第三章7

去は最近の都の様子を聞きたがり、実言が新嘗祭の様子やその準備の時に大路で起こった喧嘩の話を聞かせた。逆に実言は去が生涯をかけて研究している薬の話を訊ねて、芹は薬草園の話をした。しかし、話はお互いの最近の生活のことに移って行った。去は、娘同然の姪の礼が実言という最高の伴侶を得て、四人の子供を生し、去から見れば孫である四人が成長していく様を見聞きするのはこの上ない幸せであった。特に、実津瀬と蓮はこの束蕗原で生まれて育った。乳飲み子の時を、去が親代わりになって育てたこともあり、この二人への思いはまた格別だった。二人がこうして束蕗原を訪ねてくれることが嬉しく有難い。

最後は、ここに残ることに決めた蓮との定めのない別れを惜しむ話になった。

「去様、どうかよろしくお願いしますね」

 母の礼が今にも泣きそうな顔で言う。

 娘が再び傍から離れることに寂寥の気持ちが込み上げているのだろう。結婚で邸を出た時は、いつでも会える距離だったし、現にたびたび母の手伝いをしに五条に来ていたのだから。しかし、束蕗原となるとおいそれと会いには来られない。

「大丈夫だよ。厳しくするときもあるかもしれない。しかし、蓮の気持ちに応えて、お前と同じように立派な医師にしよう。そうして、再び都に帰ってお前の右腕になるよ」

 去の言葉に、礼はたまらず涙をこぼした。隣に座っている蓮がとっさに膝の上の母の手を握った。礼は蓮に顔を向けて、さらに涙をこぼした。

 宴の間、簀子縁には、太鼓、笙、笛を演奏する者を準備していて心地よい音楽が奏でられた。湿っぽくなった雰囲気を少し変えようと実津瀬も懐に入れている笛を出して吹いた。軽快な旋律に皆が手拍子をした。皆で音を合わせて手拍子することに必死になり、楽しさと笑いが上がった。大人たちの大きな笑い声が客人の部屋になっていた離れにも聞こえたのか、小さな人が部屋へと入って来た。

 淳奈が目覚めて宴の広間に入って来たのだった。一目散に母の胸へと飛び込んだ。

「淳奈、お腹が空いたかい。淳奈に粥を持って来てやって」

 去の言葉に、束蕗原の侍女が急いで台所に走って行った。

 淳奈は父と母の間に座って、母のすくう匙からお粥を食べた。

「実津瀬、お前の舞は都でたいそう評判だそうじゃないか」

 去は淳奈のおいしそうに食べる様子に目を細めて、隣で同じように息子を見る実津瀬に向かって言った。

「そうなのですよ。大王の前で、何度も舞ってお褒めの言葉も頂いているのです」

 隣の実言が自慢の息子の名声を話す。

「ほう。それはそれは素晴らしい舞なのだろうね」

「よければ、去様、ここで少し舞ってもよろしいですか?」

 実津瀬が言った。

「いいのかい?私は見てみたいよ」

「はい。私も見ていただきたいです。また、蓮も私の舞を当分見られないと思うので、見てほしいと思います」

「そうだねぇ」

 去は言って、蓮を見た。蓮は嬉しそうに目を輝かせて兄を見ている。

 簀子縁には楽器の演奏者たちが座っている。その中には、芹と淳奈の護衛をしている天彦もいる。天彦は五条の邸で、実津瀬から笛の手ほどきを受けていた。

 束蕗原に楽器を演奏できるものがいるのは、都の北東に位置する鄙びた場所ではあるが、都から来た去が音楽や舞のような楽しみを好んでいて、このような田舎でも音楽が演奏できるように、村の者たちに楽器を与え、都から教える者を招いていたことや、礼が嫁いだことによって縁ができた岩城五条の邸に束蕗原の住人が仕えて、天彦のように音楽を習って、束蕗原に帰ってくる者がいて、その者がまたこの領地の中で音楽を教えて、と楽器を演奏できるものがいるためだ。

 実津瀬は立ち上がって、簀子縁に座る演奏者たちのところに行った。

話し声だけで、広間にいる者たちには何を言っているのかわからないが、舞の曲の確認をしているようだ。

 陽が落ちると、庭には篝火が焚かれて、部屋の明かりと相まって幽玄な雰囲気の中、実津瀬は一人庇の間に立った。

 篝火でほの暗く浮かび上がる庭を背景に、簀子縁に座る演奏者たちのかしこまった姿の前に立つ実津瀬の姿は堂々としたものだ。

 笙の音が始まって、太鼓の力強い音が所々で加わる。笛の音も加わって、実津瀬の脇にだらりと自然に下ろしていた両手が上がり、舞が始まった。手の動きから、右足を踏み出して、足の移動が加わり、舞の形を丁寧に見せていった。

 大王の前で舞う二人舞のような激しいものではないが、これまで磨き上げてきた美しい舞の形を一人で見せていった。

 音楽が終わると、実津瀬の舞も終わった。庇の間に立った時と同じように、手を横に垂らしてお辞儀をした。

 舞が終わってすぐに反応したのは、一番幼い淳奈だ。小さな手を前で合わせて、音を出した。

「淳奈はお父さまの舞が好きなのです。久しぶりに見られて嬉しいのね」

 芹が言った、

「なんと美しい舞だったことか。見ることができてうれしいよ、実津瀬。ありがとう」

「去様、どうか都で私の舞を見てください。母上、どうかそのような機会を作ってください」

「そうね。去様、随分と都にはいらっしゃっていないですから、どうかいらして。旦那様、去様が都に来られたら、実津瀬の舞をもっと見ていただきましょう」

 礼は去と隣の座っている夫に言った。

「そうだね。去様、ぜひ我々の邸にいらしてください。いつにしましょうか」

「気の早いことだね。確かに都には随分といっていないね。……私ももう歳だ。ここと都を往復する力があるか心配だ」

「去様はまだまだお元気です」

「礼はいつもそういうけど、自分はよくわかっている。昔ほどの力はない。だから、蓮が傍にいてくれるのはとても嬉しい」

 実津瀬が席に戻ると、淳奈がすぐにその膝に座った。

「実津瀬、素晴らしい舞だった。喉が渇いただろう。潤しておくれ」

 去の言葉に、芹は酒の入った徳利を持ち上げた。実津瀬は膳の上に杯を持ち上げて、酒を注いでもらい飲んだ。

 別れの夜の宴は、小さな子達を眠らせて、大人たちだけでしばらく続いた。

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