第四章8

 いつものように侍女の住居の前まで来た朱鷺世は指笛を吹いて露を呼び出した。

 その日も露は台所から搗き米をかすめ取って柿の葉に包んだものを朱鷺世のために用意していたから、指笛が聞こえたらすぐに出て行った。

 朱鷺世は無言で住居裏の森になった庭の中に入って行って、大きな樹の根元に座ると露から受け取った搗き米や青菜を食べた。

 露は朱鷺世の隣にちょこんと座って、朱鷺世の食べ終わるのを待っていた。

 黙々と食べる朱鷺世の隣で、露は今日は立ちっぱなしで疲れたので眠気に襲われてとうとうととした。それは一瞬だったのか、随分と時間が経ったのかわからないが目を開けたら、朱鷺世の腕が自分の体に巻き付いていた。

 会えば朱鷺世に抱きすくめられて、口を吸われる。荒々しく吸われる時もあれば、そっと重ねるだけの時もある。どんな風であっても、露は嫌ではなかった。親と離れて都に来て、独りぼっちだと思っていたが、いつも傍にいてくれたのは朱鷺世だ。不安な時、寂しい時、辛い時、露の支えになっている朱鷺世。そして、男の人としても好きだ。こうして唇を重ねるのは、朱鷺世も私のことが好きな証のはず。

 露は朱鷺世の腕に抱かれて身を任せていたが、その時はいつもと違った。強く抱かれた後、体が後ろに傾いたと思ったら、朱鷺世に押し倒された。

 露の顔の左右に手をついて、露の顔を見下ろしている。

 いつもの何を考えているのかわからない表情で、ぐっと口を引き結んでいる。それは何か話し始める前触れだろうか。

 露は待っていると、朱鷺世から言葉はなく、その代わり左手が動いて露の裳を引き上げた。裳に隠れていた足がむき出しになり、夜の冷たさが触れた。

「朱鷺世……」

 朱鷺世の手は裳の中へ、太腿の外側から内側へと動き、もっと上に触れてきた。露は足を閉じて、朱鷺世の手がそれ以上、上がってこないようにしようとしたが、朱鷺世の左膝が足の間に入っていて、閉じることはできなかった。朱鷺世の手は止まることなく露の足を外側に開かせて、膝から下を抱きかかえた。露のお腹の前で結んだ袴の紐を解いて、自分の袴を下ろすと、露の股の間に自分の腰を近づけた。

 露は朱鷺世が何をしようとしているのか、全くわからなかった。朱鷺世が近づくにつれて、自分の足は大きく外側へと広げられる。

 性交とはどんなものなのか、露はその時まで知らなかった。

 露は気持ちはまだまだ幼くて、色恋の話に疎かった。

同じ部屋に寝起きするお姉さんたちが声をひそめて、時には思わず大きな声を出して好きな男の人のことを話している。耳には入っているが、それが人をどんな気持ちにさせるかわかっていない。

ある夜、皆がもう寝ようと言って衾を被った時、露をかわいがってくれているお姉さんが部屋にまだ戻っていないのが気になって、声を上げた。

「露、大丈夫よ。姉さんはちょっと、外に用があるのよ。用が済めば戻って来るわ」

 別のお姉さんが心配そうな露の声に優しく返事をしてくれた。横になって衾を被った露だったがすぐには眠れず、目を瞑ってじっとしていたら、しばらくしてお姉さんが帰って来た。そっと妻戸を押して部屋の中に入り、自分の寝床に滑り込んだ。

 お姉さんが無事に帰って来た、と思ったら安心して露はすぐに眠ってしまった。

 あの時のお姉さんは、実は外で男の人と会っていて、こうして抱き合っていたのだろうか。それを仲の良い他のお姉さんたちも知っていて、露に心配はいらないと言ったのだろうか。

 朱鷺世との交わりは痛みを伴い、露は呻き声を漏らした。そうすると、朱鷺世はぴったりと重なるように覆いかぶさって、痛みに耐える露の唇を吸っては離しを繰り返した。露に声を出させないようにと考えているようだったが、そのうち自分の欲望に支配され、露の声など気にせず激しく動き、そして果てた。

 朱鷺世は地面に寝ている露に覆いかぶさってその体を抱き締めたまま、息をついている。

 露は朱鷺世の背中に手を回した。 

 体は痛いけど、朱鷺世に酷いことをされたという気持ちにはならなかった。

 朱鷺世は一息つくと、露の体と一緒に起き上がって近くの幹に背中を預けた。露をゆっくりと横抱きにして、胸にぎゅっと抱き寄せた。露の背中に回した腕と、膝の下から通した腕を自分に引き寄せたので、露の胸と膝が近づいて二つ折りになった。

 どんな体勢になっても気にはしなかった。今の露は股の奥の体の痛みを我慢することに集中していた。打ったり、切ったりした痛みとは違う。

 ふっと、自分の顔に覆いかぶさるようにくっつけられている朱鷺世の顔に気づいた。何をしているのだろうと思ったら、朱鷺世が頬ずりしていた。

 痛みに顔を伏せていた露が顔を上げると、朱鷺世の頬と頬が近寄り合わさった。

 朱鷺世……

 朱鷺世は言葉少なで、何を考えているのかわからないこともあるが、いつも露の傍にいてくれる。いつも不安に押しつぶされそうな自分の傍にいてくれる人である。

 露は胸の上に置いていた両手のうち右手を上げて、自分の頬と合わさっていない方の朱鷺世の頬に手を当てた。

「朱鷺世……」

 露はかすれた声を出した。

「好き」

 露の言葉に、朱鷺世は頬を離して、露を見つめた。

 これは恋と呼ぶものだ、ということを露は後で知った。今は、抱き締められて頬をすり合わせるだけで、体もそして心も温まる気持ちを言葉に表したら、好きという言葉になったのだった。

 朱鷺世が自分の目を覗き込んでいる。露の瞳は朱鷺世の顔でいっぱいになった後、目の前は真っ暗になった。

 それは、朱鷺世の顔が迫って来たため目を瞑ったからだった。

 朱鷺世は露の唇に自分のそれを重ねて吸った。強く、深く。

 露はその時の記憶から我に返った。

 今の朱鷺世は露の全身を自分の体で覆うように抱き込んで、じっとしている。

 あの時と同じ……。あの時の行為をしてほしいわけじゃない。してもいいけど、でも、少なくともこうして近くにいたい。

 私は朱鷺世のことが好きなのだもの。

 朱鷺世は満足したのか、抱いていた露の体から腕を解いた。

「朱鷺世……明日も来て。塗り薬をもらっておくから」

 露は囁いた。

 朱鷺世は何も言わずに、露の足の指先を掌で包んで自分の温もりを分けた。

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