第25話





 ◆




 私、テータ・ピットは、諜報員である。

 正式に言えば、王国において絶対の権力を誇る最高議会のうち、国内の情勢を調査する組織に属している。


 こう言うと私も偉そうで凄そうな存在に思えるが、実際は議会の下の諜報委員会の下の下部組織の下の下請けに雇われているので、大したことはない。偉いのはあくまで上の人間で、私なんかは簡単に切って捨てられるとかげの尻尾なのだ。


 どうも小さい頃、下町に現れたお偉いさんの財布をかっぱらったのがいけなかった。勝ち続きで調子に乗っている中、出っ張った腹の中に多額の金銭を蓄えてそうな男性を見かけたから、ちょっぴり欲が出た。あの後拷問されて、家族の命を握られて、他にも色々あってイーリス女学院に入学させられた。


 まあ、そんな私の身の上はどうでもいい。


 そんな私の今の任務は、イーリス女学院の内部での出来事を報告すること。

 イーリス女学院は、将来の女傑を育成する国内で最高の教育機関だ。


 イーリス学院(男子の方)と対を為すように建立されたここは、文武両道、才色兼備の淑女を育て上げることを念頭に置いている。

 実際、卒業生の多くは就職先で実権を握る。世襲制で動いているこの世の中、そもそも偉い人の娘が多数在籍していて、将来そのまま偉い人の仕事を継ぐから、当然と言えばそうなのだけれど。


 つまりこの学院は、これからの王国を作り上げる、根幹なのだ。

 他所から余計な黴菌が入り込まないようセキュリティはばっちり。中に入れるのも多くの審査をクリアした淑女ばかり。純粋な子たちを、純水で溶媒するような教育機関。一応階級社会ではないと公言しているが、成人していない少女たちの世界、そうもいかない。親の権力を背景に無理を通す子も少なくない。


 性格に難がある子は多いけれども、下町でたくましく生きている私の知り合いからすれば、まだ可愛いものだ。


 外の大人たちは、ここが無菌であることを強く望んでいる。少女たちが綺麗なまま入学して、綺麗なまま卒業することを求められている。

 ゆえに、私はここが安全であると報告しないといけない。外の大人たちが安心するように、箱庭の中を調査して、平和を維持しないといけない。普段通りだと伝えないといけない。

 残念だけど、私にはイエス以外の返事は用意されていないのだ。


 入学しておおよそ二か月が経った現在。同級生の人となりや勢力図も大体つかめてきた。

 事前の予想通り、Aクラスはデリカ・アッシュベインが、Bクラスはロウファ・カインベルトが中心となって、結束を固めていた。お互いに反目し合い、自身の立ち位置と価値を決定づけようと、成績や運動で競い合っている。


 ここのあたりの報告は楽でいい。

 私の上司の思惑通りの状況だから。

 私だって要点を押さえればいいから、観測しやすい。


 思惑外。

 イレギュラーが一つ。


 それが、私と同じCクラスの少女だ。

 マリア。

 家名もない、ただのマリア。出身は名もなき下町の孤児院。


 私の上司すらも予想しないところから、入学式の二週間前に学院にねじ込まれた盤外の存在。

 金髪金眼で、いつも綺麗な微笑みを浮かべている別嬪さん。顔の造形は圧巻、肌は綺麗で、一つ一つの挙措は上品そのもの。上流階級の貴族だと言っても疑わないし、実際に私も彼女こそが公爵令嬢だと思っていた。


 ただ、その正体をこれ以上は口にしたらいけないと思うので、控えておく。

 私だってまだ死にたくないから。


 彼女がここにいる理由はわからない。ここに来ることができた理由が多すぎて。

 絶世の美少女もかくやという姿も、人間離れした運動神経も、教えられたことを一瞬で覚える頭脳も、一握りしか扱えない魔法を扱える才能も。

 どれも、一級品過ぎて、逆にどこを見初められたのか、どうしてここにいるのかわからない。


 他のCクラスの子たちは才能豊かだ。

 でも、マリアはそんな子たち以上。


 視界に入った情報をすべて覚えているという奇才、スカイア・タイル。そんな頭脳を買われて学院に入ってきた彼女とためを張る頭の回転の速さ。

 運動能力に秀でていて、大人の衛兵にも肉薄する技量を持つ、アネット・ウィンガーデン。マリアは彼女と比肩する筋力、俊敏力を有する。

 王国に抱える最高戦力、魔術師団への入団が決まっている魔術界のホープ、アルコ・ナイトラン。負けず嫌いのアルコが嫉妬するくらいの魔術の才能。


 異質。

 私が今まで見てきた人間の中でも、際立った能力。

 調査してきた中でも、群を抜いて予想ができない。


 口にするのならそれは、化け物であった。

 私は多分、Aクラスのお嬢様よりも、Bクラスの野心家たちよりも、彼女を見ていなければないけない気がした。


 一瞬目を離しただけで、その姿を変えているような成長速度。内部の造形が変わっていくような不気味さ。

 今日も私は彼女を見つめる。



 ◇



「むっきいいいいいっ」


 絶叫。

 私の目の前で、小さい少女が地団駄を踏んでいた。


「なんっで、それができるのよおおおおっ!」


 彼女の視線の先。

 的が黒焦げになっているのを見て、 アルコ・ナイトランという少女は甲高い声をあげていた。


 半分だけ屋内の、訓練場。授業は終わったけれど、アルコから呼び止められて、今は居残りの練習中。彼女の言う通りに魔法を扱ってみたら、彼女の言う通りに発現できた。

 全部彼女が言った通りのままなのに、なぜか怒られている。


 不思議ね。

 なぜできるのかとそう言われても、できるのだから仕方がない。


 私は指先に炎を灯して、目の前で肥大化させていった。人の頭蓋ほどになった炎の塊を、指先を折り曲げて前方に放る。

 投擲された焔の弾は、山なりに飛んで行って、訓練場に建てられた木札に着弾。小気味いい音を立てて、目標を火柱に変えた。


「だあかあらあ! なんでできるのか、って聞いてるの! ねえ、あんたがやってるそれ、私は半年かかったんだけど!」


 八重歯のかわいいアルコに胸倉をつかまれて揺すられる。

 少女らしい、か弱い力。


「半年でできるなんて、アルコはすごいわね」


 笑いかけると、アルコの顔が赤くなった。


「ま、まあね。私は去年、十一歳の時にこの”炎弾”を作れるようになったけど、それは最年少記録なのよ。魔術界の常識を打ち破った天才なんだから」


 得意げ。

 カワイイ。


「すごいすごい!」

「ふっふーん。他にもいろいろと最年少記録をもっているのよ。その功績が認められて、すでに魔術師団の入団が決まってるの。昨今魔物に脅かされている王国の、救世主なんて言われてるんだから」

「素敵ね」

「そう、私はエリートオブエリート。世界の歴史を上書きする精鋭。なのに! 私は必死になってようやくできたのに、それをあんたは簡単にやってくれてええええ」


 良き機嫌から一変、ゆさゆさ再び。

 ころころ変わる表情に、がくがく揺れちゃう。


「でも、アルコは十歳の時にそれができたんでしょ? 私は今十二歳だもの、できてもおかしくないでしょう?」

「数日でできるわけないだろ!」


 アルコの瞳は悔しさで埋まっていた。

 私にはその悔しさがわからない。

 勉強、運動、魔法、作法。教えられたあらゆることで、できなかったことがないから。


 でも、できない人はこの世には多いことも、それを正直に言うと反感を買うことくらいは、流石にわかっているわ。

 私も成長しているの。


「ただの偶然よ。たまたま炎弾? との相性が良かったの。それに、アルコの教え方が良かったのね。アルコはきっと、優秀な魔法使いで、同時に素敵な先生なのね」

「……まあ、師が良いというのはその通りだね。なんてったって、この私だから」


 ふん。と満足げに鼻を鳴らす。

 ころころと転がるような機嫌が可愛らしい。


「私は魔法のことをほとんど知らないから、アルコがいてくれてよかったわ。貴方のおかげで、魔法を知れたの。また教えてくれる? 師匠」

「師匠……」


 アルコの口の端が若干笑んだ。


「ふむふむ、マリアくん。殊勝な心掛けだね。まあ、私は孤独に魔術を極める孤高の存在だし、弟子をとるつもりはないけど、君が望むのならば無下にすることもないよ。私と同じで優秀な子らしいしね。魔法のことで困ったら私に聞いてよ。師匠として、なんでも教えてあげよう、弟子よ」


 私は、弟子。

 アルコにとっては、弟子。


「ふふ。嬉しいわ」


 私の中に、”弟子”が増えた。


「魔法は日々の鍛錬の積み重ねだよ。だから、さぼったらすぐに結果としてでてきてしまう。今日は復習もかねて、もう少しやってくといいよ」

「そうするわ」


 満足そうに肩を揺らして訓練場から出ていくアルコ。


 怒気はもう彼女の中には存在しない。

 私を疑う事もない、可愛い背中。


 世の中には色んな性格の子がいる。

 私を対等な存在として敵対意識を燃やす子や、私を下に見て上からものを言う子。よくわからないものとして遠巻きにする子。

 彼女たちの見る私は、彼女たちの目によって違う。私は、人の心によってどうとでも映り変わる。


 そのたびに私は新しい私を見つける。

 色んな私がいることを自覚する。


 過去。

 何でもない私は、不安で不安で起きた時に無になっているかもしれないと震えた私は、もういない。

 もう、何もない私なんかじゃない。

 むしろ、私の中は私で埋まって音を立てている。

 みんなの中にも私がいるのだから、消えようもない。


 私。

 好意的でも否定的でもいい。

 砂の中で砂金を探すような。きらりと光って見つかる、その一瞬が愛おしい。

 だから。


「疑いの目で見られることも、大好きなの」


 私は訓練場の天井に目を向けた。

 木材で埋められた天井。その先にいる存在に、声をかける。


「ねえ、テータ」


 微笑みかけると、私に向けられた視線が揺らいだ。


 最近、よく視線を感じる。

 それは興味による熱い視線ではなくて、不思議そうな曖昧模糊なものでもなくて。

 明確に、私を知ろうとする、猜疑の目。

 あまり受けたことのない、新しい視線。


「怒ってるわけじゃないのよ? ただ話したいだけ。単純に、貴方の意見が聞きたいの。私のことを見つめている、貴方から見た私のことを」

「……見つかるのかあ」


 天井の一端が横にずれて、中からオレンジ色の髪が垂れてきた。小柄な肉体が宙で一回転、床の上に着地する。


「私、結構気配消してた自信はあったんだけど。見つかったのだって、過去に大失敗した一回だけだし。なんでわかったの? マリアって何者?」

「熱烈な視線を感じただけよ。思わず頬が赤くなるくらいの、あっついやつ。私はただのマリアだもの」

「ただのマリア、ねえ」

「で、ただのテータではないテータは、何をしていたの?」


 テータはいつものふわふわとした様子を保とうとしている。

 けれど、体の節々から漂う気配は、抜き身の刀に似ていた。

 私が変なことをすれば、いつでも刃となって飛んでくるような、緊張感。


 好き。


「……あまりにもマリアが完璧すぎてね。隠された正体とかあるのかなあ、って思って、ついつい見つめちゃった。別に、他意はないヨ。ただの興味」

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