第三章9

 昨日は、束蕗原から都に帰ってくる車の中でじっとしておくのに飽きた淳奈を、実津瀬は一緒に馬の上に乗せたり、実津瀬が馬を下りて、腕に抱いたり手を繋いで一緒に歩いたりと機嫌を取った。実津瀬が疲れてくると、護衛の天彦が背中に背負って歩き、背中で眠るとまた芹のいる車の中に寝かせた。五条に着くと、車の中で眠っていた淳奈は元気を蓄えていて夕餉を食べた後は、部屋の中を走り回っていた。逆に、実津瀬、芹たち大人は疲労困憊で、淳奈を寝かしつけた後、さっさっと眠ってしまった。

 翌日、朝から宮廷に出仕した実津瀬が帰って来た時、離れの庭に下りた芹と淳奈は両手を繋いで、天彦が吹く笛の音に合わせて踊っていた。芹には左手の四本の指がないが、淳奈が親指を握って離れないようにしている。

 両手を繋いだ状態でくるくると回り、片手を放して芹が頭の上まで手を上げると、それをまねして淳奈も手を上げた。芹はひらひらと手を振ると、淳奈も手を振った。

 淳奈はそんな動きが楽しいらしく、きゃっきゃと声を上げた。

 再び芹は淳奈と両手を繋ぎくるくると回った。その間に淳奈は地を蹴って飛び上がり、二人は宙に浮かび上がった。

 簀子縁から見ていた実津瀬は二人の楽しそうな様子に、思わず笑顔になった。

「とうしゃま」

 実津瀬を見つけた淳奈が言った。

 芹と淳奈は舞うのをやめて、淳奈が階の下まで走って来た。天彦は笛の音を止めた。

「淳奈、楽しいかい」

 実津瀬が訊くと、淳奈は頷いた。

「まい、まい」

 と連呼する。

「お帰りなさい。淳奈はあなたの真似がしたいみたい。あなたのような舞を舞いたいのよ」

「そうか、淳奈は私の真似をしたいのかい」

 実津瀬は階を下りて、淳奈を抱き上げた。

「久しぶりにあなたが楽しそうに踊る姿が見られたよ。私はあなたの踊る姿が好きなんだ」

 近寄って来た芹に実津瀬は囁いた。

 実津瀬は本当に芹が音楽に合わせて踊る姿が好きだった。出会った時の光景と気持ちが湧き上がってくる。

 芹は少し照れた表情をして、実津瀬の腕に手を置いた。

「淳奈、舞をやってみるかい?」

 腕の中の淳奈に訊ねると、淳奈は頷いた。

 実津瀬は淳奈をしたに下ろして、懐から笛を出して、唇を当てた。

「淳奈、こちらにいらっしゃい。いつもお父さまがしているように、立って」

 淳奈は庭の中央に立つと、二日前の束蕗原の宴の真似をして、実津瀬の笛に合わせて、手を上げて、次に足を上げてと型を見せた。短い手足を上に横にと動かしているが、実津瀬の動きをよく見ていて、小さい子ながら様になっていた。

 実津瀬は笛を吹くのをやめて、淳奈の前に膝をついた。

「淳奈、私の舞をよく見ているんだね。とても上手だ」

 みずらに結った頭を優しく撫ぜると、淳奈は嬉しそうに父を見上げた。

 実津瀬は立ち上がると、淳奈の右手を握った。自分の右手を芹に差し出して、言った。

「天彦、何でもいいから、笛を吹いてくれ。明るい曲がいいな」

 芹の左手を取り、芹は右手で淳奈の左手を握った。

 三人が輪になって、曲に合わせてくるくると回る。実津瀬と芹で淳奈の腕を持ち上げて、宙に浮かせる。

 天彦の笛に合わせて、三人が好きなように手足を動かして踊る。三人とも息が弾んだところで、実津瀬が踊るのをやめて淳奈を抱き上げた。

「はあ、楽しいお踊りだった」

 実津瀬は言って、芹の手を引いた。

「せっかく淳奈があなたの舞を真似ているのよ。私の真似事をさせなくてもいいのに」

「私は自由に好きなように踊るのも好きなんだ。舞の型なんか気にせずに、自分の体を動かしたいように踊るのがね。部屋の中で休もうか」

 三人は階を上がって、庇の間に入ると曜が水差しを持って来て、椀に水を入れてくれた。

 夜、実津瀬は小さくなった灯台の明かりの下でぼんやりと天井を見ていた。

 昼間、三人で踊ったときのことを思い出していた。芹と淳奈が声を上げて笑い、無邪気に踊る姿。

 宮廷ではまた、次の宴のために舞の準備をするようにと言われているが、実津瀬の気持ちは動かないのだった。

 結婚前にも舞を舞う気が失せた時があった。その時に、自由に踊っている芹を見て、再び舞をやろうという気持ちになったのだった。

 今日、三人で踊ったことによってあの時の気持ちが湧き上がるきっかけになるような気がした。

 実津瀬の舞を取り戻させてくれるのは芹なのだ。

 衣擦れの音がして、几帳の前で止まった。

 淳奈の様子を見に行った芹が、侍女の編の持つ灯りで戻って来たのだ。

「あなたも休んで」

 と、編に言っている。明かりが離れて行き、一旦明るくなった部屋はまた元の暗さに戻った。

 部屋の壁に影が差した。芹が入って来たのだ。

 実津瀬は寝転んだまま、芹が自分の隣に寝そべるのを待った。

 が、芹は実津瀬の隣に膝をついたが、寝そべる様子がない。

 実津瀬は寝たまま芹に視線を移した。

 芹は羽織った上着を肩から滑らせて、後ろへと落とした。寝衣姿が小さな灯台の明かりで浮かび上がった。

「……せ」

 芹の名を呼ぼうとした時に、芹は腹の前の帯の一方の端を握って引いた。帯はするりと解けて、寝衣の前ははだけた。さっと袖から腕を抜いて寝衣を脱ぎ、落ちた寝衣を褥の脇に退けて、実津瀬に体を向けた。

 実津瀬は起き上がって、自分の着ている寝衣を脱ぎ、裸身の芹を抱いて寝そべった。

 束蕗原に二月もの間行っていて、離れ離れになった二人であったが、その前からずっと愛の行為とは疎遠になっていた。

 芹が流産をして、体も心も苦しかった時期が長かったためだが、実津瀬はいつか前と同じように愛し合えると信じて待っていたのだ。

 束蕗原でののんびりとした生活、また去様や母の礼など信頼できる女人に囲まれて、芹の体も心も癒えていったようだ。

 実津瀬は力いっぱいその体を抱き締めた後、力を緩めた。それが合図のように、芹は実津瀬の胸から顔を上げた。少し照れたような表情が、灯台の細い灯りの中で見えた。

「……実津瀬……」

 実津瀬は芹に顔を寄せて、唇を吸って離した。芹の右頬に手を置いて、耳たぶを親指と人差し指で優しくつまむ。

 芹は実津瀬の脇の下から腕を通して、実津瀬の背中に手を回した。

「今日の昼間……」

 実津瀬が言った。

「?……昼間……淳奈があなたの舞を見よう見まねで舞った?」

「うん」

「あの子も将来、あなたのような舞手になるかしら」

「そうだなぁ。私の舞をよく見ている。淳奈の舞にも驚いたけど、私は芹と淳奈が二人で踊っている姿が良かった。その後に三人で踊ったのも楽しかった」

「あれは淳奈をあやすための子供の遊びよ」

「そうかもしれない。でも、自由で好きなんだ。舞は形を重んじる。それを追求していくのも楽しいのだけど、自分の体が動くままに好きに踊る芹のやり方が好きなんだ。……実は、また少し舞を舞うことに嫌気がさしていてね。芹が束蕗原に行っている間、舞の練習からは遠ざかっていた。しかし、楽しそうに踊っている芹と淳奈をみて、私も一緒に踊ってみると、子供の遊びというけれど、気持ちが軽くなった。……やはり、あなたは私の女神だよ」

「そんなこと……」

「私がいうのだから間違いない。……そして、あなたも元気になって、私の体を恋しく思ってくれて嬉しい。私もあなたの体が恋しかった」

「……待たせてしまって……」

「いいや。いくらでも待てるさ。あなたに辛い思いをさせた。そんな思いをさせた私が行けないのだ。反省の日々だった」

 芹は顔を上げて、実津瀬の頬に手を当てた。

「あなたは出会った時から私のことを考えてくれている。私を救ってくれるわ。嬉しいの。あなたの妻になれて、私は幸せよ」

 芹は自分から顔を寄せて、実津瀬の唇を吸った。実津瀬は深く、強く、芹の体を抱き込んだ。

 大王の部屋に入るためには、誰でも自由にとは行かない。許可された者かどうかわかるように、木片の真ん中を形に切って、片方を渡された者が、大王の部屋の前で待つ者にその木片を差し出し、お互いが持つ半分を合わせるとぴったりと組み合わさる印が用いられるが、今の二人はそれと同じように一つだったものが、半分に分かれ、それが一つであったことを物語るようにぴったりと合わさった。

 実津瀬の上に跨った芹は、実津瀬の肩に手を置いて、愛の行為の愉悦に浸った。実津瀬も、どこまでも自分を包み込んでくれる芹の体に安息の地を再び手に入れた気持ちになった。

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