第13話
宵闇。
私は息をひそめていた。
地下の扉の場所は知っていた。そこで修道士たちが一定の周期で話し合いを行っていることも、よく知っている。私は耳がいい。暇なときは子守唄に聞いていたこともあった。
暗がりの中、天井の梁に捕まって待機。修道士が来るのを待つ。
一人、見回りを終えた修道士がやってくる。辺りを見渡して、地下のカギを開ける。がちゃという音がして扉が開いた時、私は天井から降り立った。
「お邪魔します」
修道士を押しのけて、地下の階段を下りていく。追いすがる修道士は無視して、奥の扉に手をかけた。鍵がかかっていたけど、思いっきり引いたらバキ、と音がしてドアノブが壊れて道が開く。
薄暗い部屋の中。揺蕩う蝋燭の灯りだけを頼りに、数人の修道士が顔を突き合わせていた。影が話をしているような、不思議な空間。
部屋に入った私を見て、全員が目を剥いた。
私は、にっこりと、笑う。
「イヴァンの売りを、やめて」
視線を机上に移す。
ちりばめられた書類。私はそこに書かれた名前を暗記した。
「ま、マリア。どうして……」
「貴方! なんてことを!」
非難は私の背後の修道士へ。
どうでもいいわね。
私は、笑う。
それだけで全員の口が止まるのが面白かった。
笑顔にも、種類がある。
ようやく、イヴァンが私の笑顔を嫌がった理由がわかった。
人は笑顔で、寂しさも喜びも楽しさも怒りも――得体の知れなさも、表現できる。
私は、特に、それができた。
これも、化け物の理由の一つなのだろうか。
「イヴァンの売りを止めて」
それだけを、告げる。
私の目的は、それだけ。首を縦に振れば良し。でなければ
奥の席に座った年配の女性が、大きく息をついた。
「マリア。いい子だからわがままを言わないで。それはできないわ。十二歳になったらここを出ていく決まりなの」
「どうして?」
「決まりだからよ」
何度も耳にした、決まり、ルール、理。
脳がみしりと音を立てる。
これが、怒るってことなのかしら。
「そうして、アンナのようにぼろ雑巾にされるのね」
「……アンナは運が悪かっただけよ。普通は大切にしてもらえるわ」
「普通って何?」
普通、通常、いつもの。
どこにある? 誰が教えてくれる? そもそもそれはいったい何?
「普通なんて、最初からこの場所にはないでしょう?」
笑う、笑う、笑う。
どうせ答えなんて返ってこないことはわかってるけど。
「ここには普通じゃない子たちが集められているのでしょう? だったら、最初からここにはルールも秩序も決まりもないはずよね。そもそも、この世の理から逸脱した場所がここなのだから」
手を合わせて小首をかしげると、全員が息を飲んだ。
「マリア! ダメと言ったらだめよ。そういう決まり――」
もう、会話に意味はない。
私の土俵に乗ってくれないのなら、私の方が乗ってあげる。
そして、貴方たちの世界を、滅茶滅茶にしてあげる。
私は特別だから、それができるの。
「私は、”特別”だものね」
生きる意味が見えてくれば、今まで見えなかった私の姿も浮き彫りになる。
主観性は不透明。けれど客観性は十分に持っていた。
どうしてか、はまだわからないが、私に価値があることはよくわかった。
だから。
「百億、稼ぐわ」
時折漏れていた会話、その切れ端を拾って、色を付けて、提示する。
「……」
沈黙が降りる。
正直、外で買い物などしたことのない私に、金銭の価値はわからない。そこで計られる自分の価値すらもわからない。
ただ、私は、特別。
彼女たちの脳内を超えることができると、ある種確信があった。
できなくても、してみせる。そのための、化け物。
「アルゼルク騎士副団長。ドルク教師。クロウシス上級議員。バーゼンデルク男爵――」
さっき見えた名前を列挙する。
誇張するように、一度息を吸い込んだ。
「皆、ワタシが欲しいんでしょう?」
私が笑えば、多額の金銭が動く。
私が踊れば、誰もが目を奪われる。
私が歌えば、誰もが私だけを心に宿す。
今だって、そう。
ワタシだけに視線が集中している。私だけを皆が見つめている。
私が何者か、なんてどうでもいい。私は、彼女たちの瞳の中に、心の中に、今、この瞬間、確かに存在しているのだ。
「――ふふ」
瞳に映った私は、蠱惑的に笑っていた。
優雅に、綺麗に、無邪気に、自信過剰に、この世のすべてを見通すかのように。
そう、映っていた。だから、その通りの私を作り上げる。
彼女たちの中のマリアを、具現化させる。”マリア”と”私”とを同じにする。
「私が笑えば、私の価値は跳ねあがるんでしょう? 少し前、貴方たちは十億と言っていたかしら? ふふ、たったそれだけでいいの? 私の笑顔の質一つで、さらに億の金が動くのよ」
思考を先回りし、その考えを先導する。そして、扇動する。
ワタシには、それができた。
貴方たちが何を考えているかなんて、眼を見ればよくわかる。
「ねえ。どうしましょうか。来年の私のお披露目会で、私はどうしましょうかね」
この部屋は、私のものだった。空気は私に傅き、雰囲気は私の思いのまま。
結末も過程も思惑も、すべてが手中。
「どうしてほしい?」
ごくり、と全員が息を飲んだ。帰ってくる答えなんて、耳を塞いでいてもわかる。
すべてが私のものだ。
「……イヴァンの売りは、取り消すわ」
年配の修道士は少しの敗北感をにじませて、低い声を出した。
でも、足りない。
「あら? イヴァンだけ?」
「シクロも。貴方たちは来年、セットでの売りにする。二人とも、器量はいいから文句は誰も言わないでしょう。それでいい?」
「私、話が分かる人は好きよ」
「そうしたら、貴方はどうしてくれるの?」
「言値をどうぞ。望むものをプレゼントするわ」
「……百億ドリム。この国のトップクラスの人間の資産よ」
「わかったわ」
目の前で目の色が変わるのが、面白い。
「私に価値があることなんて、よおくわかっているわ。どうすれば価値が上がるのか、何が人の心をつかむのか、私はよくわかっている」
人の心がわかるのだから、当然。
化け物だから、当たり前。
外の世界は、見たこともない。
でも、私は私を、自覚している。私のカタチを理解している。後は、他者に合わせて自分を変えていけばいい。相手のほしい私になればいい。
身体を、心を、埋めてくれる存在――そんなの、誰だっていくら出したってほしいでしょう。
人はそれを求めて、生きているのだから。
私だってほしい。だから、イヴァンもシクロも手放さない。
「いいわ。それで、契約としましょう」
「ありがとうございます」
私はスカートの裾を掴んで一礼した。そのまま背を向けて、地下室を出る。
閉じた部屋から、声が聞こえてきた。
「まさかマリアがあんな行動に出るなんて」
「聡明な子です。むしろ、イヴァンとシクロだけで済んでよかったと思いましょう」
「しかし、百億……。個人で出せる人なんて、一握りですよ。本当にできるのでしょうか」
「できるでしょうね」
「え」
「誰もが、出すわ。破産しても、人生を棒に振っても、彼女に払ってしまう。魔性の女とは、あれを言うんでしょうね」
「おそろしいですね。もしかしたら、国が傾いてしまうかも」
おかしい。
面白くて笑ってしまう。
「ふふ」
貴方たちが創ったのでしょう。私を、こんな、価値のある存在に育てたのでしょう。まるで被害者のように言わないでほしいわ。
私の価値。
百億ドリム。
鏡の前を横切った。ふと、その中の少女を見つめる。
腰まで伸びた金色の髪、楽しそうに細められた琥珀の瞳。肌は白くて細い、けれど貧相な印象は与えない。
「貴方って、可愛いの?」
鏡の中の少女は首を傾げる。
わからない。
私には、イヴァンやシクロの方が可愛く美しく見える。
でも、皆がそういうのだから、そうなのだろう。
私は、きっと、カワイイのだろう。
だから、皆、ワタシが欲しいのだろう。
「……結局、貴方って何者なのかしらね」
金色の少女は人の形のまま唇を歪ませて、歩き去っていった。
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