無知な皇女の人生やり直し計画

小椋綾人

第1話 懺悔

なぜこんなことになったのだろうと震える体を抱き、暗い森を二人の近衛兵とメイド一人に守られてマリア・シュネービッチェン・リヒトオーフェンは走る。


本来ならこのような場所でリヒトオーフェン帝国皇帝ラバグルト・フォン・リヒトオーフェンの一人娘が少なすぎる護衛と共に逃げる必要などない。


___リヒトオーフェン帝国は大陸でも有数の国ではなかったのか?なぜあんなにも臣民は怒っているのか?__

そんな疑問がマリアの頭に浮かんでは消える。マリアには現状が何一つ理解できなかった。聖王と呼ばれたマリアの父は生まれて18年間、マリアは白亜の城で罪を教えず、国の現状も教えずただ美しい物のたちに囲まれて育てられた。清廉潔白を愛した王がマリアのミドルネームに白雪を意味するシュネービッチェンを贈ったように。彼女は温室で育てられる薔薇のようにただひたすらに庇護された。


 だからこそ、隔絶された世界でマリアは外の世界を何一つ知らなかった。外の世界で皇帝が恐王と呼ばれ、その苛烈なる恐怖政治に臣民が怯えていることも、マリアが臣民の血税を持って贅沢をし臣民を人とも思わない極悪非道の皇女だとされている事も何一つ知らなかった。


「ねぇどうして彼らはあんなにも怒っているの?私もお父様も彼らに何もしていないわ?」


 革命が始まりかけた時、その噂を聞いてマリアはメイドに尋ねた。しかし、メイドは口を開かなかった。マリアに外の事を教えたメイドも家庭教師も尽くが皇帝の命によりすでにこの世にいない。だからこそマリアに対してメイドが取れるのは目を伏せて静かに頭を下げる事だけだった。


 白亜の広大な城でマリアは誰とも話す機会を得ることもなく唯一話ができる父が来るのをいつも温室で待っていた。それが彼女の日常であり18年間の過ごし方だった。


「きゃっ!!」


 マリアの斜め後ろを走っていたメイドが木の根か何かにつまづいて転んだ。マリアは父や今は亡き母に優しく育てられた。だからこそマリアは当然のようにそのメイドを助け起こす。


「大丈夫?暗いものね。どこか休めればいいのだけど」


「っ、う、すみません、足が」


「まぁ、足を怪我したの?護衛の方に伝えて背負って近くの街に行きましょうか。きっと休ませてもらえるわ」


 マリアは革命によって今まさに自分の命が狙われていることを理解できていなかった。何かとんでもない事が起こっていて、今すぐに王宮を離れなくてはいけないということは理解できたがそれが自分の命に関わるなど想像できなかった。


「マリア様、私のことはいいので逃げてください!!」


「そんな、こんな暗い森の中であなた一人では」


「マリア様っ!行きましょう」


 近衛兵がマリアの手をとって走り出す。マリアはあっ、とメイドに手を伸ばしたがその手は空を切った。永遠と走り続け、やっと森の終わりに出ようというところで近衛兵が立ち止まる。


「くそっ!先回りされてやがった」


「マリア様、どうかあちらに」


 二人は剣を抜いたが木々の向こうには兵士がいるのが見えた。そしてマリアはその中の一つに知り合いの顔を見つけて安堵した。


「あれは、ねぇ、お二人ともアーサー王子がいるわ。ずっと昔にあっただけだけれど知らない人ではないからきっと大丈夫よ。貴方達も走って疲れたでしょう?おいてきてしまった彼女の事もあるし」


「マリア様いけません!いいですか、ここで出ていけば貴方は殺されるんです」


「殺される?どうして?私も貴方達もなにも悪い事をしていないわ」


 マリアは本当に理解ができなかった。マリアは暴力などない世界で生きていた。命が脅かされることなどあり得ない話だった。この世間知らずなマリアのその現状を近衛兵もメイドも知っていた。だからこそ王宮勤めの人々は彼女を憐れんだ。マリア自身悪い人間ではなく、純粋で、分け隔てなく人を慈しむ事ができる。


だが、それだけで許されるような時代ではもうなかった。


「マリア・シュネービッチェン・リヒトオーフェン!!君がそこにいるのはわかっている!民のことを思い、君が進んでここに出てくるならその近衛兵の命は保障しよう」


その声にマリアは二人を安心させるように宥める。


「ほら、大丈夫よ。アーサー王子もああ言っているもの。安心して、彼女も森の中できっと怖い思いをしていると思うしアーサー王子に捜索隊を出してもらうようにお願いしてみるわ」


マリアは止める近衛兵を残して森をでた。隣国の王子であるアーサーとマリアは小さい時に誕生日パーティーで何度か会っただけだった。アーサーは白馬に跨り金の髪がキラキラと朝日に照らされ絵画のような威厳があった。そして、マリアは泥だらけで粗末な服を着ていた。フードを外せばマリアの美しい絹のような黒髪がこぼれ落ちる。


「アーサー王子、どうか私の近衛兵と森で動けなくなっているメイドを助けてください」


 マリアはそう頭を下げた。生まれてから皇女として育てられた者の立ち振る舞いはどんなに服が質素であってもその場にいた兵士や民兵そしてアーサーに困惑を与える。


 噂ではマリアは金を浪費する悪魔のような性格ではなかったのか。そんな迷いを振り払うようにアーサーは軽く頭を振って命令した


「捉えておけ」


 マリアはこの先に何が起こるかわからなかった。何が起こっているのかもわからなかったから。だから、見窄らしい荷台に乗せられて王都に戻る際に民に石を投げられた理由も、父親から聞いていた話とは全く違う姿をしている国の理由も理解できなかった。


 ただ一つマリアにわかったのは自分が人々から愛されているのではなく、恨まれている事だけだった。


 何度も石を投げられて、覚えのない罵声と暴力を振るわれ、母の形見とも言えるその長い黒髪を無惨に切り裂かれた時もマリアは必死に理由を探した。


「マリア」


「アーサー王子」


 暗い牢屋に入れられたマリアにアーサーは声をかけた。長く軽くウェーブがかかった黒髪は首が切り落としやすいようにと切り落とされて、見窄らしくなるようにと食事も満足に与えられない体は痛々しいほど痩せていた。


「メイド達から話は聞いた。君の境遇には同情する。だが、僕たちは責任ある立場だ。その立場にある者達が無知で何も知らずにいて許させることなどない」


「そう、だったのね。だから、みんな私に怒ってらっしゃるのね。私、知らなかったの。今でも何一つわかっていないのでしょうけど、お父様がそんな恐ろしいことをしているなんて思わなかった」


 マリアは椅子に座り静かにうなだれ顔を覆った。マリアが聞かされたのは父が重い税をかけ、それに満たさなかった村は焼き払われたこと。小さな罪でも許さず、首を落としてきたこと。そして貴族は保身に走りさらに農民や庶民が搾取されていたことだった。


「アーサー王子、王都に来るまでの道で街を見たわ。どの人も痩せていて、彼らはこれから冬だというのに大丈夫なの?私にはもう何もできないの?」


 隣国のアーサーが帝国までやってきたのは帝国からの難民が訴えた惨状を放っておけなかったからだ。昔に会ったマリアがこんな姿を見て、さらにこれを告げる事になるとは思っていなかった


「マリア、君の死刑が決まった。君がこの国にできることはその命で持って国民の怒りと悲しみを慰めることだけだ」


 マリアは絶句した、“死“ということは依然として実感が湧かなかったがそれでもマリアは微笑んだ。今のマリアには何もなかった。権威もなく、知恵もなく、何もできないただ一人の無力な自分にもまだ一つやれることがあったのかと安堵した。


「まだ、私に出来ることが残っていたのですね。アーサー王子、どうか帝国の民をお願いします」


「こんな結末になって残念だ。マリア」


 そう言い残してアーサーは牢を去った。その三日後、マリアは断頭台に赴いた。不思議とあの牢での三日はマリアにとって心穏やかだった。マリアにはあの牢で一人死を待つのも、あの温室で一人父がくるのを待つのも同じことのように思えた。むしろ、死という終わりがあるという点において牢での生活はあの18年よりもマシだったかもしれない。

 王都の広場は沢山の人で埋め尽くされ、そこに設置された木の舞台にマリアはあがる。簡素な首をおく台と隣の男達が錆びた斧を持っている。懐かしい白亜の王宮を眺めて強く願った。


もし、やり直せたら


 首を台に置く。恐怖で体が硬直していますぐにでも逃げたかった。そんなことはマリアには許されないのだが、目の前まで迫ってきた死にやっとマリアは恐怖を覚えた。斧が何度も振り下ろされる錆びた斧は痛みを与えるばかりで死を与えてはくれない。口に出ていたかはわからないそれでも意識がある中でマリアは懺悔をした。


何度も何度も懺悔した。


 自身の民に、諌められなかった父に、何もできなかった自分を呪って、そして何も知らないまま何も成せないまま終わる事への果てしない後悔ののちマリアのその首はやっと落ちた。


 民の歓声が沸き起こり長きに渡った恐怖政治の終わりに民はやっと安心して生活できると喜びを分かち合った。


恐皇帝ラバグルト・フォン・リヒトオーフェン

鮮血皇女マリア・シュネービッチェン・リヒトオーフェン

 この二人の落命により長きに渡り栄華を築いたリヒトオーフェン帝国は終わりをむかえた。

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