第二章4

 景之亮と一緒に暮らし始めても、蓮は何日か置きには五条の邸に写した本を持って行き、薬草つくりを手伝い、妹弟の相手をした。そして、兄の実津瀬と妻の芹とたわいもない話をした。また、蓮と芹は実津瀬がいなくても二人きりで話をしたし、景之亮が宮廷を下がって蓮を迎えに五条の邸に寄った時に四人で話すこともあった。

 ここ数日、夏の強い日差しに、蓮は日中に出歩くのが億劫になって鷹取の邸に籠っていた。久しぶりに五条の邸に行くと、芹は奥の部屋に臥せっていると聞いた。

「芹はどうしたの?具合が悪いの?」

 蓮は母の部屋で写した本を渡す時に訊ねた。

「いいえ、違うのよ……」

「では、何かしら」

「芹は懐妊したの」

「……まぁ、そうなの。それはおめでたいことね」

 蓮は言った。

「気分が悪い日が最近は多くてね」

「そう?私は離れに行ってもいいかしら?」

 礼は頷くと、蓮は一人で離れに行った。

 御簾を全て下ろした薄暗い部屋に、芹は横になっていた。

「芹、私、蓮よ。入ってもいい?」

 几帳の後ろから声を掛けると、身じろぎする音がして、「どうぞ」と小さな声が聞こえた。

 蓮が几帳の中へと入ると、芹が起き上がるところだった。

「まあ、気分が悪いのでしょう。横になっていていいのよ」

 蓮は芹の背中に手を回して支えた。

「……今は大丈夫。寝てばかりは申し訳ないわ……」

「無理はいけないわよ」

「ええ、今は平気」

 芹が笑顔を作って言うので、蓮は芹に手を貸して座るのを手伝った。

「ここ数日は暑い日が続いて、私もここへ来るのをやめていたのよ。懐妊したのなら、なおさら体が辛いでしょう」

 蓮の言葉に芹は少し表情を変えた。

「今さっき、お母さまから聞いたのよ。おめでとう」

「……ありがとう。……こんなにも早く授かるなんて思ってもみなくて……」

 芹は青白い顔で目尻を下げた。

「早い、遅いなんてないわ。実津瀬は?実津瀬はなんと言っているの」

「実津瀬はとても喜んでくれたわ。……お父さまもお母さまも喜んでくださったわ」

「ええ、そうよね。みんな喜ぶわ」

 しばらく話をしていると実津瀬が帰って来た。

「実津瀬、聞いたわよ。とても嬉しいことね」

 蓮が言うと。

「うん。嬉しいよ。こんなに早く子を持つことができるとは思っていなかった。今は、芹の体が心配だよ。伏せることが多くてね。母上は、しばらくすれば落ち着くと言っている。経験者が言うことだから、そうなんだろうと思うが、芹も私も一つ一つ変化があれば、それはどういったことだろうかと不安でね、話し合っているところなんだ」

 と率直に喜びと不安を語った。

 そんなことを三人で話していると、宮廷から下がった景之亮が蓮を迎えに五条の邸を訪ねてきた。そこで、景之亮も芹の懐妊のことを聞き、実津瀬と芹に祝う言葉を贈った。

 その夜、蓮はいつものように景之亮と同じ衾の中に入り、お互いを愛撫し、まぐわう。そして、行為が終わると、そのまま景之亮の腕の中で眠りにつく。

 景之亮様は芹の懐妊をどう思っているのだろう。

 五条の邸から景之亮と二人で帰ってくる時に、景之亮は芹の懐妊は喜ばしいことだと言ったが、自分達の子供のことに発展することはなく、話は蓮が今日何をしていたのかということに変わった。

 そうね……芹もこんなに早く授かるなんて思わなかった、と言っていたけど、私たちも今、懐妊したら、早いと思うわ。もう少し二人ですごしていたら、子供は、私のお腹の中に宿る日が来るはず……。

 蓮は自分のすぐ上にある既に眠っている景之亮の顔を見た。長い睫毛が目の下を覆ってぴくりとも動かいない。

 お疲れなのね……。

 蓮は景之亮の腕の中に潜り込み、自分も目を閉じた。


 新年を迎えた。宮廷では年賀の行事が行われる。

 蓮は二日に新年の挨拶をしに、五条の邸を訪れると小さな赤子を抱いた実津瀬がいた。

 蓮は飛んで実津瀬の傍に行った。

「まあ、とても小さいわ。かわいい。生まれたのね」

 生まれたばかりの淳奈は両手を前に小さく折りたたんで、目をつむって眠っている。蓮は無暗に触れるのをためらわれて、頭を突き出して覗き込むと、実津瀬と額がぶつかってしまった。さすりながら二人で笑った。

 抱いてみるか、と実津瀬に言われて、やっと蓮は淳奈をその腕の中に収めた。

 小さな温かい体を抱えて、蓮は子供が与えてくれる優しい気持ちに浸る。その顔は飽かずに見ていられる。本当に時間を忘れて淳奈を眺めていることに気づいて顔を上げると、景之亮が庇の間にいて、こちらを見ていた。蓮と目が合うと微笑んだ。

「景之亮様。宮廷からこちらに帰ってこられていたのね」

 景之亮は蓮の隣に座って、蓮がしていたように頭だけ近づけて腕の中の赤子を覗き込んだ。

「小さいね。生まれたばかりはこんなに小さいのか」

 淳奈は小さな口を大きく開けて欠伸をした。

「小さな口をめいっぱい大きく開けたわ」

「そうだね」

 蓮は景之亮と目を合わせて、笑い合った。二人でまた淳奈の顔に振り向いてしばらく見つめた。

 その夜、蓮は景之亮が衾を肩口まで上げて掛けると同時にその腕の中に潜り込んだ。いつも抱き合って寝ているので、こんなことは不思議ではないのだが、背中に回した蓮の手の動きがいつもとは違うと、景之亮は思った。

 景之亮も、蓮と同じように背中に手を回した。小柄な蓮は、景之亮に抱かれると埋もれてしまって、腕の間から顔を出した。

「……景之亮様……」

 蓮の声は少し悩ましそうで、次の言葉を言いたそうだが言わない。

「なんだい?」

 景之亮の伸ばした腕を枕に、蓮と景之亮は見つめ合った。

「……あなたとこうして毎日のように同じ褥の上で寝るようになって一年が経ったわ。いつか、いつか、私も子を授かると思っていたのに、未だにその兆しはない。……どうしてかしら……。私……子供が欲しいのに」

 蓮は思いつめた目で景之亮の目を覗き込んできた。

「蓮……」

「景之亮様に似た男の子……」

「私なんかに似なくていい。あなたに似た子がいいよ。実津瀬殿のような子が」

「いいえ、実津瀬は違うわ。強くて、逞しくて、優しい景之亮様のような人になってほしいの」

「女の子は私に似たら大変だ」

 その言葉に、蓮はくすくすと笑った。

「やはり、あなたに似た可愛らしい子がいい……蓮、焦ることはないよ。いずれ私たちにも授かるだろう」

 景之亮は言うと、蓮を引き寄せて抱いた。

 灯台の明かりも消えた暗闇の中で、熱い吐息が漏れる。二人は裸になって、抱き合う。景之亮の種を一つも逃すまいと、蓮は自分の太腿の上に置かれた景之亮の手を握って体を離そうとする景之亮の動きを制した。景之亮は再び蓮に覆いかぶさって、顔を近づけた。

「……景之亮様……大好き……大好きなの」

 蓮は言って、景之亮の唇を吸った。

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