第二話 なぜ? 2-1 普痛。いや、普通。

「すぅ……すぅ……いてっ!」


 勇者となって初めての朝を迎えたユシャリーノは、痛覚によって起こされた。


「いたっ、痛いって」


 目覚めてからも痛みを畳み掛けられ、たまらず上半身を起こした。


「筋肉痛? まさか、勇者がそんなわけ……」


 寝起きでむくんだ瞼を強引に上げると、崩れた壁に継ぎ足す形で乗せた藁束が剥ぎ取られている。

 それだけなら夜中に風で飛ばされたか動物の仕業だと考えられるが、ユシャリーノの想像は超えるために用意されていたようだ。

 壁が無くなっているのだから、視界には家周りの景色が広がるはず。

 日常から連想される風景と実際の風景がぴたりと合えば気持ちの良い朝となる。

 ユシャリーノの目はそんな期待を膨らませて確認という任務を果たした。


「え……なぜ?」


 寝起きで鈍い思考でもすんなりと出た言葉だった。

 家が壊されているのだから、ユシャリーノでなくても気分の悪さから逃げられない。

 自宅ならば、寝起きの目でも容易に状況把握ができる。

 ところが映りこんだ光景は、頭に浮かべたものと一致しなかった。


「大勢の人に見られている?」


 想像を超えた出来事を目の当たりにした体は、驚いて一気に目覚める。

 しかし頭脳の目覚めは体と連動していないようで、次の動きを指示できない。

 体は待ちきれなかったのか、片手をおでこに当てて考えるように促した。


「家の中をのぞかれているって、普通じゃないよな」


 ――普通。


 普通とは、一見誰もが共通して持つ基準のように思われがちだが、実は個人が勝手に決めた基準である。

 個人基準の平均に法律などを加味して築き上げられるものがおおよそ常識とされている。

 一般的な農家育ちのユシャリーノが思う普通は、一般的普通の範囲内だ。

 農作業で育て上げた頭は脳作業を始め、必死に答えを導きだそうとする。


「ああ、新しい家だからか。いつもと違っていて当然だよね……でも」


 そう、である。

 ユシャリーノにとって、あまりにも予想と違い過ぎていたのなら『素朴な疑問』がそう呟かせるのも無理はない。


「直した壁が無くなっている……でも、夜中に強風が吹いていたら起きるはずだし」


 寝る時に被ったのはマントのみだ。

 勇者専用マントは優れた温度調節機能を備えているが、露出した部分はその恩恵を受けない。

 露出した部分――顔や手足の先など外気にさらされた肌――が夜中の強風に撫でられたのなら、不本意な寝起きを強いられていただろう。


「となると、この人たちが――」


 結局考えた先で行きついた答えは、必死に避けて通ろうとしたものだった。

 その時点で答えは出ていたということになるが、勇者としてユシャリーノは信じたくなかった。


「そんなことは……いてっ!」


 現状を受け入れろと言わんばかりに、痛覚が脳へ通告する。

 肩にクリティカルヒットした石の圧力は、誤魔化しようのない光景を受け入れるには十分な材料となった。


「なぜ?」


 なぜ、なのか。

 同じ立場なら誰しもが発するであろう素直な言葉を吐き、石を投げた人物を視界に捉える。


「起きた!」

「そりゃ石を投げられりゃ誰だって起きるだろ……え、子ども?」


 投石の犯人は大人に抱えられた子どもだった。

 ユシャリーノの口は「人に石を投げるな!」と言おうとしたが、大人の気配を感じて言葉を変えた。


「おはようございます……ところで、これは一体」

「あんた、勇者か?」


 ユシャリーノからの質問を華麗にスルーするのぞき見一行。

 その中から、おそらく人生経験が一番豊富であろう年配の男性に問われる。


「勇者です!」


 ユシャリーノは眠気を吹き飛ばして清々しく、そして誇らしげに答えた。


「はあ……なんてことだ」


 のぞき見一行は練習でもしてきたのかと疑いたくなるほど、古くから伝わるがっかりポーズ『肩落とし』をぴたりと合わせてみせた。


「情報は本当だったようですな。では、帰るとしましょう」


 年配男性の促しに一行は従い、ひどく落ち込んだ様子でその場を後にする。

 踏まれた地面の鳴きが遠ざかり、やがて足音は聞こえなくなった。

 戻ってきた静けさの中、ぼーっとしているユシャリーノの目線に陽が差し込んだ。

 ほのかな温かさで包んだクールな台詞で『動けよ』と気付けの一発をお見舞いされる。


「まぶしい」


 ユシャリーノは、日差しを遮ろうと片手をこめかみに当てた。

 同時に口がぽかんと開いていることに気づいて、真顔に戻す。


「なんだったんだ。たぶん朝になったから起こしてくれたんだな。この町特有の起こし方なのかもしれない」


 初めて訪れた王都での朝である。町の風習など知る由もない。


「わからないことは後で知ればいい。今わかっていることは……家が元に戻っちまったってこと」


 むっくりと起き上がり、両手を上げて伸びをした。


「くーっ。さすがに眠りは深かったみたいだ。それじゃあ、とっとと直すか」


 使い慣れた道具を握ると、脳裏に焼き付いている光景が頭をよぎる。


 毎日いろんな話を聞かせてくれた祖母。

 がんばる姿を満面の笑みでほめるご近所さん。

 山中での狩で体を鍛えてくれた動物たち――。


 そんな記憶をめぐらせながらマントを羽織る。


「これで勇者の能力を発揮できるんだよな。もしかして、他の人が羽織っても勇者になれるんじゃないか?」


 今のユシャリーノは『素朴な疑問』が発動しやすい。

 なにせ王都に着いてから飯にありつけていないほど何もできていないのだ。

 しかし装着したマントやブーツが勇者意識を高める。

 疑問はあとで知るリストへ追加して、いったん頭の隅へと置いた。


 家の修復は一度こなしているため、二度目の作業は迷いなくできる。

 それに、束ねた藁を乗せただけという簡単なものだった。

 少々整えるだけで元に戻せばすぐに出来上がる。


「寝る場所ができればって程度で、雑に作ったのが幸いだったな」


 屋根の上で最後の藁束を置く。

 元に戻った家を見下ろして完成したことを確かめ、屋根から下りた。


「おっ!?」


 下りた場所が悪かったのか、足を何かに引っ掛けて豪快にこけた。


「……なんだなんだ!?」


 ユシャリーノは地面に叩きつけられた尻をさすりながら足で土を擦ってみた。


「なんでここに一つだけ石が……ん? もしかしてこれって、ふた?」


 地面にも這っている蔦と土によって隠されていたのは四角い石だった。

 家の裏側にある壁から二歩ほど離れた位置だ。

 よく見てみると、手を入れろと言わんばかりのくぼみがある。

 ユシャリーノは、このくぼみが無かったらぷんすかと怒り、名工の道具で粉々にしていたことだろう。

 しかし石は、蓋だと気づかせることに成功し、難を逃れた。

 ユシャリーノは、あっさりとくぼみの誘惑に負け、手を突っ込んで引っ張ってみた。

 枠の隙間に入り込んだ土が抵抗をしたが、ユシャリーノの腕力は構わず開けた。


「おお、階段だ。この家、地下なんてあるのか。なんだか、かっこいいな」


 屋根は無いものの、森の中にある家では日差しがあまり入らない。

 林冠ギャップを利用した場所に建っているが、背の高い木の枝が伸びて自然の屋根となっている。

 放置されている隙に森へ戻る途中だったことが伝わってくる。

 日差しより影が多いため、階段があるのは認識できるが、その先は真っ暗で何も見えない。

 ユシャリーノは覗き込んで口角を上げた。


「階段があるってことは、どこかに通じているってことだよな」


 蓋を開けた手をぱんぱんと叩いて汚れを払い、階段に足を掛けた。


「こんなの、行くしかないじゃないか。俺、勇者だし」


 暗闇の先に何があるのか――。

 未知のことを探るという壮大なプロジェクトをこなすような気分になる。

 勇者と名乗るだけで、ただの好奇心を正当化できてしまう不思議。

 ユシャリーノは細かいことを抜きにして、こみ上げる興奮を楽しもうとしていた。

 一歩下りる度に一段上がるテンションは、数段下りたところで一時停止した。


「足が痛い……さっきので捻ったか」


 先ほどやらかした尻もちの際、石に引っ掛けた足を捻っていたらしい。

 いったん地上へ戻り、足首を撫でた。


「この足で暗闇を歩けばもうひと捻りしかねない。少しでいいから灯りがあったら――」


 ユシャリーノはきょろきょろと家の周りを見渡す。

 勇者の眼力で見つけたのは、鞄に引っ掛けたままの鍬だった。


「こいつを使うか」


 傷んだ足首をぶんぶんと振って痛みは飛んだと自分に暗示をかけると、鍬を持って階段へと向かった。

 木陰の隙間をすり抜けるわずかな日差しの中から、地下への出入り口に差し込む光線の先を探す。


「この辺で、この角度だな」


 鍬の向きを調整して、刃床部の背に当たった光が暗闇へ向かうようにする。


「無いよりはましだろ」


 ユシャリーノは、陽の光を地下へと導き、再び階段を下りていく。



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