視した抜け道がある。

 知ってはいけないことだと思うのは無理もない。


「何にせよ、俺にとってはありがたい道だ。誰にも言わなけりゃ問題はない。そう、これは勇者専用の地下道ってことさ」


 地下道が存在する理由はわからないが、知った者がユシャリーノだったことは不幸中の幸いだったのかもしれない。

 勝手にではあるが、『勇者専用の地下道』としたユシャリーノは、極秘情報として隠し通すことだろう。


 ぐう……ぐう。


 勇者ユシャリーノの腹は悲鳴にも似た警告を連発していた。


「そろそろ限界か」


 何度か呟いた言葉が再び漏れた。

 お腹をさすりながら辺りを見渡す。


「外の森へ出られるなら、奥へ行けば……いるかな」


 いるかな――腹が減った時に発せられる、生き物をターゲットにした言葉である。

 どうやら彼は動物を狩るつもりらしい。


「こっちの獣のお手並み拝見といきますか」


 空腹は、火事場のなんとかに近い気力を奮い立たせる。

 体内を巡る血が速度を上げると血管を膨らませて皮膚を持ち上げた。

 心なしか、たくましさが増したように見える。


「武器はあるから、このまま行くか」


 鎌を剣に替え、包丁替わりの短剣も携えたままなのを確かめて、ゆっくり茂みへと向かった。

 未熟な拠点の中は空っぽなので、戸締りなど気にしない。

 扉の鍵は壊れたままだから、わざわざ地下道を戻ってまで閉める必要はない。

 目の前にある茂みを視界に捉えた目は獣センサーが働き出し、踏み出す足に力が入る。

 風が頬を撫でるのを実感する勢いで歩きながら独り言を言う。


「町に来たら食べ物はお店で調達だと思っていたけど、想像とは違ってたな」


 町を訪れたのは初めて。それも小さな町ではなく王都だ。

 初見さんに優しい世界など極めて稀なことなのだと知ったユシャリーノ。


「勇者ってのはなんでも知っていて当然らしい。ところが俺ときたらなんにも知らねえ。早くいっぱい経験を積まないと」


 知り合いからではなく、自身が壁に遭遇して得た貴重な経験。

 何物にも代えがたく尊いものだと信じ、空腹でからっ風が吹き抜ける心に今の想いを刻み込む。

 彼はひたすら勇者のことを尊敬しているのだ。

 幼少期からずっと耳にしてきた伝説を信じて……。


「町の獣たちって強そうだから楽しみだ。いっぱい経験を積ませてもらおう」


 わくわくしたユシャリーノには申し訳ないが、狩はあっけなく終了した。

 そこらにある芋づるなどをかき集め、捕らえた猪を手際よく縛り上げる。

 持ち帰る準備が整ったところで首を傾げた。


「弱かった……。まさか猪を追いかけて捕らえるとは思いもしなかったぞ」


 人が多い町では、畑や家が荒らされないように獣対策が徹底されている。

 そのため、一度人や罠の恐ろしさを知った獣は二度と近寄らなかった。

 しかし代替わりした獣は新規メンバーとなり、食料豊富な町に現れる。

 懲りずに続く光景は、進化説を疑ってしまう。


「狩が楽なのは助かる。これなら食料は困りそうにないけど――」


 一頭の猪を担ぎ、狭い地下道を通って拠点に戻る。

 すでに日差しの向きが変わっていて真っ暗だったが、一度通った道だから問題はなかった。

 階段を上って地上へ出ると、ユシャリーノの目に壊れかけの家が映りこんだ。


「あ? なぜ!?」


 家は、狩に出かける前に直したはず。

 だが、それはなかったことにされていた。

 

「目を離すと壊れる家なのか? 藁を乗せただけだけど、そんな簡単に壊れるようなものじゃないだろ」


 ユシャリーノは、不思議に思いながら猪を担いで玄関へと回り込む。

 すると、藁束を剥がされた石壁から物を投げ込んでいる人影を捉えた。


「な、何をしてる!?」

「ちっ、いつの間に……おい、行くぞ」


 家の中をのぞき込み、物を投げ込んでいた数人がその場を後にする。

 ユシャリーノは、振り出しに戻された家を見て唖然とした。


「あの人たちが壊したのか?」


 家の姿と逃げた連中の背中を交互に見る。

 しかし引き止めたい連中の逃げ足は速く、あっという間に姿が見えなくなった。

 問い正すことは諦めて、家の中を確かめることにした。


「何か物を投げこんでたな。紹介してもらった家だけど、使ったらいけない所なのか?」


 せめて理由が分かれば。

 寝起きからずっと思っていることだ。

 ユシャリーノは、理由が分かるまで町の人たちに対して悪く思うことはない。

 いや、理由が分かっても不快には感じないだろう。


 毎日いろんなお話をしてくれた祖母。

 頑張る姿を満面の笑みで褒めるご近所さん。

 山仕事中に体を鍛えてくれた動物たち――。


 頭の中で再びめぐる子供の頃の記憶。

 これらによって育てられ、勇者にあこがれてきた少年だ。


 ――――勇者は、何があっても民の味方である。

 ※勇者ユシャリーノ辞典より抜粋。


「壊れた家を直すことは悪いことじゃないよな。もしかして直し方が下手だったとか? それなら、もう少し丁寧に直すか」


 大きくうなずいたところで、頬を何かに撫でられた。


「くすぐったい……そういえば、こいつを担いだままだった。まずは腹ごしらえだよ」


 頬を撫でたのは猪の毛だった。

 屋根や壁の一部が瓦礫と化して散らばっている床に膝をついて猪を下ろす。

 再び立ち上がると一つ息を吐いてから家を出た。

 家の外側を様子見がてら一回りする。

 太めの枝を拾って二組の三脚を作り、瓦礫を退けて二か所に設置。

 三脚の上部に一本の枝を掛けると調理場が出来上がった。


「確か投げ込まれた物で使えそうな道具があったよな」


 家の中に投げ込まれたものには先の曲がったスコップや大きくへこんだ鍋にフライパン、柄から外れる熊手や側面に大きく穴が開いた樽などがあった。


「おお、これは助かる! どれも持っていないものばかりじゃないか。壊れてはいるけど直せばいいだけ。やっぱりいい人たちだ」


 ユシャリーノは投げ込んだ連中が走り去った方を向いてお辞儀をした。


「いや、待て待て。直して欲しいってことかもしれないぞ。とりあえず修理をして、試しがてらいったん使わせてもらう。それからお礼に行くとしよう」


 手ぶら同然と言える道具の無さから、思わずいただこうとしたことに恥ずかしさを覚えたユシャリーノ。

 誰にも見られてはいないはずだが、やらかしかけたことを隠すように、投げ込まれた物品を一つずつ丁寧に直し始めた。


 ざっざっざっ――。


「誰かいる」


 足音が聞こえたユシャリーノは、作業を止めて外へ出る。

 しかし人影は見当たらない。


「この道具、そのまま返した方がいいのか? でも、壊れているから直すべきだし……どっちみち早く返した方が良さそうだ」


 拳を握って一振りすると、踵を返して家へと戻る。

 軽く笑みを浮かべて修理を再開した。

 故郷では、作物の収穫時期しか両親と過ごせなかったユシャリーノ。

 必然的に日用品の手入れも日頃の仕事だった。

 それは彼にとって決してつらいことではなく、極めて自然なこと。

 物を直す作業は遊びに近い楽しさがあった。

 同時に、生きていく上で重要な経験となって積み重ねられた。

 親元を離れた暮らしが始まった今、培ったものの出番を迎えていた。


「場所が変わってもやることは変わらない。俺の経験がみんなのためになるかもしれないんだ。素敵じゃないか! これも勇者になれたから実感できること。そうだ、俺は勇者なんだ」


 きれいだ。

 どこまでも伝説を胸に突き進む姿勢は見ていて清々しい。

 ただ、本人の心の中に広がる世界でしかないのが残念だ。

 どこか救いがあるとすれば、彼の精神衛生が保たれている点か。

 

 王都に異彩を放つ人物が現れ、一つの新しい風を吹かそうとしている。

 ――良い風となるようただただ願うばかりだ。



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