私の大好きだった今は大嫌いなあの人の匂い……。【KAC20232】

kazuchi

前編 思春期の反抗なんかじゃない。

 ……朝の食卓、挽きたてのコーヒーの香りが鼻腔に心地よく感じられた。この銘柄は当たりだな、飲まなくても私には美味しさが分かる。人一倍匂いに敏感という風変わりな特技は外れたためしがない、だけどこの特技には逆にマイナスの部分が多すぎるんだ。


『……華鈴かりん、学校はどうだ?』


 差し向かいから話しかけられた。いつもお決まりの言葉で本当にうんざりする。かすかに父親の背広から漂う煙草の香りが私の苛立ちをさらに加速させた。いつもの銘柄じゃない、知りたくもない情報まで入ってくるのが本当に嫌になる。


『別に……。なんも変わらないけど』


 私は手元のスマホ画面から視線を逸らさず素っ気なく返答した。父親の表情かおは見なくても想像出来る、困惑したような寂しげな笑みを浮かべているに違いない、何で塩対応されるのが分かっていて同じ質問を繰り返すの? 本当に意味が分んない。


『……そうか』


 いつもここで父と娘の会話は終了。一日、いや一週間を通して交わす言葉は数えられるくらい少ない。自分の嗅覚過敏きゅうかくかびんのせいにするわけではないが、子供のころはあんなに大好きだった父親の匂いが思春期になるにつれ本当に苦手になってしまった……。


『華鈴、食事中は携帯電話を置きなさいっていつも言ってるよね。行儀悪いわよ』


『お母さんが何で横から注意するの? お父さんが私に直接言えばいいじゃない!!』


『華鈴!!』


 ……また最悪のルーティーンが始まる、朝から私はなぜこれほどまでイライラしてるんだろう?


『あ〜、もうやめやめ、お母さん朝から揉めないで、せっかくの朝ご飯が不味まずくなるから、それに華鈴も遅い反抗期ってみっともないし……』


華蓮かれんお姉ちゃんの嘘つき、私よりひどい反抗期だったくせに、お父さんだけじゃなくお母さんのこともウザいって言ってたよね、華鈴覚えてるもん!!』


 隣に座るお姉ちゃんが見かねて話に割って入ってきた。これも最近お決まりのパターンだ。中学二年生の私からひとまわり歳の離れた姉とは、とても仲がいいはずなのに憎まれ口をきいてしまう……。


『こらこら、人を巻き添えにしないの……。いつの話をしてんの? それは中学生の頃だよ。華鈴ちゃんは間違っているよ、私が当時言っていたのはだけじゃなくて、うるさい、気持ち悪い、も定番だったから』


『うわっ、ひっどい娘じゃん!! そんなんじゃお嫁に行けないよ華蓮お姉ちゃん』


『残念でした、もうすぐ挙式だし……。って、だからこそお姉ちゃんは心配してんのよ。この食卓から四宮しのみや家の癒やしキャラの私が居なくなったら本気まじで殺伐としちゃいそうでさ』


『……いやしいキャラの間違いじゃないの、今から先方に連絡して結婚式を延期してもらおうか?』


『そんなことしたら華鈴にもう私の服を貸さないよ!! 最近私の部屋にしょっちゅう来るよね、色気付いてきたのは一体誰に見せるつもりなのかな?』


『ううっ、華蓮お姉ちゃんはずるいよ。さっそく仕返ししてくるなんて……』


『華蓮、華鈴、二人共いい加減にしなさい。お父さんからも何か言ってやってくださいよ!!』


『あ、ああ、そうだ、こんな時間か!? 悪い、俺は会社に行かなければいけないから……』


『あっ、が悪くなってお父さんが逃げた!!』


『華鈴も茶化さないの!! お父さんがウチで一番遠距離通勤なんだから仕方がないでしょ。あなた達のために毎日お仕事を頑張ってくれているのよ、少しは家長として敬いなさい』


『お母さん、いつの時代の話よ、良妻賢母りょうさいけんぼか!? 確かにお父さんの通勤は大変だけどさ、自動車ディーラー勤続ウン十年だっけ、娘として毎日ご苦労さまと思っております、はい!!』


『華蓮おねえ、自分だけいい子になってずるいよ!!』


『すぐに華鈴は妬まないの!! これは長女の特権なんだから。……それにあと少しであんたにこの役目を譲るから好きなだけいい子になりなさい』


 ……そうだ、大好きな華蓮お姉ちゃんはもうすぐお嫁に行っちゃう。だけど私、いい子になんかなれそうにない!! 


『でもお父さんって本当に仕事人間だよね、趣味もないし……。何が楽しみで生きてんのかね、私は嫌だな、あんな生活』


 動揺を隠そうとわざと父親への憎まれ口を叩く、私って本当に性格が悪いな。母親からの厳しい叱責を覚悟した。


『……やめなさい華鈴、それ以上言ったら私が許さないから、あなたはお父さんのことを何もわかっていないよ』


 姉からの意外な言葉に一瞬で打ちのめされる。私は踏み込んではいけないラインを越えてしまったことに気がつくのが遅かった。


『あんたたち、無駄話してないで早く朝ごはんを食べなさい。お母さんは忙しいの』


 ……母はどこの家庭でも強しだ。その真理を理解しながら私は朝の準備を始める。



 *******



 ……次の週末が来た。変わらない毎日、変わらない会話の繰り返しだろう。土曜日の朝、いつもと違うのは母親と姉が食卓に居ないくらいか。間近にせまった結婚式の打ち合わせに朝早くから出かけたんだ。こんなに食卓のテーブルって広かったのかと思わせる殺風景な半分に私は戸惑った。差し向かいで座る父親と朝食を取り始める。私は軽い違和感を感じた。いつもの朝食の匂いじゃない。それにあの匂いもしない!? スマホの画面から視線を外し、久しぶりにまっすぐ父親の顔を見た。整えられた髪の毛に白髪が目立つ。私は父親の変化にまったく気がついていなかったのか……?


『……おはよう』


 後に続く言葉はどうせ同じだ。お父さんは今朝も変わらない。きっと平常運転のはずだ。私はいつもの日常に戻りかけた。


『華鈴、たまにはお父さんに付き合わないか。車で出かけよう。おまえに見せたいものがあるんだ……』



──────────────────────────────────────


 後編に続く。


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