第三章3

 陰湿ないじめによって食事を食べられなくなってから、朱鷺世は頻繁に露のところに行くようになった。

 二人はもっと子供の頃、同じ時期に都の近くの土地から、都の宮廷の下働きをしに来たのだった。

 その土地の豪族の斡旋によって、集まった都で働きたい者たちの中にいたのだ。同じ村の出身というわけではない。夜明け前に都に向かって出発したが、子供の足ではついて行くのがやっとの歩きの速さで、体の小さな露は徐々に遅れ始めた。その露を思いやって、一緒に並んで歩いて羅城門をくぐったのが朱鷺世である。

 都に来た時は朱鷺世も露も宮廷の台所の手伝いをしていたが、露は女官の下について王族の世話の仕事に移って行った。朱鷺世はそのまま、薪を割ったり、水汲みをしたりという台所の下働きをしていたが、楽舞の稽古場の近くを通った時に、楽器や舞をやっているのを見て、暇があればそこに居つくようになった。ただの見学が、稽古場の外で舞を見よう見まねで踊るようになって、楽団の一員のようなふりをして、稽古場の中に入って手伝いをし始めたのだ。

 朱鷺世は舞にあこがれて、それを自分のものにしようと押しかけて、いつの間にか楽団員として過ごすようになったのだった。

 朱鷺世と露の二人はそれぞれ違う場所に自分の居場所ができて疎遠になったが、この広い宮廷の庭で偶然会うことがあれば言葉を交わしていた。

 しかし、ここ最近は朱鷺世から露に会いに行くようになった。夜、寝る前に部屋を抜け出して二人でこっそり会っては、仕事のことや職場の人のことを話した。いつも話すのは露で、朱鷺世は黙っているが露の話を面倒に思っていることはなく、黙って聞いていた。

 露が渡した搗き米の握ったものを全部食べてしまった朱鷺世は、ぼんやりと庭の奥を見ていた。

「朱鷺世、まだお腹が空いている?」

 露が訊くと、朱鷺世は少し間を開けてこくりと頷いた。

 都に来たのはお互い、十かそこらの小さな子供だった。お姉さんやお兄さんの言うことにただただ従って一日が終わっていったという感じだった。そんな幼い頃のような顔で朱鷺世が頷いたのがかわいらしい。

 露は袖から先に渡したものよりは小さな搗き米の握ったものを取りだした。包んだ柿の葉を取って、搗き米だけを朱鷺世の前に差し出すと、朱鷺世は露の手首を掴んで引き寄せ、露の手から搗き米に齧りついた。無言で搗き米を口に入れ、咀嚼する。

 露も自分の持っている搗き米がどんどん減って行く様子と朱鷺世が黙って口を動かしている様子を見つめた。

あと一口しかないという時、露は自分の指を齧られるのではないかと、心配になった。

朱鷺世が大きな口を開けて、露の指めがけて近づいて来たので、露は指先に持った巻き米を朱鷺世の口の中に押し込んだ。

 朱鷺世は最後の搗き米を咀嚼して飲み込むと、露の指を口に入れて、舌で舐めまわした。露の指について米をも残らず食べてやろうということだ。

「もう、朱鷺世ったら」

 指をしゃぶられるのがくすぐったくて露は、笑いながら言った。

「もう放して」 

 露が言うと、朱鷺世は露の指から口を放した。しかし、その代わりに朱鷺世は露の腰に手を回して抱き寄せた。胡坐をかいた上に座らせて、背中から抱き締めた。

「朱鷺世……」

 小さな声で露は言った。

「どうしたの?……何かあったの?」

 露は朱鷺世の胸の上で、訊ねた。

 会いに来るのは朱鷺世だが、会ってもしゃべっているのはいつも自分だ。こんな仕事の失敗をしたとか、誰に意地悪されたとか、逆に誰に助けられたとか、心の中にあることを何でも話していた。それを朱鷺世は聞いているだけだが、聞いてもらうと気持ちがすっきりするので朱鷺世と会うのは好きだ。会いに来るのに、朱鷺世は何も言わない。でも、会いに来ることは朱鷺世も何か露にわかってほしいことがあるのだと思っていた。

 最近の朱鷺世が自らのことを話したのは、二月前に月の宴で舞を舞って、たいそう褒められたことだ。その時は、朱鷺世も嬉しそうに露に話をした。

 最近は腹が空いたから何か食べさせてほしいというくらいだ。

 朱鷺世も露も都に来る前は、家に食べる物が無くて、大人はもちろん自分達子供もいつもお腹を空かしていた。だから口減らしのために都に働きに来た。朱鷺世も露もがりがりに痩せていたが、露は台所や、王族の食事の準備など、食べ物が近くにある場所で働いているので、何かしら食べることができた。朱鷺世も最初は台所の雑用をしていたので食べ物にありつけたが、いつの間にか楽団に入って舞いをするようになったため食事は配られる決められたものを食べるだけになり、いつまでたっても痩せている。

 露は少しだけ朱鷺世の背中に手を回した。

出会った時は同じ背格好だったが、都に来て朱鷺世の背は伸びて行ったが、背中にも腹には身はついていない。

 朱鷺世は顔を上げた。自分の肩にあった朱鷺世の頭の重さが無くなって、露も同じように顔を上げた。

 朱鷺世はじいっと露の顔を見つめた。露の質問に答えようかどうしようか迷っているのだろうか。露も朱鷺世が何と言うだろうかと、その顔を見つめて待っている。

 朱鷺世の顔が近づいて来た。何を囁かれるのだろう、と思ったら、朱鷺世は無言のまま、露の顔にぶつかって来た。露はびっくりした。朱鷺世の顔がぶつかると思って、顔を背けた。朱鷺世の唇が自分の口の端にあたって、吸われた。

 どういうことかしら?

 朱鷺世の動きがどういう意味合いなのか、露はすぐにはわからなかった。

 朱鷺世はすぐに唇を離して、露の頬に手を添えて露の顔が横を向かないようにすると、今度はしっかりと唇を重ねた。

 目を開けていた露はゆっくりと閉じた。閉じる間際に自分の顔にぶつかっている朱鷺世の顔を見た。朱鷺世は目を閉じている。長い睫毛が見えた。

 朱鷺世から唇を離すと、もう一度露を抱き締めた。

 同じ部屋で寝起きしている年上のお姉さんたちが、時々声をひそめて話しているっけ。好きな男の人とのこと。

お姉さんたち、さっき朱鷺世がしたことを話しているのかしら。それとも、今の私の気持ちのことを話しているのかしら。

 露は両手を朱鷺世の背中に回して、朱鷺世を同じだけの力で抱き返した。

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