ep3 戦慄!麻薬ファミリー 『愛の国』

 常緑樹のジャングルに忽然と現れたのは、セメント製の下り階段だった。表面は苔で覆われており、間違っても上空から見つかることはない。


 強烈な雷雨に追われるようにして、私と落夢はジイさんを追って階段を下りた。


「ふふぉ、『愛の国』にようこそ」

「恥ずかしくて復唱する気も起きねぇや……」

「やっぱヤバいとこっスよ~、ここ~」


 折れ曲がった階段の先には、坑道を改築したであろう真四角の廊下が、奥へ奥へと伸びている。梁に吊るされたランタンが一個、十字路の中心でぽつんと光っていた。


「右手にゲストルームが。左手は我々の部屋でございますが、まずは奥のダイニングから向かいましょう。お食事の時間なのでね、ふぉふぉ、ふぉっ、がぁっ! ぺっ」


 間近でジイさんのうなじを見る。暗いためよく分からないが、それゆえに肌の色と明確に異なる"影"があるのは分かる。

 "影"は幅3cmほどで、縁がギザギザとして、『カサブタ』のように不均質に盛り上がっている。

 

「おい、誰がマリファナ栽培組織の飯なんて食うかよ。バカ」

「そうだそうだ! 口封じすんだろが!」


 それを聞いたジイさんは突如わなわなと震え始め、ランタンの緋を見開かれた目に宿し、憑りつかれたような口ぶりで語り始めた。


「二度、二度と私に言わせないでいただきたいっ。疑いとは、疑いとはぁっはぁっ、この世で最も醜き行いっ、なのです――からっ! 私、いや私たち愛の国は! 猜疑の心を憎み最も嫌うのです! 人を信じること……愛の道はそこからしか生まれえなあいっ!」


 そう言われてもな……、と顔を見合わせるが、これ以上怒られても面倒なので、


「わかった、わかりました。でも私たちは外から来たので愛に疎いのです。食事を頂く前に理念などをご説明していただきたい。あ、これは疑いじゃないっすよ、信用をしたいという前向きな気持ちの表れですのでね。勘弁してね」


 と言った。ジイさんはしばらく『信じられない!』みたいな顔をしていたがやがて、そのマリファナ似の顔をニュッ、と柔化させて笑った。


「よろしい。何はともあれダイニングへ。皆を呼んで参ります」

「ざーっす、しゃーっす」


 その時、ふとランタンが消えて、辺りは完全な闇に包まれた。


「む、油が切れましたな。私は左に向かいますが、あなた方は真っすぐお進みください。灯りが見えてきたら、ダイニングです」

「わかった」


 ジイさんのうなじが見られないことは気がかりだが――私たちはジイさんと分かれ、長方形のテーブルの下座に座った。


「どうするつもりなんスか?」

「まあ、スコールが過ぎるまでの雨宿りだよ。その気になればいつでも出れるだろ?」

「うーん……」


 そういえば、落夢はいつになく不安そうだ。訳を聞こうかと思ったら、坑道の方からガヤガヤと人が集まってきた。


「いらっしゃい! 私ジェニファー! あなた外国の人ね!」

「ぼくはパーク! ねえ、どこから来たの? ぼく、旅人の話を聞くの大好きなんだ」


 7~9歳くらいの少年と少女だ。小うるさいガキだな、と思っていると同じくらいの子供が15人ほど押し寄せてきてビビる。


「「わー!わー!わー!わー!」」


「聖徳太子やないねんから!」と落夢が言うと全員が「は?」みたいな顔で固まるので子供は怖い。


「いやあ騒がしくてすみません。僕はボブ」

「私はマーサ」


 後から親らしき人も集まってくる。親は合わせて5人……? 子だくさんなことだ。英語を使うらしいが、人種や語学の習熟度はバラバラである。


「これこれ、ジョゼフ」

「ごめんなさい、パパ」

「あら。アナタ、今日も素敵ネ」


 さっきのジイさんがやってきて、こんなやり取りを始める。なるほどこいつも親なのか……と圧倒された。

 ジイさんが上座に座り、若い衆が水のコップを配膳し終えると、テーブル中央のボブが口を開いた。


「まずはようこそ。さてね――我々の理念とは、この島の『愛』をすべての世界に行き届けることなんです。マリファナ……ハシーシャを作っているのはね、その過程に過ぎないんですよ」


 きっちり刈り揃えた髪、真四角のメガネにワイシャツの黒人。こんな場所でサラリーマンみたいな見た目だ。


「待て。それ以前に、なんでアンタらこんな島に集まってきたんだ? 原住民って訳じゃないんだろ」

「何故そう思いますか?」

「人種と言語だよ。この世代か、せいぜい一世代前に来たって感じのバラつきだ」


 人々は顔を見合わせる。


「あまり関係ありませんよ、そんなことはね……ここに来たのは、不思議な縁としか言いようがない」

「そうか」


 さっきのジイさんを見るに……これ以上の質問は向こうを警戒させる。いや、もうされているのかも知れないが。


「で、その『愛』って? 麻薬で伝わるものなのか?」

「『愛』とは――たとえば見ず知らずの他人に、見返りを求めず善行を行う気構えであり……すべての生物に対し、本能レヴェルでの結びつきを感じるほどの高次の精神性。

 これは通常、厳しい修行や神秘体験によって得られるのですが、私たちのドラッグはこれをより容易に到達させることが出来ます」


 ドラッグによる神秘の錯覚……それに伴う精神の変調。よくある話だが、ここではそれを高頻度で起こすドラッグを製造しているのか――


「そりゃ、素晴らしい話だね。私も一枚噛みたいよ」

「ふふ……残念ながら、ビジネスパートナーは必要ありません。必要なのは『家族』です」

「『家族』? 義理のかな」


 ボブは失笑し、首を四度も振った。

 

「いやいや

 いやいや、

 いやいやいや……」

「……」

「そういうのじゃあ無い。『家族』とは愛の『繋がり』を持つ者の繋がりのことなんです。どこに居ようが、家柄の繋がりとかは関係ないんです繋がり」


 ボブは右腕の袖を捲り上げ、シャツに隠されていた前腕を掲げた。


「何だ……その、『カサブタ』みたいな奴は……?」


 その腕の中途に貼り付いていたのは、真っ黒い、直径3cmほどの皮フ――いや、『樹皮』


 樹皮はボブの肌とピッタリ癒着しており、そこから絹のように細い糸が、奥の坑道へと一本伸びている。


 子供たちが一斉に服を脱ぎ始め、ジイさんはうなじを、マーサは左わき腹を、それぞれがその『樹皮』をこちらへと見せつけてくる!


 何だこいつらは?!


「『愛の国』に、ようこそ!」

「きょ、凶さん」


 落夢が怯える。


「落夢、今すぐ時間を遅滞しろ! 脱出するッ!」

「ち、違うんです。手が、手が、勝手に――」


 落夢は、自らの手で抑え付けている左手で、コップを掴み、その水を口元へと注いでいた――!


「ふぉふぉッ! 井戸水を飲んだからじゃのおっ!」

「あれにも少しだけ混ざっているんです。『愛』の成分が」

「水から飲むのは入門として最適なのよ」

「『愛』!『愛』!『愛』!」


「あ、あああ、凶さん、あ、あ、」

「落夢っ!」

「あ、愛――」


 私は洛臓から力を起こし、目の前の長机を蹴り上げた。

 回転する机が目くらましになった隙に、落夢を抱え、坑道へと突っ込む。


 ランタンの灯った十字路が見えてくる。

 階段は目と鼻の先だ。速度を増して、辻道に突っ込み、そして――


 ズシュルルルルルルルッ!!


『ゲストルーム』への道から、突如マングローブの根が飛び出すと、最高速度に達した私の身体を易々と絡め捕った。落夢ごと、私は『分かれ道』へと吸い込まれていく!


「なん――だこれはッ!!」

「ふぉふぉ、ふぉふぉ、ふぉふぉふぉふぉふぉっ!!」


 闇にジイさんの声が響いた――


 (つづく)

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