第一章2

 新年の準備に邸全体が忙しくしている時、実津瀬は大王の離宮である翔丘殿で行われる宴で舞を披露することになった、と告げてきた。

「帰ってきたら、父上が呼んでいるというので、伺ったら梅見の宴に舞を舞うように依頼があったとのことだった」

 聞いている芹はそんなことがあるのかと、聞いている。

「夏から舞を舞っていなくてね。自信がないのだけど、依頼を受けようと思ってね。これから舞の練習のために宮廷内にある稽古場に通うことになる」

 芹は頷いた。

「今のように邸にはいられないなぁ」

 実津瀬は言って、芹を見た。

 自分を見る実津瀬を芹も目だけ動かして見上げた。

「あなたはどう思う?」

 実津瀬に問われて、芹は考えた。

 実津瀬の舞は有名で、都一の舞を舞う人物と聞いていた。

「素晴らしいことではないの……」

「違うよ!私は、あなたに私が傍にいる時間が少なくなって寂しいとか言って欲しいんだ」

 反応の薄い芹に実津瀬は本心を言う。

 芹はそうだったのか、と申し訳なさそうな表情をしたが、自分の気持ちよりも実津瀬が成すこと、大王の御前で最高の舞を舞うことの方が大事と思った。

「あなたの舞を見たい人はたくさんいると聞くわ。だから、その期待に応えるためにも、舞に集中してくださいな。私のことなら、私たちはずっと一緒にいられるのだから」

 芹が言うと、実津瀬は芹を抱き寄せて言った。

「そう?あなたがそう言うなら、あなたの期待に応えられるように励むよ」

 それからの実津瀬は、言った通りに舞の練習に時間を取られ、芹と一緒にいる時間は格段に少なくなった。夜も、先に褥に横になって、芹が行くと眠っていることが何度もあった。

 芹は芹で岩城家のしきたりなどを習い覚えるのに忙しい。日中は邸の誰かが離れに来る。また芹も義母の礼の手伝いに薬草作りをする。何もなければ途中である実津瀬の肌着を縫ってと忙しい日々で、実津瀬が言うように日中の夫婦はすれ違いが多くなった。

 夜、実津瀬はもう眠ったと思ってその隣に体を滑り込ませたが、実は起きていた実津瀬が、芹の方を向いて、腕を伸ばしてきた。芹は近づく実津瀬の唇に自分から重ねる。

 実津瀬の体が変わっていく。

 抱き合うと感じるのが実津瀬の体の変化である。余分なものはそぎ落とされ、しかし胸や太腿は内側から厚く大きくなったように感じる。胸を合わせて、足を絡ませて互いに夢語りをして眠りに落ちて行く中、芹は実津瀬の懸命に感動するのだった。

 自分の知らないところで夫はどのような努力をしているのかしら。

 梅見の宴は未刻(午後二時)から始まる。

 大王を始めとした王族と重臣たちが翔丘殿の庭の梅を鑑賞し、休息をとる。日が暮れる頃、篝火の明かりの中で舞が舞われ、鑑賞し、その後は宴会となる。

 実言邸の庭の一画に梅ばかりが植えてある梅園がある。実津瀬と芹が住む離れの近くにあり、その香しい匂いが薫ってくる中、実津瀬は準備をする。

 下着一つ着けることから芹に手伝ってもらった。箱から用意した下着、衣服の一つ一つを芹が取り出し、実津瀬に身に着けさせる。上着を着て、帯を手渡す。芹の左手では帯を結ぶのは難しく、帯の途中を掴み、実津瀬が結ぶ手の動きに合わせて一緒に手を動かした。最後に、結び目をきゅっと絞る時、芹も力いっぱい帯を引っ張った。

「あなたの手が私を勇気づけてくれるよ」

 昨夜、実津瀬は。

「久しぶりの舞台だから、緊張しているよ」

 と言って、芹の指の間に自分の指を入れて握った。衾の中ではきゅっと芹を抱き締めた。

 実津瀬のなすまま芹は受けて、子守歌を歌うように言い聞かせた。

「あなたは素晴らしい舞を舞うわ」

 こんな短い期間で体つきが変わるほどに時間を費やして、自分に厳しく突き詰めてきたのだから、きっと素晴らしいに違いない。

 芹は自分の上にある実津瀬の顔を目だけ動かして見上げると、実津瀬はいつの間にか眠りに落ちていた。

 出かける前に向かい合った芹は同じように実津瀬に言った。

「あなたは素晴らしい舞を舞うから、心配ないわ」

 芹の言葉に勇気づけられて、実津瀬は午刻(正午)頃に準備のために翔丘殿へと向かった。

 それを柱の陰から見ていたのではないかと思うほどの間で、母屋から礼と蓮がやって来た。礼と蓮の侍女たちが手に大きな箱を持って後ろをついて来る。

「芹、あなたの準備をしましょう」

 義母の礼が言う。

 戸惑った顔で礼を見つめる芹。蓮は芹の後ろに回って、手を引っ張って部屋の奥へと連れて行った。

「あなたも実津瀬の舞を観に行くのよ」

「えっ!」

 芹は高い声を出した。

「もちろん私たちも行くわ」

「私はそんな話は聞いていません……。実津瀬からも」

「実津瀬は知っているわよ。あなたに言うと、遠慮して行かないというかもしれないから黙っていたのよ」

「さぁ、準備しましょう」

 芹は礼と蓮に新しい衣装を着せられる。

「衣装が間に合ってよかったわ」

 義母の礼が言った。

 芹はどういう意味だろうか、と首を傾げた。

「あなたがここに来ると決まってから、すぐに特別な衣装を作り始めたのよ。実津瀬が早くあなたを自分の元に呼びたいというから、結婚の儀には間に合わないけど、きっとこのような日があると思っていたから」

 芹が着た衣装は、明るい緑色の上着に深い緑の裳の組み合わせ、背子は明るい朱色。腰の帯は赤と群青の色の線が交互に浮き出ていて、腰を引き締めていて、とても美しい立ち姿である。そこに肩に織模様の入った蒼い色の領巾をかけて完成である。

「似合っているわね」

 礼に言われて、芹は自分の胸から足先までを見、領巾の端を手の上に載せて模様を見つめた。

 どれも鮮やかで美しく、肌触りが良い上等なものだ。

「美しい髪ね」

 櫛で髪を梳かしながら、礼が言った。

「どんな髪形がいいかしら?いつもは、下ろしたままだけど」

 隣で蓮が訊ねる。

 芹はおしゃれなんてことに気を遣うことがなかったから、どんな髪形にしたいともどのような形が似合うともわからなかった。黙っていると。

「澪」

 と礼が自分の侍女を呼んだ。

「あなたの出番よ。編と一緒に芹を美しくしてちょうだい。その間に私たちも用意をしているから」

 そう言って礼と蓮は一旦母屋へと帰っていった。

 残された芹はあっけに取られたが、侍女の澪が近寄って来て言った。

「芹様、わたくしにお任せくださいな。お化粧や髪を結うのは得意ですのよ。芹様をもっと美しくさせていただきますわ。編、手伝っておくれ」

 芹の侍女の編は、頷いて古参侍女の澪の隣に座った。

 芹は髪が梳かれている間、俯いて待った。どんな髪形がいいかと問われても、すぐに答えが出ないので、澪に自分が決めていいか、と訊かれて頷いた。髪が終わると、次は化粧だ。妹の房と踏集いに行っていた時、房は化粧をしていたが、芹はほとんどしなかった。房にしつこく化粧をしろと言われて、口に紅をさすくらいだった。

「もう少し待ってくださいね。目元が終わりますから」

 言われるままに顔を上に左にと向ける芹。侍女の編が澪に指導を受けていて、へー、まぁ、と感嘆の声を上げるので自分の顔がどのようになっているのかしら、と消極的だった気持ちから次第に興味が湧いて来た。

「芹の準備は、どうかしら?」

 美しい衣装を着こみ、髪を整え、化粧を仕上げた礼と蓮がやって来た。

「まあ、きれいよ」

「今までにはない芹ね。実津瀬に見せてあげたいわ」

 二人は座っている芹の前に来て口々に言った。

「澪はうまいわね」

 礼は侍女の澪の化粧の腕を褒めた。

 芹は二人がきれい、きれいと褒めてくれるが自身は自分の姿を見ていないので、いまいち実感がわかない。

 侍女の編が手に取った鏡を芹の前に差し出した。鏡の中の女人は自分のようだけど、自分ではない、そんな顔だ。

 確かに、左右の髪を上げて一つにまとめて、後ろ髪は下ろした髪形。白い肌に、紅い唇、目元を黒く縁取り赤を入れて強調して少しばかり大きくなったように見える目は顔の印象を変えた。

 実津瀬はこの顔の私を見たら、なんていうだろう。

「さあて、準備は整ったわね。芹、母屋に来て。今日は榧も連れて行くのよ。おめかしした姿を見てやって」

「榧も?」

「そう、他の小さい子達は留守番ね」

 十二歳になった榧は兄の舞を観に連れて行ってもらえるのだ。

 母屋の小さな子達の部屋に行くと、芹と同じように美しい衣装を着て、頭の上に二つ分けた二髻の髪形に結った榧が座っていた。紅を載せた唇が目を引く可愛らしい様子だ。

「まあ、かわいい」

「ねえ、そうでしょ。でも、榧も芹みたいに恥ずかしがって、黙っているのよ」

今も榧は恥ずかしそうに下を向いて右手で左手の指を握って放してをしている。

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